誕生から60年。変わらぬデザインで愛されてきた鳩の砂糖壺
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みなさん、「農民美術」をご存知ですか?
大正期、版画家で洋画家の山本鼎(やまもと・かなえ)が、ロシアで出会った無名の農民たちの美術作品に感銘を受け、日本でも農閑期に絵画や木彫りの工芸品などを作ることで生活を豊かにしようと始めた運動です。
農民美術の代表作の一つが木彫りの人形。
北は樺太から南は鹿児島まで、全国100ヶ所余りで人形作りの講習会が開かれ、運動が広まりました。
手のひらサイズの小さな人形で、各地の土産物として売られていました。
農民美術発祥の地である長野県上田市。
かつては多くの人が作品作りに携わっていましたが、現在は少なくなってきたといいます。
そんな中、誕生から60年以上経った今も人気の品があります。
鳩の砂糖壺です。
素朴な風合いが可愛らしく、昔から結婚式の引き出物などに使われてきたそうです。
長く愛されてきた魅力はどこにあるのでしょうか。
北欧のデザインを元に
長野県須坂市にある工房「すの・くらふと」を尋ねると、色とりどりの鳩たちが出迎えてくれました。
「昔は赤と茶色の砂糖壺だけでしたが、今はボンボン入れ、爪楊枝入れ、香合の4種類、色も6色になりました」
そう話すのは、製作者の春原敏之(すのはら・としゆき)さん。
「バリエーションは増えましたが、基本的なデザインはほとんど変わっていません」
上田市出身の春原さんは、現在75歳。小学生の頃から叔父たちがはじめた工房に出入りし、仕事を手伝っていたそうです。
「叔父はお皿や実用品を作っていました。砂糖壺はいつから作っているのかわかりませんが、僕が中学生の頃にはもうありましたね」
現代風というか、60年以上前から作っているものとは思いませんでした。
「山本鼎がヨーロッパから持ち帰った鳩の菓子器をヒントにしたようです。北欧のデザインがもとになっているので、モダンなのかもしれませんね」
ロクロ挽きの職人さんと二人三脚
春原さんが本格的に工房の仕事を始めたのは中学生の頃。
「学校から帰ったらすぐ工房に行ってました。やらされてたわけじゃなくて、好きだったんです。色を塗ったり、ノミを使ったり、ロクロを挽くこともありました」
その後、現代美術の世界へ。
「図案を描く勉強のために絵をはじめたんだけど、東京の展覧会に出したら入選して、農民美術をやりながら絵も描いてました」
伊勢丹で家庭用品のクリエイターとして働いた経験もあるそうです。
「当時は木工ブームで、家庭用品売り場もヨーロッパのものを並べたりして、賑やかでした。全国の工芸品を見て回ったり、一緒にデザインを考えたり、楽しかったですね」
現代美術作家としての活動も続けながら、25年前に工房を引き継いだ春原さん。
現在は、上田の工房で長年働くロクロ挽きの職人・丸山さんが生地を作り、春原さんが色塗りと模様を彫るという、二人三脚で製作しています。
黙々とこなす職人仕事
色塗りの工程を見せていただきました。
こちらは上田から届いた生地。材料は白樺を使います。
「白樺は白いので、色を塗るときれいに発色するんです」
赤の色は、赤と黄色の顔料を混ぜて作ります。
「顔料は計りで測っています。昔から比率は同じ、解かす溶液のパーセンテージも同じ。色が昔と変わらないようにしています」
刷毛で手早く塗っていきます。
1度塗ったら乾かし、乾いたらサンドペーパーをかけて磨いてから上塗り。
これを3回繰り返し、最後に彫刻刀で模様を彫り、色を塗って完成です。
「30個塗るのに3日くらい。単純作業なので黙々と。職人仕事ですね。その心みたいなものがないとできませんね」
材料の準備に1年間かかる
製作工程で一番大変なのは材料作り。白樺の木の皮を剥くところからはじまります。
「毎年、2mの白樺を100本から200本、皮を剥きます。そうしないと虫が入ったり、割れる原因にもなるので」
2週間以上かかって皮を剥いた後は、1年間乾燥させて、ようやく材料となります。
手間はかかるものの、白樺は身近で手に入るので値段が安く、柔らかいからノミも入れやすいので、砂糖壺作りには欠かせない材料です。
ところが、近年、白樺が手に入りにくくなっているといいます。
「以前は山を整備するときの間伐材をもらってたんですが、白樺林は長野県の観光地にもなっているので、行政が切らない方針になってきたんです。今年は切る予定がないので、今、材料を探しているところです」
来年の分はあっても、次の年の分がない。北海道から取り寄せることもあるそうですが、そうすると材料代が高くなってしまう。
結果的に1年間作れなかった年もあるそうです。
「最初は砂糖壺だけだったのが小物を作るようになったのは、木材の細い部分でも作れるものを考えてのことです」
実用品から始まった農民美術
春原さんは鳩シリーズの他にも作品を手がけています。
こちらは、上田市・サントミューゼで開催された展覧会『ウィリアム・モリス 英国の風景とともにめぐるデザインの軌跡』で販売された木箱。
「モリスの柳のモチーフをイメージしてデザインしました」
竹久夢二が好きだという春原さん。長野の高山植物や身の回りの草花をデザインするのは楽しいそうです。
どれも可愛らしく、手元に置きたくなるものばかりです。
「もともと、農民美術は実用品からはじまったものです。身近なものに和みを与えるというのが魅力だと思います」
時代の流れとともに、農民美術品が作家性の高いものになっていく中、あえて実用品にこだわっているという春原さん。
「飾り物ではなく、日常で使うものに喜びや趣味的な要素を加えたいですね」
生活が豊かな気分になります。
「うちは代々、実用品を作ってきているんで、職人に徹して、大儲けすることは考えず、作ることを楽んでいます」
使ってこそ価値のある逸品
農民美術は、大正8年(1919)に初の講習会を開いてから、来年2019年で100周年を迎えます。
「この先は難しいですね。これだけでは生活できません」
現在、長野県で農民美術に携わっているのは12人ほど。後継者も少ないそうです。
春原さんの工房もかつてはたくさんいた職人さんも一人となり、後継者はいないと言います。
「この先何年続けられるかわからないけど、その間に後継者が見つかれば伝統にこだわらず、ノウハウは全て教えたいですね」
貧しい農民の生活を豊かにしたいという想いからはじまった農民美術。
そのスピリットを受け継いだ鳩の砂糖壺は、飾るのではなく、使ってこそ価値のある逸品。
上田市にある栄屋工芸店やサントミューゼのミュージアムショップ、小諸市のギャラリーまきのでは鳩の砂糖壺をはじめ、春原さんの作品がたくさん並んでいます。
手元に置いて、毎日の生活に彩りを添えてみてはいかがでしょうか。
文・写真:坂田未希子