いま「修業」以上に求められるもの 錫工房の清課堂が考える、日本文化の残し方

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京都・寺町通りにある、天保九年(1838年)に創業の「清課堂」。数多ある金属のなかで、錆びない・朽ちない性質を持つことから縁起が良いとされ、繁栄を願う贈り物としても親しまれている「錫(すず)」を扱う、現存する日本最古の工房です。

その清課堂の七代目当主が、錫師・山中源兵衛さんです。

「錫そのものを広げていくことに興味はない」「修行の概念はもう通用しない」——。意外な言葉を発する山中さんが、清課堂の家業を継いで約30年に至るなかで考えたこと。それは、「錫」という素材そのものの良さではなく、「錫」を通して日本文化を継承し、紡いでいくということでした。

清課堂の外観

「継ぐ気なんて、さらさらなかった」

二十歳過ぎで家業に入り、清課堂で錫の伝統を紡いできた山中さんですが、意外にも「性格的にものづくりそのものには向いてない」と話します。

清課堂七代目当主・山中源兵衛さん

「私自身はこれまで責任感でこの世界で仕事をしていて、楽しいと思ったことはほとんどないんです。それこそ、継ぐ気なんてさらさらありませんでした。

当時は、『IT・インターネットが世界を変える』と社会全体が意気込んでいた時代でもありましたし、私自身もコンピューターを勉強していたこともあってエンジニアを目指していました」

天保九年(1838年)創業、現存する日本で最も古い錫工房の現当主は、なんとITの世界を志していたのです。

しかし、脈々と受け継がれる日本の文化の灯が消えゆくことを山中さんは看過できませんでした。

「親戚一同に外堀を埋められたのもありますよ(笑)。でも、この仕事に従事する方々が減り、一方で脈々と続けていく方々もいる。神社が日本各地にある一方で錫製の神具を作っている工房は、日本では我々ともう一軒しかいらっしゃらないんです。そうやって錫の伝統を紡がれている方々に対しての責任ですよね」

「修行」という概念は、いまでは通用しない

工房での錫製品の制作作業も見せていただきました

「外堀を埋められて継いだ」という山中さんですが、清課堂とともに工芸の世界に身を置いてからは約30年間が経ちます。

受け継がれる技術や専門性が色濃い工芸・職人の世界において、「修行」はワンセット。そういったイメージは私たちにも広く浸透しています。しかし山中さんは、いま求められるのは「修行」ではなく「教育による継承」。そう話します。

「一人前になるにはどれくらいの期間がかかるかというのも、私はあまり言わないようにしています。仕事ができなくても一人前だと思わないといけない。だからこそ、私たちは『教える』ということに多くの時間を割いています」

ひとつひとつが手作りだという、作業道具の金鎚

『一人前になるまで15年』と言われていた時代があったなかで、さらに早く成長できるように研修する。清課堂にとって、作るだけでなく教育をしていくことは工芸の現場が生き残るための術であります。

「昔は仕事が終わった時間に、各自が修行や勉強をしていましたが、いまはそれでは続いていかない。それが本当に正しいのかは誰もわかりませんが、事実、職人の仕事も『就労』という考え方がベースになり、時代とともに変わっています」

「材料の使い方から道具の使い方まで、若い人たちが理解でき、継承していく。そういった修行と研修制度(教育)の変化は大きいと思います。さらに、技術を視覚化してそれを蓄積、共有すること、かつそれをいつだれでもどこでも見ることが出来る仕組みが機能してはじめて、良い作品作りに結びつくと考えています。

私が仕事を始めた当時はバブル絶頂で、とにかく製品が売れたんです。そのあとすぐにバブルは崩壊しましたが、多くのメーカーさんが廃業する中で、競争相手が減ったという側面と、国内外での工芸ブームなど、様々な要素があって私たちは生き残っている。それは運が良かったことではありますが、今後もこの文化を残していくうえで、昔のように『修行』という概念は通用しないんです」

日本の文化を、世界に売り出したいとは考えていない

清課堂の酒器

工芸の世界が少しずつ再評価され、山中さんは「ここまで手仕事が注目されるとは思っていなかった」といいます。しかしそういった状況にあるなかでも、「錫という産業や製品自体を広く売り出したいとはあまり考えておらず、興味がない」。それが山中さんの考えでもあります。

「ある種の金属素材は地球上で有限で、錫もいつか枯渇しますし、元来、他の伝統的工芸品とは違い素材が地球上に自然に存在せず、それを採掘するための鉱山の開発が自然破壊につながると考えるからです。必要とされる分だけ製作したり、壊れたりなど使い終わったものが回収・再資源化できる手の届く範囲で販売したりすることが大切だと考えています」

「それよりも、自分たちが歩んできた歴史を振り返り、どうやったら日々の生活を良くできるかと考えること。そのためには、この文化を若い世代にしっかりと、丁寧に伝えたることのほうが大事だと思っています。

異なる文化圏の方々との交流や、京都から遠く離れたその地の職人たちとの協働製作の可能性を信じているので、海外での講演や清課堂の世界観を伝えるための個展などは、私たちが続けていることでもありますが、『錫そのものの良さ』というのを私たちの売り文句にしようとはあまり思っていないんです。

工芸の良さは素材だけでなく、用と美、つまり“かたちの機能性や美”の追求などといった工芸の本質を問い、極めるところではないかと思います。革新の真髄は素材とは別のところにある。もちろん素材の良さを引き出すことは大前提ですが、ゴールはそこでなく、革新がそこにあるわけでもない」

「錫もより人目に触れる素材になりましたが、“もの”というのはあくまで“もの”でしかない。私は、そこに積み重なって紐づいている知恵や工夫、思想、美学がどうしようもなく愛おしいんです。

本来、日本人の背景にはそういった美学と切り離せない茶の文化があります。現代の日本人は茶の湯にしろ、煎茶道にしろ、暮らしの中にお茶という時間がない。お湯を沸かす5分間があれば、日々はもっと豊かになる。私たちが目指しているのは、錫を通して、日々の中で失われてしまった文化の美しさを若い方々に伝えて行くということだと考えています」

長い歴史をかけて技術や感性、ノウハウが育まれ、先人たちの知恵が詰まった工芸の文化が、どんな幸せな未来を描けるか。生活、文化、風習の違いによっては廃れたものが多くあるなかで、それらの文化がもっと幸せな未来を描けたのではないか。いま残ってる文化やそこに携わるひとたちが、どうすれば幸せな将来を築けるのだろうか。山中さんは常にそう問い続けています。

そして、「私ひとり、清課堂の力だけではどうしようもない」とも。

カウンター10席の小さいお店を経営する亭主、料理長の思いまで細かく形にする少量生産が多い清課堂には、一度に1000個の製品を作ることはできません。

「セレクトショップなどでひとつ2000円くらいの製品を販売することは、たしかに多くの人の目に留まる。でも、その仕事は私たちにはできません。様々な人が自分に合ったものを自由にチョイスできる良い時代でもありますから、そういった多様な在り方がある中で、私たちも私たちにしかできない方法で、この文化を紡いでいきたいと思っています」

<取材協力>

清課堂

https://www.seikado.jp/

〒604-0932 京都府京都市中京区 寺町通り二条下る妙満寺前町462

075-231-3661

文:和田拓也

写真:牛久保賢二

住所
京都府京都市中京区寺町通り二条下る妙満寺前町462
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