仕事が集まる新潟のデザイナー。彼が実践したのは『経営とデザインの幸せな関係』だった
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新潟の燕三条をベースに活動するクリエイティブディレクター、プロダクトデザイナーの堅田佳一さんはいま、佐賀県のある豆腐メーカーと組んで、新しい商品の開発に取り組んでいる。
地方の企業がプロダクトデザイナーやアートディレクターを起用して新たな取り組みをしようとする時、多くは東京で適任者を探すのではないだろうか。
もしくは、地元や近隣の町の在住者に心当たりがあれば、その人に声をかけるという選択肢もあるだろうが、地方の企業がまったく別の地方に住む人材に依頼をするという例は、なかなかないだろう。
佐賀出身でも、在住経験があるわけでもない堅田さんと佐賀の企業がなぜ一緒に仕事をしているのだろうか。
世界的なデザイン賞を受賞
大学を卒業後、大阪のデザイン事務所に勤務しながら家電や事務機器、スポーツ用品などのデザイン開発業務を経験した堅田さん。
2008年、素材や工法などモノづくりの原点から学べる場所を求めて、縁もゆかりもない新潟県燕市の包丁メーカー、「藤次郎」に転職した。
藤次郎では現場に入り込みながら、ブランディングや海外の展示会の出展、商品のディレクション、原価構成や製造工程の改善まで担当。
堅田さんがディレクションを担当し、藤次郎の職人と他社の金属プレス加工の職人が組んで開発した包丁「ORIGAMI」は、世界的なデザイン賞「iFデザイン賞」で、プロダクトデザイン賞を受賞した。
これをきっかけに他社からの相談が増えたこともあり、2014年に独立してKATATA YOSHIHITO DESIGNを設立。燕三条に拠点を置くさまざまなジャンルのものづくり企業と仕事をしてきた。
堅田さんが藤次郎と高級箸メーカーのマルナオ、洋食器メーカーの山崎金属工業の3社をつなげて生み出したナイフとフォークのシリーズ「脇差」は、これも世界的に評価の高いデザイン賞「red dot design award 2017」で受賞している。
感じていた課題
これだけの実績を持ちながら、堅田さんは三条市で「コト・ミチ人材育成スクール 第1期」が開校することを知ると、迷わずに受講を決めた。
それは、自身の足りない部分を自覚していたからだ。
「原価計算して利益の出し方を考えるとこまではやっていました。でも、経営に関する知識はなかったし、販促管理費の扱いや仕入れなども詳しくありませんでした。
一番弱かったのは、お客さんとの接点、導線作りです。新しくていいものを作ったのに、なかなか思ったようにお客様への訴求ができなかった。それが課題だとすごく感じていたので、中川さんからヒントを得たいと思っていました」
堅田さんは、前のめりで受講した。中川が課題図書を挙げればその場でネット書店から購入し、すべてに目を通した。授業で聞いたことはその日のうちに咀嚼するようにした。
さらに、コトミチの教科書『経営とデザインの幸せな関係』を読み込んで、自分の過去のプロジェクトからその時に携わっていたプロジェクトまで、片っ端から中川さんが説く商品開発やブランディングの手法に当てはめた。
「受講料の15万円は小さな金額ではないですよね。でも間違いなく、僕は誰よりも『経営とデザインの幸せな関係』を熟読したし、中川さんから学んだプロセスを使って繰り返し検証をしたり、実際の仕事でも使い倒したので、そう考えると安いものです」
強みを活かしたアイスクリームを開発
堅田さんが自身の能力を高めること以外にコトミチの効果を実感したのは、講座でチームを組んだ燕市のアイスクリームメーカー、第一食品の山田寛子さんとのやり取り。
コトミチの大きなテーマのひとつが事業者とクリエイティブ人材の間に共通言語を作ることだが、コミュニケーションの前提となる教科書と共通言語があったからこそ、山田さんとのプロジェクトが進んだと振り返る。
それまで食品を手掛けたことがなかった堅田さんは、山田さんと一緒に、講座で学んだフレームに従って業界内での第一食品の位置づけ、強み、弱み、課題などを分析した。
そのうえで、「OEM中心だったのでオリジナル商品を強化したい」という要望を実現するために、大手メーカーにはまねできず、強みを活かした新しいアイスの開発を始めた。
「業界を企業規模でABCに分けると、A、B群に入る企業とC群の企業の境目は全国に2万店あるセブンイレブンと取引できる能力があるかどうかなんです。
第一食品はC群のなかでも企業規模は上位で、C群のメーカーとしては珍しく、アイスモナカを作る設備を持っていました。そこで勝負しない手はないという話になりました」
そして、A、B群の企業とC群の下位の企業にはできないアイスを目指した。
「今回は、国産の果実にフィーチャーしました。国産の果実は数が限られているので、A、B群のメーカーは手を出しません。C群の下位のメーカーは生産個数が少ないので、国産の果実を入手できても単価が高くなってしまう。
第一食品さんなら国産の果実を使いながら、ある程度価格も抑えられるんです」
30万個出荷の大ヒット
ここまでを定めるのに時間がかかり、講座を終えてから、本格的な商品作りが始まった。その過程で、ものづくりの現場に詳しい堅田さんの経験が活きた。
全国で売られているモナカの皮を作る金型の98%は、愛知県の豊橋市にある某企業が作っている。そこに依頼したところ、最初はうまく金型ができず、堅田さんも現場に向かって交渉に当たった。
味の開発にも関わった。フルーツそのものの美味しさを活かすために「上白糖じゃなくて、さとうきび糖を使いましょう」と提案。
既存のモナカアイスは男性向けが多いことにも着目。ターゲットを女性に絞って「甘すぎない、優しい味のアイスクリーム」というコンセプトで、パッケージもあえてアイスのビジュアルは出さず、かわいらしさを意識した。
こうして生まれたのが、アイスモナカ「みもな」だ。「みもな」というネーミングは、中川との会話から決まったという。
「中川さんにモナカアイスを作っていると話したら、『どういう歴史でモナカという名称になったかの知ってる?』と聞かれました。
僕は知らなかったのですが、中川さんがその場で調べてくれて、水面に映る満月を詠んだ和歌のなかにある『今宵ぞ秋のもなか(最中)なりけり』という言葉が語源らしいよと教えてくれたんです。それで、水面に映る最中の月から、みもなにしようと決めました」
構想から1年半、2017年2月に発売されたみもなは発売初年度で30万個を出荷する大ヒットを記録。
コトミチと教科書から学んだ「中川メソッド」をフル活用することで手にした成果だった。
広がる仕事の幅
みもなのヒットで堅田さんのもとには食品メーカーからの問い合わせが急増した。しかし、堅田さんはほとんどを断っている。「売れる商品を作ってほしい」という依頼が多いからだ。
第一食品の場合は、中川のメソッドに則って課題を解決するために何をすべきかを分析した結果として、みもながある。そういう過程を無視して、売れる商品を作ってと言われても、堅田さんにとっては「わかりません」と答えるしかないのだ。
その一方で、地元のモノづくり企業との仕事の幅はどんどん広がっている。
2017年7月にオープンした藤次郎のオープンファクトリーでは、ロゴや商品のデザインだけでなく、お客さんの見学導線まで設計して空間をデザイン。
また2018年4月に開店したサンドウィッチ専門店「Sandwich Box」や、同年7月に開店した美容室「LIMLESS」では、空間デザイン、店舗での店員のコミュニケーションのデザインも含めて、総合的にプロデュースした。
堅田さんは空間デザインの専門家ではないが、ここでも中川メソッドを使っている。
「お客さん自身がどうなりたいかという部分から整合性の取れた形で詰めていけば、自ずとどういう空間が必要になるか浮かび上がってきます。
例えばオープンファクトリーの場合、どういうお客さんに、どういうふうに見てもらえば、購入のきっかけになるかを考えて、最適化された見た目にしていくんです」
「そのうえで、お店に立っているひとりひとりの対応次第でブランドの評価が変わってしまうので、コミュニケーションの内容や方法も提案します。これは、中川さんが教えてくれた最後の部分ですね。どういうふうにしたらお客さんに響くのかを考えろ、という」
振り返ってみれば、お客さんとの接点づくり、コミュニケーションこそ、堅田さんがコトミチの受講前に自身の課題に感じていたことだ。コトミチを経て、その部分にも自信を持てるようになったということだろう。
佐賀では物流もデザイン
今取り組んでいる案件のひとつに、佐賀の豆腐メーカー・平川食品工業さんのコンサルティングがある。もちろんこのメーカーは、第一食品と同じように商品開発ありきではなく、課題をどう解決するか、というところから始まった。
今回、コンサルをしていて立ちはだかったのは、物流の壁だ。豆腐は生もので賞味期限の成約が厳しい。さらに、単価は安いが物自体に重さがあるため、物流コストが高いという現実があった。そこで堅田さんは今回、物流の課題にも取り組んでいる。
もはやクリエイティブディレクターやプロダクトデザイナーの仕事の領域を超えているようにも思えるが、堅田さんは前向きにとらえている。
「あらゆる選択肢を考慮して筋の良い道を選ぶという意味では、経営も物流もデザインなんですよね。僕はもともと、クリエイティブやデザインに関係のなさそうなことはできないし、自分の仕事ではないと思っていたんです。でも、コトミチの受講や中川さんとの出会いを通して、デザインという視点で幅広く応用できる思考の『型』を学びました」
彌彦神社に宿泊施設を
コトミチをきっかけに、堅田さんは「自分にはできない」「自分の仕事じゃない」という自分でつくった枠を壊すことができた。そうすることで、窮屈に閉じ込められていた自分の能力を解放することができたのだろう。
ものづくりに始まり、食品の開発、空間やコミュニケーションのデザインにまで手掛けている堅田さんは近い将来、宿泊施設を作りたいと語る。
中川がよく口にする「ブランドとは世界観」という言葉を考えた時に、その世界観を表現する手段として、宿泊施設には「すべてが詰まっている」からだ。
「最近、彌彦神社(蒲原郡弥彦村)のまわりに宿泊施設が欲しいと思っているんです。この神社は新潟の人にとってすごく特別な場所で、雰囲気も最高なんですよ。
神社の周辺は寂しい感じになってしまっているけど、あそこにひとつ、旅の目的地になるような素敵な宿泊施設ができたら地域が変わる気がします。もし、僕がなにかしら関われるのであれば、ぜひやりたいですね」
大阪のデザイン事務所でいち社員として働いていた頃の堅田さんはきっと、「ホテルを作りたい」と話す今の自分の姿を想像すらできなかっただろう。
思考の「型」を手にした堅田さんは、同時に自由も手に入れたようだ。
<取材協力>
堅田佳一(かたた よしひと)さん
https://katayoshi-design.com
大学卒業後、大阪のデザイン事務所に勤務。
現場でのものづくりを学ぶためその後、新潟県燕三条でメーカー企画・開発・デザイン部門に勤務。
その後2014年にKATATA YOSHIHITO DESIGNを立上げ。
現在、決算書の読めるクリエイティブとして企業全体のブランディング業務などを中心に、個別のデザイン業務も行なっている。
プロダクトから空間まで「Red dot design award」「iF design award」「Good design award」等、受賞歴多数。
文:川内イオ
写真:菅井俊之