奄美「大島紬」を支える伝統技法「泥染め」とは。泥にまみれて美しくなる不思議
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日本でつくられている、さまざまな布。染めや織りなどの手法で歴史を刻んできた布にはそれぞれ、その産地の風土や文化からうまれた物語があります。
「日本の布ぬの」をコンセプトとするテキスタイルブランド「遊 中川」が、日本の産地と一緒につくった布ぬのを紹介する連載「産地のテキスタイル」。今回は奄美大島の伝統染織「大島紬(おおしまつむぎ)」を支えてきた技法「泥染め」がテーマです。
奄美の伝統染織「大島紬」とは
大島紬とは、鹿児島県南方にある奄美群島の伝統工芸品。深い黒に加え、緻密な染めと織りの技術で知られる、日本が誇る絹織物の最高峰のひとつです。
その大島紬にとって重要な工程である「泥染め」の歴史はとても古く、正倉院の書物の中に“南方から赤褐色の着物が献上された”という記述があるほど。1300年前にはすでに奄美では文化として根付いていたと言われています。
そんな、名実ともに日本の伝統工芸品である「大島紬」。その泥染めを担う染工房・金井工芸さんを訪ねるため、鹿児島市から海を越え南に370キロ。奄美大島に向かいました。
大島紬の伝統色は山の恵み「テーチ木」から
泥染めの染料づくりは、奄美で「テーチ木」と呼ばれる車輪梅(しゃりんばい) の木を、工房の職人さんたちが山から切り出すところから始まります。
チップ状にした車輪梅600キロほどを大きな鉄かごに入れ、工房内の大釜で2日間に渡って煮出します。
その後煮汁を寝かすこと数日間。煮出してから1週間ほどかけてようやく泥染めの染料ができあがります。
大島紬には欠かせない。天然の染め場「泥田」
大島紬の泥染めをはじめ、様々なブランドの依頼で泥染めを手がけてきた金井工芸の創業者、金井一人社長。
車輪梅の煮汁で褐色に染められた糸や生地たちは、工房の裏手に設えられた天然の染め場である「泥田」に運ばれます。
泥田の底を踏み込みながら、攪拌させた泥に生地を深く潜らせ、こするようにして泥をすり込む。奄美の土壌に多く含まれる鉄分と、車輪梅の染料に含まれるタンニンが化学反応を起こすことで、生地は少しずつ大島紬の伝統色「大地の色」に染まっていきます。
大島紬の深い黒を生み出すためには、車輪梅と泥の染めが80〜100回ほど施されると言います。
奄美大島の泥は、とても粒子が細かくなめらか。この粒子のキメ細かさがあるからこそ、奄美の泥染めは生地や糸を傷めることなく、美しくそしてしなやかに染めあげることができるのだそうです。
また、泥染めを施すことで、その天然成分により防虫効果や、消臭作用も生まれます。
産業としてだけではなく、自然の恵みと先人たちの知恵から生まれた奄美大島の泥染め。1300年以上ものあいだ受け継がれてきたその文化を知るほどに、この島だからこそ生まれた偶然と必然を見つけることができました。
大島紬の未来。新たな色を創造するギャラリーショップ
二代目・金井志人さんの代から始まったギャラリーショップには、長く重厚なその泥染めの歴史とは対照的に、軽やかで鮮やかな「草木染め」のストールをはじめ、様々な染めのプロダクトが並びます。
大島紬という伝統染織における泥染め文化を守りながらも、国内外のクリエイターとともにその文化に新しい色を重ねるようにスタートしたこの取り組み。この工房の新たな魅力となるとともに“奄美の染め”の魅力を再発見することができます。
奄美大島に群生する蘇鉄(ソテツ)をイメージした布
金井工芸のある奄美大島。この島はその自然の豊かさから東洋のガラパゴスと称され、南国特有の植生はもとより、手つかずの原生林が多く残っています。
中でも奄美大島に多く自生する蘇鉄(ソテツ)は、昔から泥田の鉄分が少なくなってくると、その葉っぱを浮かべることで、泥田に鉄分を補う役目を担ってきました。まさに、鉄を蘇らせる植物、なのですね。
今回、ブランド「遊 中川」が金井工芸さんとつくったテキスタイルは、大島紬の古典模様にも使われてきた蘇鉄をモチーフに、大胆な大柄で表現されています。
「ソテツ」のテキスタイルシリーズ
金井工芸さんとつくった「ソテツ」のテキスタイルから、「遊 中川」オリジナルのバッグやストール、ネックレスが生まれました。奄美の島々を囲む海やものづくりの背景を思い浮かべて、ぜひ手にとってみてください。
〈掲載商品〉
奄美草木染め・泥染め ソテツ (遊 中川)
※在庫状況はHPでご確認いただくか、店舗までお問い合わせください。
<取材協力>
金井工芸
http://www.kanaikougei.com/
鹿児島県大島郡龍郷町戸口2205-1
0997-62-3428
文:馬場拓見
写真:清水隆司