アート界注目の鹿児島「しょうぶ学園」立役者 福森伸さんに聞く、才能の見つけ方
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あなたの才能はなんですか?と聞かれて即座に答えられる人が、どれくらいいるだろう。
「現代を生きる僕らは、受け取る情報が多すぎて自分が何に適しているかさえ、すごく悩みます。
こうなったら人が喜ぶだろうとか、自分が評価されるだろうという欲もある。
だからブレたりよそ見したりして、悩む。僕らはそういう『障がい』を持っているんです」
そう語るのは福森伸さん。知的障がい者支援施設「しょうぶ学園」の施設長です。
しょうぶ学園といえば、施設内の工房から生み出される独創的な作品が高く評価され、海外でも展示会を行うなどアート界注目の存在。
「ですがもともと、自分たちのつくるものをアートとは呼んでいませんでした。
彼らのことも、はじめは何度教えてもなかなかできないな、と思っていたんです」
彼ら、とは作り手である施設の利用者たち。
彼らの生み出すものとどう向き合うか、その「視点」こそが、福森さんやスタッフ、そして学園を変えていきました。
「これをアートと思うかゴミと思うか。どう受け取るかは、その人の人生を左右するぐらい、大きな見方の違いだと思います」
取り組みを続けて30年。福森さん自身が体験してきた「才能の見つけ方」を伺います。
しょうぶ学園のものづくりとは
鹿児島県鹿児島市にある学園には、工房から生まれたプロダクトを一般の人も買えるお店が併設されています。
「こうした作品を『発見』するのが、スタッフの一番の仕事です」
工房に常駐するスタッフは、作り手15人に対して5人という具合で、ものづくりをサポートします。
「発見とはつまり、完成をこちらで持つ、ということ。彼らがバッグにしようと思っていないものを、こっちが勝手にバッグにするんですから」
実はこの、スタッフと利用者が両輪になったものづくりこそが、しょうぶ学園の核心。
しようと思っていない、とはどういうことなのでしょうか?
「彼らにとってものづくりは、毎日『快適』を続けていくっていう状態なんです」
快を求めて
しょうぶ学園の工房は「布」「木」「土」「和紙」と素材別に分かれています。利用者はいずれかの工房に所属して、日中ものづくりを行ってます。
「入る工房を決める時、いくつかを体験してもらうんですが、彼らはひとつ気に入ったところが見つかると『ここでいい』と言うんです。他を経験してなくても」
気にいっている、自分の気力・体力にフィットしている。そこから逃れない方がいいことを本能的に知っているのだと、福森さんは言います。
「身の丈を知っているという感じです。
いわゆる僕ら『健常者』には、自分の「身の丈」を知っているにも関わらず、そこから逸脱して冒険して、チャレンジしようとする能力があります。
一方で彼らは一度決めたら同じ場所で同じことをずっと続けている。それは粘り強いんじゃなく、それが『快』だからなんです。心地いいから手を動かす」
「僕らはその行為をいただいて、バッグに縫い付けたり、ブローチにしたりしている、というわけです」
完成の悲しみ
出来上がったものはスタッフが値段を決めて販売。
ところが作品が大きな賞をとっても、商品としてよく売れても、作者本人は完成品に、ほとんど関心を持たないと言います。
「僕はそれを『完成の悲しみ』と呼んでいます。
僕らがよく使う言葉は『完成の喜び』ですよね。苦労して我慢して努力して、終わった時にヤッター!となる。
でも、彼らにとってはものづくり自体が楽しいこと。「快」が終わるのは、悲しいですよね。
ちょうど旅の終わりみたいな感じ。旅行に行って帰ってくるバスの中、もうすぐ家に着く頃に『あぁもう1泊したかった』と思う、そんなものづくりしてるんです。それって素晴らしいなと僕は思います」
実はこれも、はじめから出来たことではないそう。
「自由にしてもいいんだよ、と材料を手渡すと、はじめはみんなちょっと呆然とするんですよ。言われたとおりにするのが当たり前だったから。何か言われるのを待つんです。
でも言われなくなると、ちょっと自分なりのことがはじまる。
否定されないから次へ行ってみる。そうするとだんだん周りの顔色を伺うことがなくなってきて‥‥」
ものづくりに目覚めていく。そういう才能は、障がいがあるからこそ生まれるものなのでしょうか、と思い切って聞いてみると、福森さんはきっぱりと答えました。
右脳と左脳
「僕はそうじゃないと思います。誰もが持っているものです。でも、自分でそれをピックアップされないようにガードしているんです、僕らは」
なんと、自分でガードしてしまう。
「アートに関していうと、左脳の働きが障がいになるんです。邪魔をする。
他者からの評価はこう、常識的にはこう、と周囲も見た上で自分の表現をセーブするということ、誰でもあるんじゃないでしょうか。利用者が行なっているのはそういうしがらみのない、右脳型のものづくり」
「一方で生産するという行為には、左脳が必要なんです。原価を計算して、未来の目標を定めて、ペース配分を考えつつゴールにたどり着くという、職人的やり方ですね」
ということはその左脳部分を担うのが‥‥
「スタッフというわけです。これは服にできそうとか、ちょっと台を整えたらうつわになりそう、とか考える」
「利用者は快という中で何かを生む。僕らスタッフは喜怒哀楽しながら『創意工夫』をしてプロダクトに仕上げる。
彼らは直感を、僕らは知恵を生かすといったところでしょうか」
これが、しょうぶ学園のものづくりを生み出す、スタッフ・利用者の「両輪」。
しょうぶ学園が20年以上の時間をかけて見つけ出してきた道です。
「何度教えてもなかなかできない」日々
福森さんが創設者である両親から事業を引き継ぐために学園で働き始めたのは1983年。
当時は現在のような工房はなく、大島紬や縫製や刺し子の下請け作業が行われていました。
「でも、下請けは相手のニーズに応えて、相当の報酬を頂くという関係で成り立つもの。
彼らには希望する報酬額や、見合う仕事量を計算することは難しい。そもそも、自分の意思でその仕事に自分の時間を費やそうと思っているだろうか?」
疑問に思った福森さんは「それなら学園独自のものを作ろう」と、自ら木の工房を立ち上げます。
福祉も木工も全くの未経験。「スーパー素人」と自身を振り返る福森さんは、鉋の研ぎ方から我流で覚えながら、利用者と一緒に学園内の家具づくりをスタート。
少しずつ学園オリジナルの「売れる」ものを目指したものづくりを始めました。
ところが、なかなか「思った通り」のものが仕上がらない。
表面が傷だらけのうつわ、縫い物を頼んだのに刺繍のかたまり‥‥必ずいくつかは「不良品」が出てきてしまう。
「何度教えても、なかなかできない」
そう思いながら、それでも試行錯誤すること10年。ついに福森さんは「普通の商品」づくりを諦めます。
「もともと差が激しい人たちに対して『標準』を求めると、そこに満たないというマイナスが生まれてしまう。それではなんのためにやっているのか、わからなくなる」
「自分の思うものづくり」を諦めた福森さんに、変化が訪れます。いつもの「不良品」を、美しい、と思う瞬間が増えていきました。
「自分だけでなく、周りのスタッフにもそういう意見が上がって。だんだん確信を持って行きました。
もちろんはじめは知名度もないし、売れません。
でも、売り物にはならないけど、非常に面白いことをする人達だと思えるようになってきたんです」
従来のものづくりも続けながら、そうした「常識からはみ出しているけれど面白いもの」を製品や作品として発信していくうちに、その一つが展覧会で入選。一躍、学園の名前が世に知られることになります。
コツは左脳をちょっと遅らせること
「要は、僕らは『傷でもものづくり』。
『普通のもの』を作っているうちは、木の表面に傷をつける人はものづくりに適さない。
ならばそのアウトサイドに転がったものこそ、我々にしか出来ないものづくりなのではないかと、思うようになったんです」
だから彼らのつくるものは今も昔も変わらない。こっちの見方が変わっただけ、と福森さん。
でも、左脳的スタッフが、どうやって右脳的ものづくりの美しさに気づいていったのでしょうか?
「見方を変えるコツは『左脳をちょっと遅らせる』ことです。
何が美しいか、は人それぞれ。でも左脳で見ると、その美しさに気づく間も無くゴミだって思うからね。
どう遅らせるか、言葉では教えるのは難しいけれど、スタッフとはよく話します。ものを見ながら、どう思う?って率直に感想を伝え合う。
「一瞬でもキレイ、面白いと思った気持ちが大事です。あとはどうやったら製品になるかは、こっちの腕次第ですよね。
そうして世に送り出したものが評判になると、ああ間違っていなかったんだと自信がつく。
その繰り返しでだんだん、スタッフたちも自分の好き嫌いを言えるようになっていくんです」
そのためには、かつての福森さんがそうであったようにスタッフも「スーパー素人」であることが大事、と言います。
スーパー素人集団 しょうぶ学園
実は工房スタッフの多くがものづくり未経験者。学園に入社して、初めて道具の使い方から覚えていくと言います。
「利用者の彼らは手を抜かないからね。一緒に取り組むスタッフも、技巧に走ったりせず、素直に手を抜かずにつくることが大事なんです。
だから慣れや欲のない、でも一生懸命に手を抜かないスーパー素人であることが大切」
「そうしてゼロから覚えて作っていく中で何を感じたか、その体験を手放さないことで、利用者の感性に目覚める力が育っていって欲しいと思います。
スタッフにとっても、ここが学校なんです」
こうあるべき、これが正しい、という枠を外した先に見出した光。
福森さんのお話を聞いていると、自然と「私も何か作ってみたい」という創作意欲が湧いてきます。
「現代はものを作る人が非常に少ないですよね。
でも原始の時代、道具を作らなければ僕らは獲物を獲れなかったように、ものづくりは人間の根元にあるものだと思います。
ものをつくることは、生きることなんですよ」
次回、それぞれの工房でどのように「生きた」ものづくりが行われているか、普段は入れない工房の中もお邪魔して、学園の様子をお届けします。
<取材協力>
社会福祉法人太陽会 しょうぶ学園
鹿児島県鹿児島市吉野町5066
http://www.shobu.jp/index.html
文・写真:尾島可奈子
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