京都「りてん堂」の活版印刷を支えるデザインの力

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京都・一乗寺。京都造形芸大や恵文社一乗寺店などを筆頭に、ここ数年京都のカルチャータウンとして注目を集める人気のエリアだ。

その恵文社と通りを同じくして、7年前、曼殊院(まんしゅいん)通りに暖簾を掲げたのが「りてん堂」。ガラス張りの大きな窓から見えるのは、今はもう製造されていない日本製の活版印刷機。

このひとつの印刷機が、グラフィックデザイナー・村田良平さんの人生を大きく変えることとなった。

りてん堂

りてん堂は、グラフィックデザインと活版印刷を手掛けるデザイン事務所兼店舗。村田さんは、雑誌や広告などのデザインに軸を置きながら、名刺やはがきなどの活版印刷の仕事もこなす。

店主の村田さん。グラフィックデザインと活版印刷の“二刀流”
店主の村田さん。グラフィックデザインと活版印刷の“二刀流”

活版印刷との出会い、そして突然の独立

もともとは編集プロダクションのグラフィックデザイナーとして働いていたという村田さん。ある日、家の近くにあった活版印刷所を訪ねたことをきっかけに活版の魅力にはまり、週末を中心に通うようになった。

ところが通い始めて数ヶ月ほどたったある日、村田さんは印刷所の廃業を告げられる。

廃業を決めた「加藤第一印刷」の加藤さんはその時80代後半。時代とともに活版印刷の需要が激減するなか、街の印刷所としての役割は十分に果たしたと言えるだろう。

そこから村田さんのめまぐるしい日々が始まる。印刷所の建物はすぐに次の引き取り手が見つかり、2ヶ月で退去が決まった。村田さんは活版印刷を、「商業印刷としては時代遅れだけれど、使い方を考えれば残していける技術」だと感じていた。

そしてとにかく「この印刷機と活字を残したい」という一心で、大学の教授や知り合いの出版社など、思いつく限りの当てを訪ねて京都中を奔走する。

しかし、ついに引き取り手は現れなかった。

6~70年前のものと推測される活版印刷機。日本ではもう製造されていない
60~70年前のものと推測される活版印刷機。日本ではもう製造されていない
りてん堂の活版印刷機
りてん堂の活版印刷機

そこで村田さんは、この「チャンドラー」と呼ばれる印刷機と活字を引き受けることを決意。同時に、会社を辞めてグラフィックデザイナーとして独立することも決めた。

そしてなんとか今の物件を押さえ、チャンドラーと膨大な量の活字を迎え入れた。すべて2ヶ月の間のできごとである。

りてん堂にある活字
村田さんが引き取った活字の一部。書体はもう製造されていない「河本精文社」製
村田さんが引き取った活字の一部。書体はもう製造されていない「河本精文社」製
活字と活字の間に詰める「インテル」。文字以外の部分をこの板で埋めていく
活字と活字の間に詰める「インテル」。文字以外の部分をこの板で埋めていく
組み上げた状態の活字とインテル。余白を計算しながら大小のインテルを詰めていく
組み上げた状態の活字とインテル。余白を計算しながら大小のインテルを詰めていく

「60歳くらいになったら、活版印刷でも始めようかな、と思っていました」

と、どこかのんびりとした口調で語る村田さん。しかし実際は30代後半にしてそれを実現することとなった。

活版印刷所に通うようになり、自身で店を始めるまでの数ヶ月は「記憶がない」と言うほどめまぐるしい日々だったそうだが、将来的にグラフィックデザイナーとして独立したいと思っていた村田さんは、「ちょうど独立を考え始める年齢。ある意味いいきっかけだった」と語ってくれた。

りてん堂 村田さん

実はこの活版印刷機、印刷所に3台あったうち保管されていた1台で、迎え入れるまで動くかどうかもわからなかったという。ただ、もらい手がいなければ活字とともに捨てられる。最後は「考えている時間もなかった」と、とにかく守りたい一心で無我夢中に動いていた。

専門の職人もいないなか、引き取った後は周囲の手を借りながらメンテナンスを行った。結果として、印刷機は再び息を吹き返したかのように動きだし、修理と補修を繰り返しながら、今も村田さんと二人三脚で歩みを続ける。

製造したのは中馬鐵工所という最盛期の活版印刷機メーカーで、アメリカの「チャンドラー & プライス」社のモデルを参考にしたと言われている。60~70年前のものと推測されるが、資料が残っていないため詳しい年代や製造過程などはわからない。

ただ、確実にいえるのは、もう製造はされていないということと、止まってしまっても直せる保証はないということだ。

それを毎日メンテナンスしながらでも、村田さんがこのチャンドラーで表現したいものとはなんなのか。

中馬鐵工所の活版印刷機

一乗寺の磁場に引き寄せられるように

たまたま物件を見つけた一乗寺でグラフィックデザイナーとして独立し、活版印刷もゼロから始めることになった村田さん。最初は加藤さんに印刷のことを教わりながら、店の名刺やハガキなど、小さな印刷物からスタートした。

りてん堂のショップカードの版。最初は小さな印刷物からスタートした
りてん堂のショップカードの版。最初は小さな印刷物からスタートした
屋号の「り」は再生を、「てん」は平面デザインの最小単位をあらわしている
屋号の「り」は再生を、「てん」は平面デザインの最小単位をあらわしている

すると、窓から見えるチャンドラーに引き寄せられた近所の人が一人、また一人と訪れるようになり、りてん堂は一乗寺界隈で注目の的に。そのうち地元の人が名刺や印刷物を注文するようになり、徐々に口コミなどで広がり、メディアにも取り上げられた。

今では遠く東京からも名刺を作りに訪れる人もいるほど、人気の活版印刷所だ。

活版印刷の様子。今では近所で馴染みの光景となった
活版印刷の様子。今では近所で馴染みの光景となった
一枚ずつ手差しでテンポよく紙を差し込んでいく
一枚ずつ手差しでテンポよく紙を差し込んでいく
ローラーが版にインクをのせていく
ローラーが版にインクをのせていく
活版印刷
活版印刷
ローラーが上に通り抜けていき、インクの乗った版と紙が合わさって印刷される

折しもりてん堂が店を構えた2012年頃の一乗寺は、恵文社一乗寺店を中心に、カフェや雑貨店、洋菓子店などが集まる注目のエリアとなっていた。曼殊院や詩仙堂といった名刹も近く、恵文社を目指してくる学生や通りがかった観光客など、さまざまな人が行き交い、より多くの人にりてん堂の名は知られるようになった。

ただ、単に人通りが増えただけでは活版印刷の需要は上がらない。単にめずらしがるだけなら、継続的に名刺を注文したり、一乗寺まで足を運んだりはしないだろう。そこには村田さんにしか出せない風合いや、印刷物としての表情がある。

デザインの心得があってこそ、活版印刷がいきる

村田さんの活版印刷の神髄はどこにあるのか。

村田さんは、りてん堂の活版印刷の商品を「デザインの会社が片隅でやっている印刷物」と位置づける。軸はあくまでグラフィックデザインだ。

りてん堂 村田さん

活版印刷の原理は版画と同様で、まずは紙に刷るための「版」を作る。文字を印刷する場合は、一文字一文字の活字を抜き出して並べ、さらに活字と活字の間にインテルと呼ばれる板を詰めていく。文字と文字との「行間」にあたる部分だ。

このインテルにも全角、半角があり、活字の大きさに合わせてパズルのように版を埋めていく。ここで重要となるのが「デザイン」の知識。余白の取り方や行間のバランスひとつで、印刷物の表情は大きく変わってくる。シンプルであればあるほど、紙面全体のバランスを見極めるセンスが要求されるのだ。

活字を組んでいく
活字を組んで版に

グラフィックデザインにおいて、レイアウトを厳しく教え込まれる会社に勤めていた村田さんは、「PC上でやることを実際に手でやっている」と、活版印刷の組版に対しても意外にすんなりなじめたという。

活字

店には村田さんが実際に手掛けたカードや便せん、メモ帳などが並ぶ。その一文字一文字を目で追ってみれば、ただ単に文字を並べただけでは表現できない、村田さんのメッセージが読み取れるだろう。

例えば、指切りげんまんの場面を表したメッセージカード。そのカードの隅っこに、そっと添えられた思いもよらないメッセージ。最後の言葉と隅っこにある正直な気持ちまでの余白が、遠い過去と現在との距離、時間の経過を感じさせる。

村田さんの作品

また、「断腸の想いです」「失念しておりました」など、文字だけでは読み取れない紙の表情も、イラストと組み合わせたり、色紙を用いたりすることで、静謐(せいひつ)な佇まいの中に軽やかさを感じさせるデザインに仕上げている。

村田さんの作品

グラフィックデザイナーらしいポストカードも見つけた。「あまだれ」と呼ばれる記号活字「!」を用いて雨の様子を表現した力作だ。もちろん、大量の「!」をひとつひとつ版として手作業で組み上げている。

これがPCなら「!」をひたすら画面上に並べるだけ。文字間の調整も数値を入力すれば数秒でできる。ただ、それをオフセットで印刷しても、この風合いは表現できない。紙に圧力をかけて印刷された大量の「!」が雨の強さを思い起こさせ、その中に踊る文字とともに、より雨の日の楽しさを伝えてくれるのだ。活字とデザインでメッセージを伝える、村田さんだからこそできる表現だろう。

村田さんの作品

受け身にならず、「印刷」を発信する

「印刷は受注するのが基本。そうではなく、印刷を使ってどんどん発信していきたい」と村田さんは言う。

それを体現したのが、三条富小路の「ギャラリーH2O」で開かれた個展『白ヲ読ム、』(2016)と『明ヲ読ム、』(2017)だ。

『白ヲ読ム、』では、前述したように組版の上で重要となる「余白」に焦点を当てた展示で、文字通り「行間を読む」ことの大切さを教えてくれた。『明ヲ読ム、』では行間の対照、つまり「文字」に焦点を置いた展示を行った。

和紙を用いた作品も
和紙を用いた作品も

マルシェなどの屋外イベントでは、小さな活版印刷機でワークショップなども行い、子供や若い人にも活版印刷の魅力を発信。注文が入ってから初めて印刷するのではなく、活版印刷を“表現するためのツール”としてとらえ、さまざまなメッセージを伝えている。

イベントで活躍する小型の活版印刷機。こちらも近所の方から譲り受けた

りてん堂だからできる、活版印刷の表現とは

村田さんは「文字を扱う印刷が活版」と話す。

それは「文字を使って表現する」ということ。その表現のために、まずは言葉選びが重要となる。限られたスペースの中で言葉を表現しようとすれば、無駄な要素が淘汰されるのは必然だ。

名言や名著などに隠された言葉の意味を調べ、抜き出す。そうやって言葉の純度を高めていく。そんな過程を経て選び抜かれた言葉だからこそ、見る者の心に刺さるのだろう。

そしてその言葉をより豊かに表現するために、村田さんの「デザイン」が存在する。

活版印刷による作品

「活版印刷の基本的な文字組みに、どれだけデザインの要素を足していけるか」。文字を使った表現にグラフィックデザインという表現が加わり、初めて村田さんの持つ世界観が形となる。このどちらが欠けても、りてん堂の印刷物は完成しないのだ。

誰に頼まれたわけでもなく、印刷の未来を考える。

DTPとしてのグラフィックデザインを学んでいた村田さんが活版印刷に出会い、加藤さんの情熱や技術に触れ、気が付くと無我夢中になってすべてを受け入れていた。「工夫すればこの技術は残せる」という、自分の直感だけを頼りに。

そして時代に取り残されたこの印刷機を、どうすれば現代にアップデートできるのか。そんな壮大な問いの答えを、村田さんは「デザイン」という手段を用いて今日も模索し続けている。

りてん堂

<取材協力>
りてん堂
京都府京都市左京区一乗寺里ノ西町95
075-202-9701
http://www.eonet.ne.jp/~retendo/

文:佐藤桂子
写真:桂秀也

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