日本酒のための「樽」づくり。継承する女性職人の目指すもの
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ものづくりの現場では、その場所ならではのさまざまな「音」を耳にします。
紙を漉く、木槌で叩く、土を練る、鉋(かんな)で木を削る。
そうしたときに職人の手から生まれる音は、彼らが積み重ねてきた経験と技の凄まじさを雄弁に物語っているようで、迫力があり、圧倒されることもしばしばです。
そんな、熟練の職人の「音」に魅せられ、新たな世界に挑戦している女性がいます。
日本酒を美味しくする「酒樽」づくりを継承する女性職人
日本有数の酒どころ、兵庫県 東灘区。
ここで江戸時代から受け継がれているのが、木製の酒樽づくりです。
当時は、純粋に運搬用として用いられていた酒樽ですが、樽木の香りや成分によって、入れていた日本酒が美味しくなることが分かってきます。
樽に寝かせることで木香がつき、美味しさがプラスされた日本酒「樽酒」。
その「樽酒」をつくるために受け継がれている木製の樽づくりですが、職人の数が減少し、安定した生産を続けることが年々難しくなってきています。
そんな酒樽づくりの現場に、「どうしてもやってみたい!」と飛び込んできたのが、荒井千佳さん。
荒井さんは今、菊正宗酒造が設立した「樽酒マイスターファクトリー」で、来場者の案内をしながら職人としての修行に励んでいます。
※樽酒用の酒樽づくりの詳細についてはこちら:菊正宗の樽酒工房で知った、酒をうまくする樽ができるまで
「音」に誘われて樽職人の道へ
出会いは菊正宗の蔵開きイベント。樽づくりの実演に心を奪われます。
音大でピアノを学んでいたという彼女の印象に残ったのは、樽づくりの音でした。
「鉋(かんな)を振っている音が、ものすごく自分に響いてきたんです」
その時実演していたのが今の師匠たち。その姿に感動すると同時に「自分にもできそうだと思った」という荒井さんは2017年11月、菊正宗の門を叩きます。
当時、菊正宗では樽酒の存続が危ぶまれる中で、3人の樽職人を自社に雇い入れ、樽酒マイスターファクトリーをオープンしたタイミングでした。
これからは自社で職人も育てていく、そう決めており、当然社内にも後継者候補の人材はいましたが、まさか外部から女性が新たにやってくるとは誰も思っていなかったようです。
「こんなに変わったやつ、他に来ませんよ」と、師匠のひとり田村さんは嬉しそうに話します。
なり手が少ない樽職人の世界に、若い人がやってきてくれる、しかも並々ならぬ意欲を持って。両者にとって喜ばしい状況ですが「自分にもできそう」という荒井さんの考えは、すぐに覆されることになります。
ひよっこからのスタート
「お酒が入る前の樽自体はさほど重くないだろうし、細かい作業は女性の方が向いているのではないかと思っていました」と話す荒井さん。
しかし、いざ樽づくりに取り組んでみるとそれまでの経験はまるで通じませんでした。
「思った以上に力が必要でした。それも腕ではなく、指先の力が。正直、自信はあったのですが、まったくダメで、ひよっこ扱いでしたね」
樽を固定するために、細く割った竹を輪っか状に結ってつくる「箍(たが)」という素材。この「箍」づくりの工程の、竹を割る段階でまず挫折します。
「竹の扱いを教えてくれる師匠は、ものの30秒で竹を割っていくのに、私は初めてのとき1時間半もかかりました」
自分からすると、お父さんと呼んでもおかしくない年齢の師匠との力の差を思い知らされます。
「腕立て、腹筋、スクワットは毎日やるようにと言われています。さぼっていると、それが明確にでるのですぐにバレてしまう。
樽をつくることそのものよりも、毎日自分を鍛え続けることの方が大変かもしれません。
師匠たちもいまだに筋トレをしていて、休憩部屋でダンベルをあげたりしているのをよく目にしています」
最後は“勘”を磨くしかない。よくできた樽は記念に撮影
もちろん、腕力とともに、繊細な感覚、技術も必要です。
「師匠からは『指一本、この長さ』というように言われます。その目安をつかむのが難しい。
師匠の手と自分の手はぜんぜん大きさも違います。師匠のその幅は、私だとどうなのか、探し出さないといけません」
職人といえば“見て学ぶ”ことを基本として、あまり口では教えてくれないイメージがありますが、荒井さんの師匠たちは、自分たちが修行時代にそうされたのが嫌だったようで、弟子には丁寧に教えることを心がけているのだとか。
とは言え、最終的には“勘”がすべての世界。明確にここは何cmといった指標があるわけではないので、自分の手で感覚を掴んでいかなければなりません。
「自分の中で、目方がぴたっと合って、綺麗にできたな!という樽は、思わずスマホで写真を撮ってしまいます」
師匠の「音」を目指して
弟子入りしてから1年以上。
「毎日が本当に楽しい」と荒井さんは言います。
「伝統を引き継ぎたいとか、そんなことは抜きにして、ただ純粋に、樽に触っているときが楽しくてしょうがない。
この先何十年とやっていきたいし、将来子どもを産むことがあっても続けたいです」
そして今の大きな目標は、師匠に認めてもらうこと。
「師匠の樽は、つくっている時の音が違う。全然違う。聞いていて、悔しくなってきます」
自分の樽の良し悪しも、途中の音でなんとなく判断がつくという荒井さん。日頃、師匠の目に見えるところで修行をしながら、その音に少しでも近づこうと努力しています。
「本当に手取り足取り教えてくれて、ほめてくれることもあるけど、本気では言ってないのがわかるんです。
いつか、本気で唸らせたい。『お、ええやん』ていう一言が欲しいですね」
30年で一人前とも言われる樽づくり。途方もなく長い期間にも思えますが、その間、常に理想を追い続け、成長を続けられる、やりがいに溢れた仕事だと感じます。
奈良の吉野杉を用い、くぎや接着剤は一切使わずに仕上げる灘の酒樽づくり。
今年、「灘の酒樽製作技術」として、「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」(国選択無形民俗文化財)にも指定され、その技術継承の機運は高まっています。
はるか先を行く師匠の背中を追いながら、荒井さんがどんな音をつくっていくのか、数年後また工房を訪ねる日が楽しみです。
<取材協力>
菊正宗酒造株式会社
樽酒マイスターファクトリー
http://www.kikumasamune.co.jp/tarusake-mf/
文:白石雄太
写真:直江泰治
※こちらは、2019年5月28日の記事を再編集して公開しました。