コルビュジエが教え、タウトが驚いた必見の近代建築が青森にある
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日本の近代建築の旗手、前川國男。東京文化会館や東京都美術館などの代表作は、みなさん一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
師事したのは、ル・コルビュジエ。あの丹下健三も前川のもとで働いていたといいます。
そんな前川國男の初作品という建築ファン必見の建物が、青森県弘前市にあるのをご存知でしょうか?
その記念すべき前川建築第1号が「木村産業研究所」です。
JR弘前駅から車で10分ほど、静かな住宅街の中に真っ白な建物が建っていました。
現在、建物1階には地域伝統の「こぎん刺し」を今に伝える「弘前こぎん研究所」が入っているので、こちらの名前で知っている人も多いかもしれません。受付に声をかければ誰でも見学することができます。
*「弘前こぎん研究所」の取り組みについての記事はこちら:「津軽こぎん刺しを広める『弘前こぎん研究所』に聞いた、『作って楽しい』伝統の守り方。」
「東京にも負けない建築だと思いますよ」
そう語る、木村産業研究所の理事長、木村文丸さんにお話を伺いました。
前川建築第1号が弘前にできたワケ
それにしても、なぜ、前川國男の建築がここに?
「私の叔父である木村隆三が依頼したのだそうです」
フランス大使館付の武官としてパリに渡っていた隆三さんは、現地で産業を研究する機関を見学し、祖父である静幽 (せいゆう) さんの遺言に従って弘前の地場産業振興のための機関を作ろうと考えていたといいます。
ちょうどその頃、ル・コルビュジエのもとで学んでいた前川國男とも知り合い、親交を深めたのだとか。
「隆三は前川より10歳ほど年上で、いわば兄のような存在。前川をパリのバーやクラブに連れて行ったり、街のあちこちを見せて回ったようです。
パリの生きた文化や街の様子に触れたことは、その後の前川の建築家人生にも少なからぬ影響を与えたのではと思います」
こうして、前川が2年間の留学から日本へ帰る船の上で、隆三さんは故郷に建設を考えていた、あの機関の設計を提案します。
「修行を終えたばかりの自分にまさか」と思っていた前川は、帰国後に正式に設計依頼を受けた際、大変喜んだそうです。
1932年 (昭和7年) 、こうして弘前の地に前川建築の第1号「木村産業研究所」が誕生しました。
「依頼にあたって、叔父は一切を任せたと聞いています。前川にとっては帰国後初の仕事。この建物にコルビュジエのもとで学んだ全てを注ぎ込もうという心意気だったでしょうね」
コルビュジエ仕込みのモダン建築
「まず、玄関の天井を見上げてみてください。これだけでも『おっ!』となるはずです」
見上げてみると、ハッとするほど真っ赤な天井。白い壁とのコントラストが何ともモダンです。
さらに建物の細部を見ていくと、竣工当時は珍しかったであろう素材が随所に使われていることに驚かされます。
「叔父は依頼の際、10万円を好きに使っていいと前川に託したそうです。現在でいえば億単位のお金です。
これを生かして前川は、当時の日本では手に入らなかったような最先端の建材を海外から採用し、思い描いた理想の建物に仕上げたのだと思います」
ブルーノ・タウトもびっくり
当時、まわりは武家屋敷ばかり。そんな中で、木村産業研究所はひときわ目立っていたはずです。
ドイツの建築家、ブルーノ・タウトは、1935年 (昭和10年) に弘前を訪れた際、どうして日本の北の果てにコルビュジエ風の建物があるのかと驚いたそう。
よほど印象的だったのか、著書『日本美の再発見』でも「コルビュジエ風の新しい白亜の建物」と書き残しています。
とはいえ、木村さんにとっては日常の風景。
「父から『優秀な建築家が作ったものだ』とは聞いていたが、この建物は自分にとっては当たり前にあるものでした。大学に進学して、読んでいた本に木村産業研究所が紹介されていて、そこで大したものなのだと見直したくらい」
それほどこの建物は、時を経て弘前の人々にとっても馴染み深くなったということなのでしょう。
この研究所をきっかけに、前川はその後も弘前で数々の建築を手がけ、現在弘前では8つの前川建築を見ることができます。
その足跡を感じられるよう、木村産業研究所の2階には、弘前市民の手によって作られた「前川國男プチ博物館」があります。
前川國男の年表や手書きの図面のほか、市内にある8つの前川建築を写真パネルや模型などで紹介し、より多くの人に前川本人やその作品に親しんでもらおうという思いで2011年 (平成23年) に完成しました。
その2年後には、凍害で取り壊されていたバルコニーが復元。工事費の一部は、市民の募金でまかなわれたといいます。
これまでも、これからも、弘前の人々の思いで後世に引き継がれていく貴重な前川建築。「こぎん刺し」巡りと合わせて、ぜひ建築探訪も楽しんでみては。
<取材協力>
木村産業研究所
青森県弘前市在府町61
文:岩本恵美
写真:岩本恵美、船橋陽馬