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奈良一刀彫とは。「一刀」に込められた意味と歴史とは

奈良一刀彫(羽衣)

奈良を代表する工芸品、奈良一刀彫。奈良人形とも呼ばれています。勢いよくノミで彫り上げる一方、繊細で華やかな彩色が施されており、豪快さと優美さを併せ持ちます。なぜ一刀彫との名がついたのでしょうか。その名が物語る歴史と現在の姿に迫ります。

奈良一刀彫とは

奈良一刀彫とは、一刀で彫り上げたような大胆なタッチと、金箔や胡粉、岩絵具などで施した彩色が特徴の木工品。ヒバやクスノキ、カツラ、ヒノキなどが素材に用いられる。一刀彫と名のつく工芸品は他地域にもあるが、通常奈良のものを指して一刀彫とするのは、その起源に理由がある。

一刀で彫られたかのような荒々しいタッチは、何種類もの刀で生み出されている

ここに注目。手を加えすぎないのは清らかな証

一刀彫の起こりは奈良を代表する神社・春日大社の祭礼「おんまつり」の田楽に用いられた神事用の人形であり、その歴史は平安時代にまでさかのぼる。神に捧げる人形は清浄を第一と考える。それゆえに人の手を極力加えていないことを、一刀で彫ったかのような見た目に表した。荒々しい風合いは、その神事と関わる発祥のルーツに端を発していたのだ。

室町時代には、祭礼時に「五ツ人形」「三ツ人形」とセットで飾られ、祭礼が終わると「五ツ人形」は大乗院・一乗院門跡へ、「三ツ人形」は身分の高い僧へ分配されたという。

奈良一刀彫といえばこの3人

◯神事用の人形から工芸品への転換点を作った岡野松壽

こうした神事用の人形が次第に市井の工芸に至るまでには、彫師の存在が欠かせない。まず興福寺所蔵の「檜物座」 (ひものざ。中世、曲物 (まげもの) を製造・販売した座) が技を伝え、江戸時代に入り、西御門檜物師平右衛門が「岡野松壽 (おかのしょうじゅ) 」を名乗って神事用の人形に忠実に奈良人形を作り始める。これが、人々が手に取ることのできる工芸品としての一刀彫の始まりだったとされる。

岡野松壽の名は受け継がれ、代々「春日有職 (かすがゆうそく。春日大社が任命した彫刻師) 」としてその後明治の13代に至るまで、その技法を伝承してきた。いわば奈良人形の宗家的存在である。

◯名工、森川杜園

岡野松壽の中でも特に名高い、9代目の保伯 (やすひろ) 、10代目の保久 (やすひさ) の二人の作品を研究し、奈良人形を芸術の域にまで高めた、と言われるのが江戸末期に登場する森川杜園 (もりかわとえん) (1820―1894) だ。画技・狂言・調芸に通じ、松壽に限らず、正倉院を中心に古記古物の模写を極め、一刀彫の新境地を開いた。

動物、中でも鹿の制作を得意とし、1893年のシカゴ万国博覧会には73歳で『牝牡鹿 (めすおすじか) 』の大作を出品している。吉野如意輪 (にょいりん) 堂の扉や、法隆寺九面観音 (かんのん) 像の模造も有名。今も贋作が多く出回り、蒐集家を一喜一憂させている。

◯「一刀彫」の名付け親、水谷川忠起

古くから奈良人形として親しまれてきた人形が「一刀彫」と呼ばれるようになったのは、明治に入ってからのこと。春日大社宮司の水谷川忠起 (みやがわ ただおき) が、奈良人形が一つの刀で彫ったかのような風合いを持つことから名付けた。

奈良人形が人間のための玩具ではなく神にお供えするものであることから、なるべく人の手に触れずに仕上げ、穢れていないことを暗に意味している。

奈良一刀彫の歴史

一刀彫り(干支の子)
一刀彫のもう一つの特徴、鮮やかな彩色。近年ではこのような干支の飾り物も人気だ

◯古代の人形の使われ方、奈良人形の起源

古くから人形は信仰的・呪術的な意味合いを持ち、祓いに使われるものが一般的だったと考えられている。紙で人の形をかたどった「形代 (かたしろ) 」や「人形 (ひとがた) 」、平安時代の宮中で幼児の傍に置かれていたはいはい人形の「這子 (ほうこ) 」などがその最たる例だ。

奈良人形の起源もこうした信仰に関わる。平安時代後期、五穀豊穣と平和を祈って奈良の春日大社で行われる祭礼「おんまつり」の田楽能に用いられたのが始まりと言われており、笛吹笠や盃台を飾ったのが奈良人形だった。

◯室町時代 「にんぎょう」という言葉が広まる

「にんぎょう」という言葉が一般的になったとされるのは室町時代中期。本来は身の穢れや災いの身代わり、信仰的な意味を持つものだったが、次第に子どもの遊び道具や愛玩の対象となっていく。

例えば、雛人形もその一つだ。その起源とされるのが、平安時代のままごと遊び「ひひな遊び」。こうした遊びと信仰行事とが徐々に融合し、公家の間で雛遊びが俗習として年中行事に取り入れられるようになり、さらには武家へと伝わっていったと考えられている。江戸時代の太平の世を迎えると、その風習が町人たちの間にも広まり、華やかな雛祭りへと発展していったという。

こうして信仰的な要素だけでなく、愛でるもの、鑑賞するものとして人形が親しまれるようになった。

◯江戸時代 奈良一刀彫創始

江戸時代には、岡野松壽家が現代へと続く奈良一刀彫の礎を築いた。初代の平右衛門が神事用の祭具を作るかたわら、当時やや粗い造りとなっていた神事用の奈良人形に工夫と改良を重ねていったという。奈良一刀彫の技術とともに岡野松壽の名は受け継がれ、明治の13代まで続いた。

◯明治時代 芸術品として花開く

奈良人形を芸術品にまで高め、その名を広く知らしめたのは、森川杜園による功績が大きい。杜園は、絵、彫刻、狂言に造詣が深く、1877年 (明治10年) の第1回内国勧業博覧会に『蘭陵王 (らんりょうおう) 』『鹿 (しか) 』を、81年の第2回には『竜灯鬼』を出品し、妙技一等賞を得た。

また、「一刀彫」の名が付いたのもこの頃だ。明治維新後、最初の春日大社宮司となった水谷川忠起が名付け、神事に起源があることから、できる限り人の手を加えずに、一刀で彫り上げたかのような風合いに仕上げることが尊ばれた。

現在の奈良一刀彫

今でも身近な奈良一刀彫といえば、雛人形や干支人形。伝統を受け継ぎながらも、マンション暮らしや和室のない住まいといった現代の生活様式にも合うよう、その姿はコンパクトになったりモダンな彩色になったりと今様に変化を遂げている。

<関連の読みもの>

不景気のときは優しい顔 時代を生きる奈良人形

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関連する工芸品

人形:「日本の人形、その歴史と魅力。」

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奈良一刀彫 おさらい

◯素材

ヒバ、クスノキ、カツラ、ヒノキ

◯主な産地

奈良県

◯代表的な作り手

・岡野松壽

・森川杜園

<参考>

『世界大百科事典』平凡社

『日本国語大辞典』小学館

『日本大百科全書』小学館

日本人形玩具学会誌第15号 岡本彰夫「奈良の人形」 (2004)

岡本彰夫『大和のたからもの』淡交社 (2016)

是澤博昭『決定版 日本の雛人形 江戸・明治の雛と道具60選』 (2013)

奈良国立博物館「特別陳列 やまとの匠 近世から現代まで」 (1996)

皆川美恵子『雛の誕生 雛節供に込められた対の豊穣』春風社 (2015)

<協力>
奈良一刀彫 髙橋 勇二氏
https://ittoubori-takahashi.com/