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丸亀うちわとは

一本の竹から涼をとる、暮らしの中の工芸品

丸亀うちわの基本情報

丸亀うちわとは、香川県丸亀市で生産されるうちわのこと。
1997年に経済産業大臣指定の伝統的工芸品に指定された。年間1億本以上生産され、日本国内シェアの9割を占める。一本の竹で柄と骨が作られているものが多い。

  • 工芸のジャンル

    竹工品

  • 主な産地

    香川県丸亀市

夏の風物詩であり、暮らしの道具として古くから親しまれてきた、うちわ。その国内シェアトップを誇るのが香川県丸亀市です。

この地で作られるうちわは「丸亀うちわ」と呼ばれ、江戸時代からさまざまな形や図柄のものが作られてきました。今回は、「丸亀うちわ」の歴史と一大産地となった背景を探っていきます。

※夏に嬉しい日本のうちわ

<目次>
・ここに注目。なぜ日本一?
・うちわの形は3種類
・金毘羅参りの「渋うちわ」
・丸亀うちわの歴史
・ここで見学できます「丸亀市うちわの港ミュージアム」

ここに注目。なぜ日本一?

「伊予竹に土佐紙貼りてあわ (阿波) ぐれば讃岐うちわで至極 (四国) 涼しい」と歌い継がれる、丸亀うちわ。丸亀の地は、「竹」を伊予 (愛媛) 、「和紙」を土佐 (高知) 、「糊」を阿波 (徳島) と、うちわ作りに必要な材料すべてを近くで揃えられるという恵まれた場所だった。

金毘羅参りがブームとなった江戸時代半ばには、お参りのお土産品として「丸金」印の渋うちわが大人気となり、うちわの生産量を押し上げた。さらに、江戸後期になると、藩士の内職としてうちわ作りが定着。その後、丸亀藩が財政難に陥った際には下級武士の内職として藩が奨励したこともあり、うちわ作りは丸亀を代表する一大産業となった。

明治時代には技術革新により大量生産に適した形が生み出される。さらに大正期に入ると機械化の波が押し寄せたことにより、一気に生産スピードも加速。うちわの産地としての名をゆるぎないものとした。

うちわの形は3種類

丸亀うちわは柄によって主に3種類に分けられる。

現在、丸亀うちわの主流となっているのが、竹を割って平らに削った柄の「平柄うちわ」。

平らに削る技術が広まるまでは、竹を丸い状態のまま柄にしたうちわが多く、細い竹や笹で作ったものを「女竹丸柄うちわ」、太い竹で作ったものを「男竹丸柄うちわ」と呼ぶ。丸亀うちわを代表する「丸金」印の渋うちわは、男竹丸柄うちわの一つだ。

金毘羅参りの「渋うちわ」

丸亀うちわといえば、赤い紙地に「丸金」印の渋うちわ。1633年 (寛永10年) に金毘羅権現の別当である金光院の住職、宥睨 (ゆうげん) が金毘羅参りのお土産として考案したと言われている。天保年間 (1830年〜1843年) には金毘羅参りが一大ブームとなり、軽くてかさばらない「丸金」印の渋うちわも大ヒットとなった。

金毘羅参りの土産として販売されていた「丸金」印のうちわ
金毘羅参りの土産として販売されていた「丸金」印のうちわ
現在でも金毘羅宮の参道で販売されている「丸金」印のうちわ。機械で量産のできる樹脂製のうちわが主流となっている
現在でも金毘羅宮の参道で販売されている「丸金」印のうちわ。機械で量産のできる樹脂製のうちわが主流となっている

丸亀うちわの歴史

400年の歴史を持つ丸亀うちわの起源

丸亀うちわの歴史は古く、400年以上の歴史を持つ。その源流は、竹を丸いままの状態で柄にした「丸柄うちわ」。最も古い記録では、1600年 (慶長5年) に丸亀の僧侶が九州を旅した際に一晩の宿のお礼にうちわ作りを教えたとあり、江戸時代初期には既にうちわ作りの技術が丸亀で確立していたことがうかがえる。熊本の「来民うちわ」は、この出来事がきっかけとなり、誕生したと言われている。

徳川家光時代の1633年 (寛永10年) 頃には、金比羅宮 (ことひらぐう) 参拝の土産として、天狗の羽うちわにちなんだ「丸金」印の朱赤地渋うちわ (柿渋が塗られたうちわ) が売り出され、人気を博した。渋うちわは太い竹を使った「男竹丸柄うちわ」であったが、その後、天明年間 (1781~1789年) になると、細い竹を使った「女竹丸柄うちわ」の技術が伝わり、藩士の内職としてうちわ作りが一気に広まった。

さらに天保年間 (1830年〜1843年) に入ると、丸亀藩が財政困難の対策として下級武士の内職にうちわ作りを奨励したことにより、地場産業として定着していく。安政年間 (1854年〜1859年) には、年間80万本もの丸亀うちわが生産されていたという。

明治期の丸亀うちわ

明治時代には、大阪の商人たちの手によって海外へと輸出されることも。当時、「奈良うちわ」を参考にした「男竹平柄うちわ」がたくさん作られ、丸亀うちわの主流となった。「男竹平柄うちわ」が広まった背景には、丸柄うちわよりも作るのが簡単で大量生産が可能であったことが挙げられる。

丸亀うちわの工業化と、竹うちわの衰退

大正時代には機械化が進む。1913年、発明家の脇竹次郎が「切込機」と「穴開け機」を開発し、平柄うちわの大量生産が可能になった。また、これらの発明機械を、産地の業者に開放し自由に使えるようにしたことで、生産量が大きく拡大。国内シェアの8〜9割を占めるようになり、日本一のうちわ生産地としての地位を確立した。

脇竹次郎氏が発明した「切込機」により大量生産が可能となった。現在の手作りうちわの製作工程でも使用されている
脇竹次郎氏が発明した「切込機」により大量生産が可能となった。現在の手作りうちわの製作工程でも使用されている

一方で、時代とともにうちわの需要にも変化が見え始める。太平洋戦争後、扇風機や冷房機器などの家電製品が各家庭に普及すると、生活用品としてのうちわから広告宣伝用としてのうちわの需要が高まった。現代でもよく見るような、企業名や商品名を入れたうちわが増え、生産の追い風となった。

昭和時代に入り印刷機が発明されたことによって、広告や販促物に活用されるようになった
昭和時代に入り印刷機が発明されたことによって、広告や販促物に活用されるようになった

時代による変化は原材料にも影響を与えた。1967年に丸亀で本格的にポリうちわの製造・販売が開始されるようになると、伝統的な竹うちわの生産量は激減していく。1968年には5490万本もの生産量があった竹うちわだったが、3年後の1971年には2400万本と半分以下に激減し、現在では生産量の85%をポリうちわが占めている。

ここで見学できます「丸亀市うちわの港ミュージアム」

丸亀うちわのことが知りたければ「丸亀市うちわの港ミュージアム」へ。丸亀うちわの歴史や作り方が学べる展示をはじめ、職人による実演コーナーや体験コーナーも。伝統の技を間近で見学したり、うちわ貼りの体験をしたりと、丸亀うちわを堪能できるスポットだ。丸亀だけでなく、全国各地のうちわの展示もあり、地域ごとに多様なうちわを見ることもできる。

丸亀市うちわの港ミュージアム

香川県丸亀市港町307−15

0877-24-7055

https://marugameuchiwa.jp/facility

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