小さな人形に込められた技術と想い……埼玉 津田人形の衣裳着雛作り

怪我や病気から守られますように。

幸せな人生を送れますように。

雛人形は、子どものすこやかな成長を願って飾られます。

できればそれは、親から子への想いを紡ぐ媒介として、時代を超えて愛される、いつまでも飾りたくなるものであってほしい。

そんなことを考えて生まれた、「草木染めの衣裳着雛飾り」。

染織ブランド アトリエシムラで染めた草木染の裂(きれ)を用いて衣裳着(いしょうぎ)雛人形を仕立てたのは、江戸節句人形の作り手、「蓬生 津田人形」。

埼玉 川越にある津田人形の工房を訪ねて、人形の制作工程やものづくりについて伺いました。

一枚の裂から着物を作り上げる。衣裳着人形づくりの裏側

人形の土台に彫りこまれた溝(木目)に布を入れ込んでいき、人形のかたちに沿って衣裳を貼り重ねていく「木目込み人形」。それに対して「衣裳着人形」は、縫製した着物を、本当に人間が着るように人形の胴体に着付けて作るお雛様です。

「最初に寸法を取って裁断してね、縫製して、着せてみて、おかしな部分があれば寸法を調整する。そんな試作を何回も繰り返して、イメージ通りのお人形に仕上げていくんです」

そんな風に話してくれたのは、津田人形の二代目 津田有三さん。同じく人形師だったお父様(初代 津田蓬生)の手伝いからこの世界に入り、60年以上も人形作りに携わってきました。

津田有三さん(二代目 津田蓬生)
和紙で作る型紙。新しい人形を作る際には、一から寸法を割り出して、調整しながら作成していく。小さなお人形を作るために、非常に多くのパーツが必要

まずは着物に必要なパーツを割り出し、型紙を作成。次に「袋貼り」と呼ばれる方法で紙の四辺にのり付けをして、裂に貼り付けていきます。

「全体をのり付けすると、人形がこわばっちゃうんでね。特に今回の裂は絹の紬ですよね。それを活かすために、自然なシワが出る方がいいので、うちではこのやり方で貼っています」(有三さん)

型紙の四辺に、木の板のような道具で丁寧にのり付けをして、裂に貼っていく「袋貼り」
できるだけ裂が無駄にならないように。かつ、衣裳にした時にグラデーションや模様がきちんと見えるように、この段階で計算して貼り付けていく。長年の経験のなせる技
よどみない手つきで、すーっと裁断していく

裁断が終わると、裂に裏地をつけていき、そしてミシンで縫製して着物に仕上げていく工程へ。

数多くのパーツを、人形に着せたときの色柄の向き、体とのバランスなども考慮に入れながら縫製していきますが、その設計図は有三さんの頭の中にのみ存在します。

小さい人形の着物、襟の部分が特に難しい
いくつものパーツを縫製し、男雛の衣裳が仕上がっていきます

衣裳着雛の常識にはない、「次郎左衛門」をベースにした手描きの顔

雛人形のお顔ですが、木目込み人形であれば手書き、衣裳着人形の場合にはガラスの入れ目、というのが一般的になっています。

ただ、今回中川政七商店が実現したかったのは、写実的な印象が強いガラス目のタイプではなく、もう少し柔らかで、素朴な表情のお雛様。

そこで、衣裳着人形ではあるものの手描きのお顔での制作を検討し、中でも「次郎左衛門(じろうざえもん)」と呼ばれる、元禄時代に考案されたお雛様のお顔をベースにすることを決めました。

丸っこい輪郭に、細い筆で目や口を描き入れて作られる、柔らかな表情が印象的なお顔です。

頭(カシラ)と呼ばれる人形の頭部に関しては、衣裳づくりとは別に専門の職人さんが存在します。今回、その制作を担当してくれたのは、人形づくりの産地 岩槻にある大生人形。

「カシラのことならなんでもできるように、体制を整えています」

と、大生人形の代表で、自身も伝統工芸士として頭づくりに携わる大豆生田さんは話します。

大生人形 大豆生田 博さん(雅号:大生峰山)

大生人形は元々、手描きではなくガラスなどの入れ目の頭を得意としていた工房でした。しかし、産地である岩槻の中でも、手描きができる職人がどんどん少なくなっていき、このままではいずれ作れる人がいなくなってしまうという状況に。

そこで大豆生田さんは、専門の職人から技術を学び、自社でも手描きのカシラを手がけられる体制を整えました。

薄い墨を少しずつ、塗り重ねて顔を描き入れていく。それによってグラデーションが出て綺麗に仕上がるとのこと

「次郎左衛門をベースにしつつ、さらに表情が柔らかいお顔になっているかなと思います。

柔らかい眉毛にしようか、少しきつめにしようか、とフリーハンドで調整していくので、小さいお顔は特に難しいですね」

一つひとつ手描きで仕上げられ、まったく同じ顔は二つとありません
現在は石膏製のカシラが主流。かつては桐塑(とうそ:桐の粉と糊を練り合わせたもの)のカシラが主流だった

「頭(かしら)づくりは、その中でもさらに分業になっていて、たとえば私は人形の化粧を担当しますし、妻は結髪といって髪を結い上げる工程をやってくれています」

頭のくぼみの部分に絹でできた髪の毛を埋めていく
本当に人間の髪の毛を結っているかのよう

結髪を担当する大豆生田さんの奥様は元々美容師をされていて、その経験から、結髪の職人としての技術も高いのだとか。

「こんな人形を作りたい」と、昔ながらの髪型の要望を受けた場合には、古い写真などを見ながら試行錯誤して再現することもあるのだそうです。

大生人形ではカシラ作りの技術をつないでいくために、職人の雇用と育成を進めています。また、先達の技術や知見をきちんと受け継いでいくと共に、CGソフトや3Dプリンターなどデジタル技術への対応も進めてきました。

「昔の技法と、最新のテクノロジーと。色々なことをやれるようにしておいて、その上で使い分けていきたいと思っています」

自ら3DプリンターやCGソフトの操作を習得したという大豆生田さん。「カシラのことはすべてできるように」その真摯な姿勢に、津田人形さんたち人形屋さんからも信頼が寄せられています

模様の位置、腕の角度、佇まい。あらゆることに注意を払う着付けの工程

舞台は再び津田人形の工房へ戻り、いよいよ人形に衣裳を着せる工程へと進みます。今回、着付けを担当するのは、縫製して衣裳を作った有三さんのご子息で、三代目 蓬生である津田周一さんです。

津田周一さん(三代目 津田蓬生)

「お人形はご覧の通りもの凄く小さいので、たとえば着物のグラデーションなんかも長さにすればほんの僅かに入っているだけだったりします。

それがきちんと綺麗に見えるように、先ほど父がやったように縫製をして、着せる時もそれを意識して丁寧に着せていきます」

人に着せるように着付けるとはいっても、サイズが小さい分、少しのズレで印象がガラッと変わってしまいます。

「ここが気になるなぁ、ちょっとここを調整してみよう」

そう言いながら何度も微調整を繰り返し、少しずつ少しずつ着物を重ねていきます。

桐の木でできた胴体に、糊や釘を用いて着物を留めながら着せていく。藁の束で胴体を作る場合もあるが、雛人形の場合、着物の枚数が多く、しっかり留める必要があるので桐の木の方がやりやすいとのこと
縫製の時と同じく、襟の部分を美しく仕上げることは非常に難しく技量を要する。少しのズレも許されない

「今回のお雛様はしっかり重ねが入っています。小さなお人形にこれだけ別々の生地を重ねて着せているので、伝統的な衣裳の着せ方に基づきつつ、中に入れる綿の量を調整して分厚くなり過ぎないように仕上げたり、色々と工夫しています」(周一さん)

腕の向きなど、何度も微調整して姿勢を決めていく
頭(かしら)は接着せず、中に詰めてあるい草に差し込んで固定する
有三さん曰く、「着せてはじめて人形の衣裳が分かる」とのこと

着物の模様の見せ方だけではなく、ぴったり着せるのか、少しゆとりを持たせるのか。そんな事も考えながら着付けていきます。

常に新しいものを作り続ける、津田人形のDNA

今回のように新しい人形を作る際、完成形のイメージやサイズを聞いてから、実際の人間の体を基準に計算して、寸法を割り出していくのが津田人形のやり方。

「うちの場合、人間の身体ありきで計算して、寸法を割り出していきます。なので、人間が取れるポーズのお人形は、大体どんなものでも作れるんです」

と、周一さんは話します。

効率や速さを求める場合、決まった型紙で同様の人形を作り続ける方が理にかなっています。

そうではなく、いわばフリーハンド的に、寸法の割り出しからおこなう津田人形のスタイルは、有三さんのお父様、初代 津田蓬生から受け継がれているものなのだとか。

「うちの父は関西の人形屋の息子なんです。早くに両親を亡くしてしまったので東京に出てきて、そこで蓬玉(ほうぎょく)さんという方に弟子入りして、筋が良かったので蓬生(ほうせい)という屋号をいただいて独立します。

東京が焼け野原になってしまったので、疎開先を経て埼玉に工房を構えました。

師匠の蓬玉さんもとても器用な方で、創作人形的なものも含めてありとあらゆるものを作っていて、父もその流れを受け継いだんですよね」(有三さん)

「それに加えて、祖父は自分でもっと勉強しなければと思ったらしく、当時上野界隈にいた彫刻家や画家の人たちのもとにも通っていたらしいんです。

それが他の人形師とは違う、ユニークな基礎を作り上げたのかなと。おかげで私たちも今、なんでも作るスタイルでやれているのかなと思います。

祖父も父も、本当に色々なものに興味を持つんですよね。たとえば黒澤映画なんかを観て、『あの奇抜な見た目の武者を作ってみようか』なんてことがよくありました」(周一さん)

そんな津田さん達だからこそ、「こんなものできませんか?」と様々な人形の依頼が日々舞い込んできます。

60年を超えるキャリアを持つ有三さん。まだまだ人形作りへの情熱は衰えていません。

「ある頭(かしら)を見て、この顔にはどんな人形が合うかな、なんて考えて。浮世絵風の顔ならそのようにしてみようかって、息子に相談したりして。時代に合わないよって言われることもあるけど、やっぱり作りたいものを作る。その喜びが無いと。

そして作った人形を皆さんに見ていただいて。そういうのが楽しいですよね。

職人って、決まったものを作ることが多いと思うんだけど、私の場合は違うものを作ってみたいというのがあって。今回も、次郎左衛門の顔で作りたいって聞いて、変わってるなぁと思ったけど(笑)、嬉しかったですね」(有三さん)

そんな有三さんの気概を、周一さんもしっかりと受け継いでいます。

「僕も、なるべく色々なものをやって、技術や経験を蓄積していくのがいいかなと思っています。

この業界も、不況というのもありますが、変化しているタイミングですし、昔と違ってどこにお客さんがいるのか分からない。今回のお話をいただいたように、新しいものを作るチャンスがあるなら、どんどんチャレンジしていきたいと思います」

好奇心にあふれ、新たな挑戦を厭わない二人。その話を聞いているだけで、こちらも前向きな気持ちになることができました。

代々受け継がれてきた人形作りの技術と知恵、そして新しいことに挑戦する姿勢を糧に、津田人形のものづくりはこれからも続きます。

文:白石雄太
写真:奥山晴日

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