職人の指先から生まれる「小宇宙」。ガラス職人と『宇宙兄弟』、未知の世界への旅路
「ガラスって、透明感があって、ツヤがあって綺麗なんです。でも、それだけじゃない、もっといろんな魅力や可能性が秘められている。日々ガラスと向き合う中で、その可能性を探究しています。偶然性の中にある美しさもそのひとつでした」
そう語るのは、菅原工芸硝子のガラス職人、松浦健司さん。
2026年夏、松浦さんが長年研究を続けてきたガラスの表現技術「void(ボイド)」と、人気漫画『宇宙兄弟』が交差し、新しいガラスの酒器「吹きガラス 月地盃(つきちさかずき)」が誕生しました。
約10年にわたる技法への探求、この酒器が生まれるまでの道のり、そして期せずして宇宙へと繋がったものづくりへの思いを千葉・九十九里の工房で伺いました。


「宇宙の空洞」を意味する名前、偶然性。
松浦さんが「void」と名付けた表現技法を開発し始めたのは、今から約10年前のこと。
目指したのは、「ガラスの表面に凹凸のテクスチャーを施し、新たな風合いと独特の陰影を引き出す」というアプローチでした。
ガラスの中に気泡を閉じ込めるために使われる重曹。松浦さんは、この重曹をガラス表面の加工に活用しようと考えます。
「最初は重曹をガラスのパウダーに混ぜて試したのですが、ガラスが割れてしまったり、シワシワになりすぎたり、気泡が抜けなかったり。試行錯誤を繰り返しました」
ひと口に「重曹」と言っても、食品用から掃除用まで粒子の大きさは千差万別。理想の「クレーターのような凹凸」を求めて粒子を調べ、独自のやり方にたどり着いたのは、職人として15年以上の歳月を重ねた頃でした。

ボイド(void)とは、宇宙科学の分野で「宇宙の空洞」を意味することば。完成したガラスを見たときに、松浦さんが直感的に感じた「宇宙」のイメージがこのことばと結びつき、この技術を用いたシリーズの名前となりました。



「ガラスが丸く膨らむとき、凹凸も自然の摂理のままに丸く自由に広がっていくんです。同じものは2つとなくて、その偶然性の中に最高の景色が隠れている。だから作っていて本当に面白いんですよ」

地球と月。『宇宙兄弟』のファンだからこそ迷わなかった、一瞬のひらめき
ある日、中川政七商店のデザイナーが、松浦さんの「ボイド」シリーズを見てハッと息を呑みました。そこに無限に広がる宇宙とのつながりを感じたことから、今回の『宇宙兄弟』とのコラボレーション企画が動き始めます。
企画を持ちかけられた松浦さんは、実は大の『宇宙兄弟』ファン。
「お話をいただいて、すぐさま『いいんですか?!ぜひ』と二つ返事でお引き受けしました。どんなものを作るかも、早い段階で『これだ!』と自分の中でイメージがありました。作品を繰り返し読んでいるファンなので(笑)。ボイドの技法で作る、地球と月。迷いはありませんでした」



金属光沢が出る成分を含んだガラスパウダーで表面に薄い色ガラスの層を作ることで、2色の酒器が作られました。
ガラスの透明感と表面の凹凸に光が当たることによって、その時々の色合いと景色が浮かび上がります。「月」のイエローはキラキラとしたゴールドに見えることも。


「地球」は、内側から光を透かすと深いブルーから淡いグリーンへと表情を変えます。
「この盃は、外側から眺めてもグリーンには見えないんです。でも、内側からのぞき込んだ時に、まるで宇宙から見た青い地球のように表情が変わる。この透け感や影の出方こそ、職人として一番見てほしいポイントです」と、松浦さん。

職人は、アスリートのよう。「素手じゃ触れられない」ものと対峙すること
『宇宙兄弟』を読み込む中で、松浦さんは宇宙飛行士たちの姿に、自身が歩んできたガラス職人の生き方を重ね合わせていたと言います。
「吹きガラスの仕事って、製造業なんですけど、アスリートに近いんです。体調を崩したり睡眠を削ったりすると、途端に五感が鈍って、パフォーマンスが発揮できなくなる、ガラス作りが楽しくなくなる。
炎を扱うので、夏は40度を超える環境に身を置くこともあります。なので、健康な体づくりが肝心です。きっと、宇宙飛行士にも通じるところがありそうですよね」
ガラス作りができる体を維持するため、松浦さんは週末以外はお酒を絶ち、徹底した自己管理を続けています。
松浦さんにとって宇宙飛行士と職人を結びつける共通点は、他にもありました。
「人間って、宇宙に行ったら素手じゃ何も触れないでしょう。僕らガラス職人も、1000度を超えるガラスに対して、絶対に素手で触れないんです。だから、自分の手足となる『道具』をすごく大事にしていて、愛着があります」

松浦さんが入社した2000年から、26年間にわたって使い続けている一本の洋箸(ジャック)。だいぶ金属がすり減っているそうですが、松浦さんの手にしっくりと馴染んでいました。
「新しい洋箸も買ってはあるんです。でも、やっぱりこれじゃないとしっくりこない。この道具があるおかげで、指先で感じる細かなタイミングを計り、チームで呼吸を合わせて作品を生み出すことができる。道具こそが、僕たちの命綱です」
ガラスのなかに見る、自分だけの「金ピカ」
日々、1000度の炎と、素手では触れられないガラスに向き合い続ける松浦さん。その姿は、未知なるフロンティアを目指す宇宙飛行士そのもののようでもあります。松浦さんは、自身のものづくりの「核」を、こんな言葉で教えてくれました。
「ガラスの中に宇宙を感じています。宇宙飛行士が未知なる発見のために宇宙へ行くように、天文学者が新たな星を発見するために夜空を見上げるように、私はガラスの新たな美しい表情を発見するために、日々、ガラスと向き合っています。」
まだ誰も知らないガラスの魅力が、きっとある。
それを信じて、その魅力を引き出せるように自分の技術を磨く。松浦さんは「こんなに楽しいことはありません」と少年のように笑います。

作中、主人公のムッタが放った「自分が楽しんだ結果、喜ぶ人がいる」という言葉。松浦さんにとって、まだ見ぬ美しさを追い求めてガラスと対峙する時間そのものが、魂のきらめき……つまり『宇宙兄弟』でいうところの「金ピカ」なのでしょう。
日常の中で、グラス越しに宇宙を覗く

遥かなる宇宙への挑戦の物語と、炎の前で対峙し続けるガラス職人の旅。その二つの軌跡が、小さなガラスのうつわの中で静かに結ばれた「月地盃」。
職人が探り当てた「一瞬の偶然」と、そこに込められた「金ピカ」を、日々の暮らしの中で静かに眺めてみると……。そこにはきっと、あなただけの小さな宇宙が広がっているはずです。
菅原工芸硝子のクルーたち。それぞれの「金ピカ」
菅原工芸硝子で、日々ともに熱いガラスと向き合う職人のみなさん。伺ってみると、それぞれの「金ピカ」をお持ちでした。一部、ご紹介します!




<関連特集>
中川政七商店×宇宙兄弟
文:小俣荘子
写真:阿部高之