フィギュアスケートの鍵を握る靴の秘密。羽生結弦や宮原知子が頼るブレード職人を訪ねて
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羽生結弦選手と宮原知子選手では、スケート靴の「ある部分」が違う
氷上の華とも評される、フィギュアスケート。
「さんち」ではその華麗な技を生み出すスケート靴の刃、「ブレード」に注目。
1ミリの差が演技を左右するブレードの世界を覗いたら、フィギュアスケートの見方がガラリと変わりました。例えば羽生結弦選手と宮原知子選手では、ブレードの「ある部分」が違うというのです。
氷上の華を支える人
「フィギュアスケートはとても華やかなスポーツですが、裏方はもう、みんな血みどろですね。
怪我や足の故障に苦しみ、練習で泣いて。かなりハードなスポーツです」
語るのは櫻井公貴 (さくらい きみたか) さん。
年間500足もの依頼が全国から届く、ブレード研磨の職人さんです。
お邪魔した工房は、神奈川県横浜市にあるフィギュアスケート用品店の中にありました。
ここはかつて浅田真央選手やキム ヨナ選手の靴の相談にも乗っていたブレード研磨職人、坂田清治 (さかた せいじ) さんが開いたお店。
櫻井さんは坂田さんの後継者として、全日本選手権に出場するような選手から趣味としてスケートを楽しむ大人まで、スケート靴のメンテナンスを行っています。
日々スケーターと接し、彼らの苦労や悩みも共にする櫻井さんに、演技の鍵を握るスケート靴の秘密について伺いました。
氷上で体勢を美しく保つ難しさ
「トレーナーの方も、フィギュアは難しいって言います。
例えば短距離走だったら短距離、長距離だったら長距離向きの筋肉をつければいいですよね。
ですがフィギュアの場合は男子なら4分半、長い演目の合間合間に短時間でジャンプを連続して飛んでいかなければいけない。走りでいえば中距離走の途中に、短距離のダッシュが混ざるような感じです。
アウターの筋肉をつけて体が重くなっても駄目だし、体幹や、内側のインナーマッスルを鍛えることが求められるスポーツです。
たまに選手でもやるんですけど、つまずくと非常に痛いんですよ。膝を打って息ができなくなるくらいの痛みが走ります」
氷の上という特殊な環境下で、いかに体勢を美しく保ち、イメージ通りの演技ができるか。
その鍵を握るのが、スケート靴。とりわけ氷と接する刃の部分、ブレードです。
1シーズンを共にするパートナー
「靴は男女ともに色が違うだけで、中身は同じです。外側は革、靴底は樹脂でできています。女子は白かベージュ。男の子は黒ですね」
櫻井さんはブレード研磨だけでなく、選手の足サイズに合った靴選びや、ブレードの取りつけも行います。
「靴は靴、ブレードはブレードでメーカーも異なります。
靴は革と樹脂、ブレードは金属製ですから、異素材同士を組み合わせるときにバランスを見る必要があるんですね。ちょっとずつ調整しながら取りつけていきます」
1シーズンにスケーターが使用するブレードは基本的にひとつだけ。トップ選手でもふたつ持っているかどうかだそう。理由は、履いた時の感覚です。
「一足一足、同じフィーリングの靴というのは作れないんです。
靴も人の手で仕上げているので、見た目は同じようでわずかな個体差が出る。
だからたとえピッタリ同じ位置にブレードをつけても、履いた時の感覚が変わってしまうんです」
そのシーズンの滑りを大きく左右するブレード。その種類もまた、技と密接に関わっています。
スケートリンクでフィギュアスケート靴を貸してくれる理由
「たとえば一般の人が休日にスケートリンクに行ったら、貸してもらえるのはフィギュアスケートの靴なんですよ。
それは氷上の競技の中で、フィギュア用の靴が最もオールラウンドな、何でもできる形だからなんです。
フィギュアスケートではスケーティングに加えて、ジャンプ、ステップ、スピンが演目に入ってきます。
だから色々な動きに対応できるようになっているんですね」
安定して動きやすいように、ブレードも中心位置に重心がくるように作られているそうです。面白かったのがスピードスケート用の刃との違い。
「『氷上の競輪』と言われるショートトラックはほぼ左回りにしか滑らないので、わざとブレードを付ける位置を左寄りにしたり、斜めに刃を研いだりします。
刃の厚みもフィギア用は3.3~4ミリに対して、スピードスケートなら2ミリ。少しでも抵抗をなくして、タイムを競うためです」
フィギュアスケート用に絞っても、ブレードは5、6種類あるそう。見分け方のコツを教えてもらいました。ポイントは「ロッカーカーブ」と「トゥ」。
アイスダンス用の靴はトゥが無い?
「よく見ると、フィギュアスケートの刃って氷にぴったり接地しているのではなく、つま先とかかと部分は少し浮いているんです」
「ロッカーカーブといって、このカーブのきつさや取り付ける位置によって、すべりやすさや用途が変わってきます。
他にも、ジャンプやステップの際に氷をつかむ、つま先のトゥ部分もブレードによって変わります。アイスダンス専用の刃は、ジャンプを飛ばないのでトゥがほとんどありません」
「トゥが大きいとジャンプのきっかけがつくりやすく、氷を叩いたときに靴が横滑りせずにしっかり飛べるようになっているんですね。
だからジャンプ向けになるとトゥがどんどん大きくなっていきます」
羽生選手が使っているブレードはジャンプに特化している
これが選手デビューで大半の人が使うブレードです、と見せてくださったのがこちら。
「中級者向けのコロネーションエースというブレードです」
「このブレードで大体、ダブルジャンプまでは飛べる感じですかね。
ジャンプのしやすさ、スピードの出やすさ、ステップ、スピンどれをとっても全部星3つ。
クセがなくて、滑りやすさを重視したブレードです。9割ぐらいの選手が入門で使っていますね。
それから選手がステップアップして3回転や4回転ジャンプを目指そうとすると、ちょっと癖があるブレードを選ぶようになっていきます。
ステップをうまくやりたいとかジャンプを究めたいといった用途や個人の好みに合わせてブレードに変えていくんです。
日本選手でいうと、この『パターン99 (ナインティナイン) 』は、羽生くん、真央ちゃんが使っているブレードです」
「トゥが大きくなっていて氷をつかみやすい。ジャンプに特化しているブレードですね」
「一方これは『ゴールドシール』といって、トゥが小さい」
「スピンやステップがしやすいブレードです。よく滑るので、スケーティングがうまくないと使いこなせません。
キム ヨナや荒川静香さん、前回のソチ五輪で男子シングル銀メダリストのパトリック チャンが使っていますね。
ロッカーカーブもゴールドシールの方が角度がきついんです。つまり前後にグラグラ動きやすい。
見た目では分かりづらいんですが、実際に滑ると全く違うんですよ。車を替えたような違いです」
選手は自分の癖や飛び方に合わせて、先生やお店で相談してブレードを選ぶそう。
「どのブレードを選ぶかは、大きな決断です。
ブレードを変えてみたら、スケートは滑れるようになったけれどジャンプが全然とべなくなってしまったとか、そういうことが起こります」
刃の状態を整える研磨職人の仕事
選手がタイミングをはかってジャンプに飛び上がる瞬間のことを、櫻井さんは「しめる」という言葉で表していました。
「選手はジャンプのタイミングをコンマ1秒でしめていくんです。タイミングがわずかでもずれると全然飛べなくなっちゃうんです。
しめられずにジャンプが飛べないのをパンクする、とも言いますね。しめきれないと回転が足りずに降りてきちゃったり」
見た目にはわかりづらい、けれども履いたらわかる、滑ればわかる、1ミリの差が演技の成否を左右する、感覚の世界。
しかし選手の全体重を支えるブレードは、氷の上を滑れば滑るほど、摩耗してコンディションが変わってきます。
この刃の状態を整えるのが、研磨職人である櫻井さんの仕事です。
「実はブレードの刃は、U字にくぼんでいます。実際に氷の上を滑るのは、ブレードのエッジの部分なんです。
左右のエッジをよりたててあげると、氷への噛みつきがよくなります」
このエッジの具合、演技中にどう「止め」を作りたいかによっても、好みが分かれるそうです。
エッジが深いほど氷との摩擦が大きくなるのでカチッと止まりやすくなり、浅いと靴は横滑りしながら止まります。
選手でいえば羽生結弦選手はしっかりエッジを際立たせるタイプで、宮原知子選手はエッジはちょっと浅めが好みだそう。
「選手は、感覚だけで滑っています。体調やメンタルにとても左右されるスポーツです。
だから僕は、選手がいちばん気持ちよく滑れる状態の刃をイメージして研いでるって感じですかね。
自分が研いでもらったときのイメージとか、あの時はこういう感じだと滑りやすかったな、と選手だった頃のイメージを持っていることが、研磨に活きている思います」
そう、実は櫻井さん、大学時代に全日本選手権にも出場した、元フィギュアスケート選手なのです。
別記事では、選手だった櫻井さんがブレードの研磨職人になるまでのお話も交えながら、研磨の技に迫っています。
こちらからどうぞ。
<取材協力>
アイススペース株式会社
神奈川県横浜市神奈川区広台太田町4-2 ベルハウス神奈川202
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文・写真:尾島可奈子
* こちらは、2018年2月8日の記事を再編集して公開しました