庭を知ると旅の景色が変わる。世界の庭師とめぐる、山と庭園
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300年以上の伝統を誇る焼き物の町、長崎県波佐見町に世界的な庭師がいる。
世界三大ガーデンフェスティバルのひとつ「シンガポール・ガーデン・フェスティバル」の10回目となる2016年、最高賞の金賞を受賞した庭師、山口陽介さんだ。
長崎県波佐見町の造園会社「西海園芸」の二代目である山口さんは、京都で5年間修業を積んだ後、ガーデニングを学ぶため、23歳で発祥の地イギリスへ。
現地では王立植物園「キューガーデン」で1年間勤務し、2006年に波佐見町に戻ってからは、国内外で数々の受賞歴を誇る。
最近では、シンガポールの資産家から依頼を受けて現地に日本庭園を造園。南半球最大の規模を誇る「メルボルン国際フラワー&ガーデンショー」(2018年3月21日~25日開催)からも、日本人として初めて招待を受けた。
今回は、山口さんの案内で長崎と佐賀にある3つの庭を巡った。日本屈指の庭師から庭の見方、楽しみ方を教わると、そこには新しい世界が広がっていた。
「愛される庭」とは?
山口さんにとって「良い庭」とは、「愛される庭」。
庭の手入れには、お金も手間もかかる。業者が整備をしても、日々のケアは家主の仕事だ。庭の存在を面倒に感じるようになれば、放置されて荒れてしまったり、最悪の場合、代替わりの時に一掃されてしまう可能性もある。
だからこそ、「後々まで残していきたい」と思われることが必要なのだ。
「愛される庭」とはどういうものなのか。2月某日、山口さんが連れて行ってくれたのは、波佐見町の隣町、川棚町の私邸。
外見からもその大きさと品の良さが伝わってくる、築150年のお屋敷だった。ここ数年、山口さんが勤める「西海園芸」が庭の手入れを請け負っているという。山口さんいわく「このあたりでは、間違いなく一番良い庭」。
家主に挨拶し、玄関の脇から庭に向かう細いアプローチから山口さんの解説が始まった。
「まず、この細いアプローチに置かれた敷石のラインを見てください。なにげなく置かれているようで、計算された配置です。大きさも、並びも野暮ったさがないでしょ。150年前の職人のセンスを感じますよね」
庭の素人である僕には比較対象がないのが残念だけど、確かに苔むした敷石が並ぶこのアプローチには静けさが漂っている。
アプローチを抜けると、しっかりと手入れが行き届いた日本庭園が現れた。足を踏み入れた瞬間、思わず、わあ!と声を上げてしまった。
「京都の庭にもありそうな景色だよね。スッと抜けているでしょ。サラッとしているけど、間の取り方がすごくいいから、心が鎮まる。
変に豪華なものを使っていなくて、敷石もこのあたりの地の石だと思うんだけど、使う人が使えばこんなに品が良くなる。もちろん、苔の生え方も計算していたでしょう。入場料を取ってもいいぐらいの庭ですよ」
150年前の職人との対話
山口さんによると、石を置く位置、置き方、樹木や草花の選び方、植栽の位置取り、すべてが繊細に計算されているそうだ。「これを見てください」と山口さん。ランダムな形をした敷石のなかで、ひとつだけ四角のものがある。
「一枚の人工的な切り石で、この先はプライベートのエリアですよ、お客さんは手前で楽しんで、ということを暗に示しているんだと思います。プライベートのエリアには社(やしろ)があるでしょう。昔はなにかしらの垣根、仕切りがここにあったんじゃないかな。すごくセンスを感じるよね」
一枚だけある切り石の意味を読み解く。これが、山口さんの仕事でもある。
「150年前の腕の良い職人が丁寧に、センス良く作ってきた庭を手入れするのは、すごく気を遣いますよ。どこを目指していたのか、過去と対話しながら仕事をしています」。
しかし、昔ながらの庭をただ守るだけではない。「京都は、庭を昔の形のまま維持しようとします。その文化はすごいと思うけど、アップデートは少ない。僕は守るべきものは守りながら、新しいものを作りたい」と語る山口さん。成長する植栽に合わせて、自分ならではのアイデアを加えていく。
「例えば、150年前からある百日紅(さるすべり)は、僕が枝を伸ばす方向をコントロールしています。夏場、下に生えている苔を枯らさないために影が欲しいし、家に強い陽ざしが入るのを避けるためにも、枝を横に伸ばしています。
百日紅は夏に真赤な花を咲かせるから、庭に散る真赤な花びらを縁側から見て楽しむこともできる。秋には落葉するから、冬場は陽ざしを遮りません」
先人の仕事に敬意を払いつつ、庭をアップデートする。現在の家主からこの庭のすべてを任されているというのは、山口さんの仕事のスタイルが評価されているからだろう。
古文書を読み解くことから始まった庭
翌日は早朝に待ち合わせて、佐賀の武雄にある「高野寺」に向かった。
1200年以上前に弘法大師が立ち寄り、草庵を建てたという歴史を持つこの寺には、今年38歳の山口さんが自ら「三十代の代表作」と表現する日本庭園がある。寺の門をくぐると、そこには色味に乏しい冬でありながらも木々、植物の彩を感じさせる艶やかな庭があった。
「いま、庭園があるエリアはもともと何もない平地だったんです。住職からの依頼は、そこに日本庭園を造ってほしいというものでした。でも、意味のないものは作りたくない。
それで、歴史あるお寺だから古文書はないんですかと聞いたら、出てきてね。境内には石楠花(しゃくなげ)が多くあり、ほかに小滝や止観石(瞑想する場所)などもあると書かれていました。それを自分なりにくみ取って、弘法大師がここで最初に見た景色を見せたいという想いでこの庭を作りました」
依頼があってから構想2年。「すべての植栽には意味があって、ひとつひとつの配置の理由を説明できます。最低でも350年は残る技術を使った庭」が2014年の春に完成した。
「山寺だから、山の景色を作りたかった。ところで山ってなんだろうと疑問がわいて、ひとりで山にこもりました。そこで見た自然の草木、そこで聞いた川の音などを模写して、庭というフィルターに通しました」
音にも、人の心にも気を配る
まず、平らな土地に莫大な量の土を加えて、実際の山にあるような起伏を作った。庭を流れる小川の水はパイプで循環させているが、まるで庭の背後にそびえる山から流れ出てきているように見せた。
古文書にあったように小さな滝をいくつか作り、流れ落ちる高さを工夫することで水の音もコントロール。立つ場所によって違う水の音が聞こえてくる。
例えば、庭の右手に位置する茶室は、小さなせせらぎの音しかしない。それは、茶道の所作の音を邪魔しないためだ。
「音は振動でしょ。それをどう当てて逃がすか。だから、入り口に高低差をつけて、葉がついている木を多くしたり、壁で包み込むことで音が来ないようにしてるんですよ」
回廊から茶室に向かうアプローチも独特だ。
「これは亭主の気持ち、茶会に参加する人の気持ちを意識した道なんです。ラフな配置の敷石が途中から整い、土壁に挟まれた道がすーっと伸びて茶室に続く。そうすることで徐々に気持ちが落ち着いて、無意識のうちにお茶の世界に入っていけると考えました」
また、この庭園の敷石には、人の手で加工した四角の切り石が一枚だけ使われている。
「川棚の庭からヒントを得てね。ここからが山、ということを示すために人が手を入れている石を持ってきました。もちろん気づかない人が大半だけど、それは関係ない。誰かが気づいてくれたら、それが粋でしょう」
視覚的な美しさだけでなく、音や人の気持ちまで考え抜く。
そこまでしてはじめて「人に愛される庭」が作れるのだろう。花が上品に咲き誇る春も、緑が濃い夏も、紅葉が鮮やかな秋にも訪れたいと思う庭だった。
“究極”の庭
最後に向かったのは、山口さんが「究極の庭」と表現する山だった。
山口さんはいま、波佐見町近郊にある山を買い集めている。そして、一昔前に植林され、いまや使い道がなくなって伸び放題の杉を切り倒し、桜とモミジに植え替えている。これまで植えた桜とモミジは2000本を超えるが、誰かに頼まれた仕事ではない。
「将来、波佐見が陶器だけじゃ食べられなくなった時に備えて、観光名所を作ろうと思ってね。春に桜、秋に紅葉を楽しめるようにと始めたんです。
そのうちツリーハウスも建てるし、最終的にはこの山に村を作りたい。それができたら、庭師の仕事として究極じゃないですか。
花の見ごろはあと100年後ぐらいだけど、町が苦しくなった時に、あの植木屋がやりおったと言われたい(笑)」
いま植林が行われている山の頂上に立つと、山間に波佐見の町が見えた。ということは、町からもこの山が見えていることになる。いずれ、観光客だけでなく町の人たちも春にはピンク、秋には朱色に染まった山を見て、心を和ませるのだろう。
そうしてもうひとつ、「人に愛される庭」が増えてゆく。
庭師の解説を聞きながら庭に目を凝らすと、時代を超えた日本人ならではの気遣いや粋な計らいが浮かび上がってきた。
かつて栄えた工芸の町には、庭園も多く残されている。日本各地の庭園を歩いて共通点、あるいは異なる点を探してみるのもまた一興。
<取材協力>
高野寺
文:川内イオ
写真:mitsugu uehara