2020年東京五輪に向けて、世界をつなぐ着物をつくる。新潟・十日町の「すくい織」の制作現場へ
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2年後に迫る東京五輪・パラリンピック。
各地で様々な準備が進行する中、着物産業の世界でも2020年に向けて「ある企画」が進んでいます。
企画の名前は「KIMONOプロジェクト」。世界196カ国の振り袖を制作する一大プロジェクトです。
「各国をテーマとする振袖をつくり、世界との交流を深めつつ日本文化を世界に発信する」ことを目指して、日本全国の産地の作り手が参画。すでに100着の振袖と帯を完成させています。
十日町の職人が描く、アラビアの国「イエメン共和国」
着物の一大産地、新潟県十日町市もKIMONOプロジェクトに参加しています。今、まさに製作中の一着があると聞き、現場を訪ねました。
訪れたのは、伝統工芸士の市村久子さんのアトリエ。市村さんが描くのは、中東のアラビア半島南端部に位置するイエメン共和国です。
イエメンは、紀元前8世紀頃から7〜8階建ての高層建築が500棟ほど密集するシバームの街や、人が住むなかでは世界最古の街・首都サナアの煉瓦造りの城壁、「インド洋のガラパゴス」と称される独特の動植物が生息する「ソコトラ諸島」など、歴史ある世界遺産を有する国。この国の振袖をデザインし、織り上げます。
日本一と賞賛された、市村さんの「すくい織」
市村さんは、十日町に伝わる「すくい織」という織物を約30年にわたり手がけてきた方。
すくい織とは、木製の舟形をした織機用のシャトルに緯糸 (よこいと) を通し、経糸 (たていと) をすくいながら下絵の模様を織っていく技法。色とりどりの緯糸を用いることで、絵画的な表現ができることが特徴です。
KIMONOプロジェクトを主宰する一般社団法人イマジン・ワンワールド 代表の高倉慶応さんは、市村さんの作品を一目見て、「日本一のすくい織だ!」と感嘆の声をあげたのだそう。
市村さんが織りなす色とりどりの精緻な柄は、見る者をうっとりと圧倒します。
緯糸の組み合わせだけで柄を描くすくい織。通常は部分的に柄を入れたり、パターン化することが多いそうですが、市村さんの作品は全体に絵柄の入った「総柄」と呼ばれるもの。高い技術と膨大な作業時間への根気と集中力が必要です。
この技をもってして、イエメンの独特の建物を描いたら素晴らしいものが生まれるのでは?という高倉さんの発想から、市村さんに依頼が舞い込みます。
「ただ作品を作るのも楽しいですが、県展は受賞を目指して毎年切磋琢磨する腕試しの機会としていました。無鑑査になってからは他に何か張り合いになる、力を振り絞る機会がないかなと思っていました。
お話をいただいたとき、これはやりがいがありそう!とお受けすることにしたんです」と市村さん。
こうしてイエメンの振袖は市村さんのすくい織によって作られることになりました。
さてこの振袖作り、どのように進んできたのでしょうか。
「あなたの好きなようにやってください」
KIMONOプロジェクトでは、担当する国が決まると、大使館から資料提供を受けたり、デザインを相談するなど、その国と交流しながら製作を進めています。
「イエメンの大使館を訪れて、写真をたくさん見せてもらったり、郷土料理もご馳走になりましたよ。大使夫人とお嬢さんから、イエメンの歴史や魅力をたくさん伺いましたが、最後に『あなたの好きなようにやってください』という言葉をもらいました」
「やはり特徴的な建物をメインに置いて、城壁は裾に描きたかった。それから、可愛いへんてこりんな木は入れたいなぁ、と肩に。裾には、民族衣装の縞模様を入れてみました。大使夫人が着用されていた美しいポンチョの縞を元に描いています」
イエメンについて自身でも調べ上げ、描いた図案のラフを大使館と主宰の高倉さんに提案すると、一発OK。いよいよ製作が始まりました。
1日でわずか数センチメートル!膨大な時間をかけて描かれる景色
「スタートしてからは、ほぼ休みなく毎日朝9時から夜9時くらいまで織っています。ついつい夢中になってしまうんですよね。それでも1日で進むのはほんの数センチメートル。
やりたくてはじめましたが、こんなに細かい柄は初めて。それに、織物はなだらかな曲線は描きやすいのですが、建物などの縦線を描くのはすごく難しいんです。建物ばかりだから大変!
先が見えず、終わるんだろうかと不安になったり、大好きな機織りが嫌いになっちゃったらどうしよう?なんて思ったこともありました (笑) 」
「糸を解いてやり直す作業は時間がかかってしまうものなので避けたいんですが、建物の窓のところで失敗してしまって‥‥。でも間違うと次はできるようになっている、そういうのが嬉しいですね。自分への挑戦です」
砂漠の雰囲気を出したい!
絵画のように描くすくい織。市村さんのこだわりは、モチーフ選びやレイアウトのみにとどまりません。
「糸を染めて、試し織りをしてみて、何か物足りないなと感じました。砂漠の雰囲気を織込めないかな?と思ったんです。それで、あれこれと探して『野蚕糸 (やさんし) 』に出会いました。緯糸4本に一度入れてみたら、砂の感じが出てイエメンらしくなってきました」
織物なのに自由に描けることが魅力
改めて市村さんにすくい織の魅力を伺いました。
「すくい織は、経糸が1色で、下絵を元に緯糸で柄を描いていきます。決められたものをひたすら織るのではなく、経糸の上で自由に絵が描ける織物なんです。
そして織ったところは全て手前に巻き取っていくので、終わるまで全体像が見えない。全て織りあがった時に、『どうなっているのかな?』と初めて作品の姿が見えるのもドキドキして楽しいものなんですよ」
自分が着たいものを、大使母娘に似合うものを
普段、着物の図柄を考えるときは自分が着たいと思うものを描くのだそう。今回はそれに加えて、大使館で出会った大使夫人とお嬢さんに似合うものにしたいという思いがあったという市村さん。
「イエメンの方は日本人とは違った肌の色やお顔立ちなので、その魅力と調和する色合いを考えてデザインしました。
今年の天皇誕生日の祝賀行事で、大使夫人がこの振袖を着てくださるというお話もあるようなんです。それまでに仕上げねば!と、必死です」
長い時間をかけながら市村さんが夢中に織るイエメンの振袖。できあがるまで全体の姿が見えないので、様子を想像してうずうずしました。早く見てみたい!今から完成が楽しみです。
KIMONOプロジェクト
http://piow.jp/kimonoproject/
文:小俣荘子
写真:廣田達也(一部画像提供:KIMONOプロジェクト)