たおやかな曲線の美。春を招く木瓜の花
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特集「産地のうつわはじめ」
日本五大紋がモチーフの、春を招く縁起のいい花
モダンでありながらどこか懐かしさを感じるこのかたち、ある花がモチーフとされています。
それは、平安時代に中国大陸から日本に渡ったとされる「木瓜(もっこう)」。日本では代表的な家紋のひとつとして、使用する家も藤に次いで2番目に多いのだとか。
木瓜型は、子孫繁栄の象徴でもある鳥の巣を表現したものといわれます。神社の御簾の帽額(もこう)に多く使われた文様から「もっこう」と呼ばれるようになりました。
美しいデザインと、有田焼ならではの多彩な色使いが食卓に花を添えてくれます。
「有田焼」のはじまり
江戸時代の初め、朝鮮人陶工・李参平らによって有田町の泉山で磁器の原料となる陶石を発見し、日本で初めて白磁のうつわを焼いたことから「有田焼」が始まったと伝えられています。透き通るような素地の白さと、繊細で華やかな絵付けが特徴です。
「有田焼」の特徴は大きく3つ
一般的にいわれる伝統様式は、藍一色で伸びやかに描かれた「古伊万里様式」、余白を生かした絵画的な色絵の「柿右衛門様式」、染付・色絵・青磁の技法を駆使した「鍋島藩窯様式」の大きく3つに分けられます。
磁器と陶器のちがい
磁器の原料には「陶石」と呼ばれる岩石を用います。陶石は、白くて堅く、吸収性がありません。一方の陶器は、土(粘土)を原料に用います。吸水性があり、磁器に比べると素地の焼きはやわらかいことが特徴です。
1616年に採石が始まった泉山磁石場は、400年間に渡り削り取られてきたことで、一山のほとんどが掘り尽くされ、白い磁肌を見せながら大きく扇形に広がっています。
白く光る石の発見から始まった、吉田山の陶業
佐賀県嬉野市に位置する肥前吉田(ひぜんよしだ)は、400年以上の歴史を持つ有田焼の産地です。
1577年(天正5年)、吉田村を流れる羽口川の上流、鳴谷川の川底で白く光る石が見つかりました。当時の日本にはまだ本当の磁器はなく、これが磁鉱石の最初の発見といわれています。
たおやかな曲線と、有田焼ならではの発色
有田焼といえば、透き通るような白磁に描かれる鮮やかな色釉が魅力のひとつ。釉薬の奥からほんのり浮かびあがる繁茂の姿をたおやかな曲線が包みます。
木瓜のかたちを活かすために、色釉はあえて単色使いに。有田焼ならではの発色の力強さを感じられる一皿です。
繰り返すことで柔軟に。深い伝統と良質でリベラルなものづくり
この地で窯を開いた辻与製陶所 与山窯(つじよせいとうしょ よざんがま)。創業は、1854~1860年(安政年間)に遡ります。
与山窯は、有田において御用焼を営む「辻家」の出。初代与介が吉田の地に窯を開き、現在は六代目へとバトンが継がれています。
磁器から焼締まで製品の幅は広く、「深い伝統と技術」と「時代にあった良質でリベラルなものづくり」を繰り返し積み重ねてゆくことで、柔軟でモダンな独自のスタイルが確立されています。
掲載商品
有田焼の豆皿 木瓜型
1,296円(税込)
豆皿の写真は、お料理上手のTammyさんが撮ってくださいました。他にも普段の食卓のコーディネイトの参考になるような写真がたくさんあります。Instagramも、ぜひ覗いてみてください。
文:中條美咲