三ツ星シェフを虜にする「自分で作る柚子胡椒」。ヒットは一人の女性の「葛藤」から生まれた
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有名シェフや料理人、パティシエらが絶賛する調味料が大分にあります。
大分県宇佐市にある食と向き合える場、生活工房とうがらしの神谷禎恵(かみや・よしえ)さんがプロデュースする柚子胡椒です。
毎年9月にわずか1ヶ月間だけ販売される「ゆずごしょうキット」は、おいしい柚子胡椒が自分で作れると大人気。柚子胡椒作りに最適な旬のゆずと青唐辛子、塩がセットになって届きます。
「ゆずごしょうキット」の紹介記事はこちら:9月は梅仕事ならぬ「ゆず仕事」を。おいしい柚子胡椒を自分で作るキットに出会いました
このキットに欠かせないゆずは、宇佐市院内町余谷 (あまりだに) で佐藤敏昭さん、了子さんご夫妻が無農薬でつくっている「ハンザキ柚子」。舌の肥えた料理のプロたちが「皮がおいしい」と口を揃えて絶賛するゆずです。
一度、神谷さんの柚子胡椒を味わうと、そのほとんどの人たちがリピーターとなり、毎年9月を迎えるのを楽しみにしているとのこと。
さらに、この時期、神谷さんはキットの準備をするだけでなく、「ゆずごしょう講座」を各地で開催。産地で受け継がれる本来の柚子胡椒の作り方をしっかりと伝えることで、柚子胡椒のことをより深く知ってもらおうと、日本中を飛び回っています。
「毎年10月になるたびに『来年はもうやらない』と思ってきたけど、気がつけば10年も経っていたんですよね」と笑う神谷さん。
実は、このキットを手がけるまで、食品の開発などは全くしたことがなかったそう。一体何が、神谷さんを突き動かし、10年のロングセラーとなる「ゆずごしょうキット」を生んだのでしょうか。
ゆずに恋して10年
キットが生まれる院内町はもともと西日本を代表するゆずの産地でしたが、高齢化に伴い、生産者が減りつつありました。
そんな中、2008年に大分県庁から「産地を元気にしてほしい」との依頼があり、生活工房とうがらしで「ゆずプロジェクト」というものを立ち上げた神谷さん。
生まれも育ちも宇佐市ですが、実はこの取り組みを始めるまで、ゆずの産地が同じ市内にあるとは全く知らなかったのだそうです。
「視察に訪れた院内町で初めてゆずの白い花を見たときのことは忘れられません。
町中がゆずの花であふれていたんです。それだけで、なんだかゆずの香りがそこかしこに広がっているように感じました。思えばそれが、私が『ゆずに恋した』瞬間ですね」
「ゆずは私」だった
「ゆずを見た瞬間、なぜか『あれは私』とも思いました。
ゆずは熟す前の青い実も使えれば、熟した黄色い実も使えるし、種は化粧水にもなる。さらにその頃、築120年ほどの実家の床柱もゆずの木だとわかりました。樹齢を考えると、200年くらい前からこの土地にはゆずの木があったことになります。
こんなに活用方法がいっぱいあるのに、私を含め地元の人ですらゆずのことを知りませんでした」
そんな「ここにずっとあるのに、まるで存在していないような」ゆずの姿に、神谷さんは自分を重ねたと言います。
「もともと私には、伝承料理研究家の母と父から受け継いだ『生活工房とうがらし』という食と向き合う場がありましたが、料理は得意ではないし、食を仕事にしているわけではありませんでした。
本業は主婦。家事や育児に精一杯向き合いながら、一方で大学院に通ったりして、自分のやりたいことを模索していたんです。
それでも「これだ!」という答えがはっきり出たわけではなく、自分自身に『器用貧乏でくすぶっている』というレッテルを貼っていました」
そんな時に出会った、院内のゆず。
「ゆずは、私だ」
神谷さんには、ゆずの「器用貧乏」な現状と、自分が悩んでいる生き方が重なって見えました。そして次第に、こんな気持ちが湧いてきたそうです。
「ゆずが元気になること=私が元気になること。
ゆずの魅力を、この土地や食文化の背景と一緒にきちんと世の中に伝えていけたら、それは私自身が世の中に存在していくことにもつながるのかもしれない」
おいしい柚子胡椒の先にあるもの
こうして神谷さんの希望を乗せて始まった「ゆずプロジェクト」。特別な予算があるわけでもなく、その中で何ができるかを模索して神谷さんがたどり着いたのが、大分県発祥の調味料、柚子胡椒でした。
「地元の人たちがふだんから手作りしている柚子胡椒を知ってもらいたいと、『ゆずごしょうキット』を作ることにしました。
完成品でなく、手作りするキットで販売することで、ゆずの香りが漂う産地のことや食材をていねいに作ってくれる生産者の方たち、昔から続く地元の食文化にまで思いを馳せてもらいたい。そういった産地の空気をも含んだおいしさを届けたかったんです」
ところが、いざ「ゆずごしょうキット」を出してみると、「いつも目にするチューブ入りや瓶入りの商品とは色や見た目が違う」というクレームの嵐。
手作りの柚子胡椒を知らない消費者との認識の違いを痛感したといいます。
そこで、作り方も含めて大分の柚子胡椒を伝えていくことが大事だと、2012年ごろから「ゆずごしょう講座」を開催することに。
「やってみると、手作りの柚子胡椒の香りや色、味に、皆さんが感動してくれるようになりました。
昔の人たちがやってきたこと、長らく続いていることには意味があって、学ぶこともたくさんあるんですよね。
たとえば、柚子胡椒の塩分が昔から20%が目安なのには意味があるんです。保存が効くし、乾燥による色落ちもしにくい。
ゆずと唐辛子を擦り合わせるのもフードプロセッサーでもいいけど、すり鉢で擦ることに意義があると思っています。もちろん、味もおいしくなりますが、そうやって作ってきたという、成り立ちをきちんと伝えたいんです」
こうして、気づけば10年。「ゆずごしょうキット」の販売や講座を続けてきた神谷さんですが、当初はこんなことになるとは考えていなかったそう。
「たかが調味料が、人と人をつなぎ、産地と料理人をつなぐ。その流れは今や大きなものになっていて、柚子胡椒作りが広く年中行事となってきたことはとてもうれしいです。
でも、私自身はゴールってイメージしたことがないんです。どちらかというと、私は成りゆきで生きているところがありますね。
日々を大切に生きて、目の前のことをしっかりとやれば自ずと道は開けてくるんだと思っています」
これが私の「ゆずごしょう道」
有名三つ星シェフや著名な料理人たちが、神谷さんの柚子胡椒に惹かれるのは「おいしい」以外にも理由がありそうです。
ある時、雑誌の取材で「柚子胡椒を学びたい」と、海外から著名な一人のシェフが神谷さんのもとを訪ねてきました。当時、財布や車など神谷さんの身のまわりのものはグリーン一色で、まさに「ゆずのことで頭がいっぱい」と言わんばかり。
そんな風に神谷さんがゆずに熱狂し、全身全霊を賭けて働く姿を見て、シェフがこう言ったそうです。
「あなたは『マダム ゆず』だね」
「『ゆずごしょうキット』や講座も、やっている本人が熱量をもって数を重ねていかなければ、きっとすぐに廃れてしまいます」
だからキットに入れる素材選びや、ベストな状態で届けるための下準備には手を抜かない。講座では、できたての柚子胡椒をおいしく食べる方法をたっぷり教えてくれるそう。
「みなさん、そんな私の覚悟に共鳴してくれているんだと思いますね。
大切なことって、すごく小さなことだと思うんです。小さくてもていねいに積み上げたものって、ちゃんと伝わります」
神谷さんの柚子胡椒作りには、毎回新しくアップデートされた「刺激」や「発見」がある。キットや講座にリピーターの方が多いのは、そんな理由があるのかもしれません。
「最初は柚子胡椒の作り方が知りたいと集まってくる人たちも、そこから興味を持つことは、おいしさの追求や大分そのもの、食文化などなど、人それぞれ。
みんな各々の『ゆずごしょう道』を極めていけばいいんだと思います」
もうすぐ9月。神谷さんの季節が始まります。
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「ゆずごしょうキット」
文:岩本恵美
写真:尾島可奈子