究極の履き心地に加わったデザインと手軽さ。伝統の「八幡靴」はこうして生まれ変わった
滋賀県・近江八幡市。近江商人ゆかりの地であり、豊臣秀吉の弟・秀次が城を構えた場所であり、名建築家・ウィリアム・メレル・ヴォーリズが教鞭を執り、メンタームを創業した地でもある。
元商家の風格ある町家の中にヴォーリズ建築が点在し、やがて琵琶湖へ注ぐ水が「八幡掘り」をたゆたう旧市街の一帯は、定番の観光地とはひと味違う静謐な空気に満ちている。
そんな旧市街からほど近い住宅地にあるのが、近江八幡の伝統工芸品である「八幡靴」を製作する「リバーフィールド」の工房「コトワ靴製作所」だ。
瀕死の状態にあった、「八幡靴」という工芸品
八幡靴の原点は江戸時代初期にまでさかのぼる。城下町であった近江八幡にはさまざまな技術や資材が流入し、革細工産業が発展した。
明治期には西洋化の流れを受け、それまでの皮革加工を生かした履物製作が始まり、戦後には高級手作り靴「八幡靴」が確立。ピーク期には年間35万足が生産され、辺りには八幡靴の工房が軒を連ねていたという。
八幡靴に用いるのは甲皮と靴底を直接縫い合わせる「マッケイ式製法」という技法で、中底のないシンプルな作りゆえに反り返りがよく、軽く仕上げることができる。
しかし安価な輸入品の台頭や、1足を数人がかりの分業制で手掛けてきた職人の高齢化により、次第に産業は衰退。2000年初めには、八幡靴を製造するのは「コトワ靴製作所」一軒となった。
そんな時、八幡靴を復活させたいと2002年に「リバーフィールド」を立ち上げたのが代表の川原勲さんだ。
全国チェーンの靴販売店に勤めていた川原さんは、八幡靴を「履き心地が抜群」とその確かな技術を見抜いて販売を開始。しかし、店で売れたのは1年間でたった1足だけだった。
それでも、手づくりならではの品質の良さを確信していた川原さんは、「売り方次第で売れる」と独立を決意する。
「時代は大量生産・大量消費から良いものを時間をかけて作る流れへとシフトしていました。独立を考えていたこともあり、そんな時に出会ったのが八幡靴でした」
近江八幡の伝統産業、復活の狼煙をあげる
川原さんは、リバーフィールドを立ち上げた後、さまざまなアイデアで窮地にあった伝統産業を盛り立てていく。
まず始めたのはオーダーシューズに限定したネット販売。職人3~4人を抱えるコトワ株式会社に製造を依頼し、2万円前後で売り出した。
自らの足で営業も行った。滋賀県の異業種同好会に参加しながら、県内の著名人20名に限定して八幡靴を配り歩き、商品の周知に努めた。最初はひと月に5足しか売れなかったネット限定のオーダーシューズも、数ヵ月後には2~30足の注文が入るようになったという。
ここで画期的だったのはネットだけで注文できる「イージーオーダー」という試み。注文後リバーフィールドから送られる「トリシャム」というスポンジ素材の計測器で足型をとり、返送後2週間ほどで今度は仮縫いの靴が届く。
試し履きして修正箇所を伝えると、10日後には完成品が自分の手元に届く。さらに気になる箇所があれば、仮縫いのやり直しにも対応してくれるという。
そして手頃な価格とカスタムの幅広さも大きな魅力だ。トリシャムを導入することで石膏や木製の足型を作るコストを削減し、4万円台からのオーダーシューズを実現している。
デザインは22種、皮はキップやカンガルーなど5種、色は最大10色から選べる。
「イージー」とはあくまでその手軽さのこと。計測はトリシャムでしっかり行う上、工房が持つ数百点の靴型の在庫から最も適した型と照合して仕上げていくので、ほぼすべての人が自分の足にあった靴を作ることができる。
来店の必要がなく、手頃な価格で好みのデザインをネットから簡単に注文できるのが、リバーフィールドの「イージーオーダー」シューズなのだ。
伝統の世界に最新技術を投入
フルオーダーにも川原さんらしいアイデアで対応する。
通常はプラスチック樹脂などで自分だけの靴型を作り、そこから世界に一つだけの靴が生まれる。しかし靴型製作の業界が限られているため、ひとつの靴型自体が高価なものとなる。よって「オーダーメイド」というと10万円を優に超えるのが一般的だった。
そこで川原さんが導入したのが3Dフットスキャナーと3Dプリンターだ。
フットスキャナーが計測した足型のデータをPCへ転送し、ソフトを用いて足型設計を行う。歪みなどの微調整もPC上で行い、最後に3Dプリンターで立体プリント。大幅なコストダウンと時間短縮に繋がり、7万円台で作れるフルオーダーシューズが実現した。
こうして八幡靴は、川原さんのアイデアにより息を吹き返していく。
八幡靴の技術を継承するだけではなく、「オーダーシューズ」という市場にも新たな価値を見出した川原さん。
足の形は一人ひとり、時には左右によっても違うため、靴に悩みを持つ人の来店も多いそう。「ピッタリな靴ができて嬉しかった」と喜びの声も届き、数人に一人はリピーターになるという。なお、一度作った足型は5年間保管してもらうことができる。
そして2015年には近江八幡市のふるさと納税の返礼品にも採用された。一時は注文が殺到し、半年待ちの状態になることもあったそう。八幡靴の名は、着実に全国へも広がりを見せている。
八幡靴の未来を担う、若き後継者たち
2010年、コトワ株式会社が職人の高齢化などから廃業を決断し、川原さんが工房ごと引き取ることになった。
工房では後継者の問題を視野に入れ、職人を目指す研修生を積極的に受け入れ始めた。すると、職人の技術や八幡靴に興味を持つ若者が全国から集まるようになる。
工房の1階は革に靴底をつける底付け師、2階は靴の設計や革の断裁などを行う甲革師がそれぞれ作業を行い、ベテラン2人と6人の若手が活躍する。ベテランの職人が直接指導を行い、技術の継承に努めている。
以前社会福祉関連の会社に勤め、障害者用の靴を製作していたという高井諒太さん(28)は、「もっと靴づくりのことを学びたい」と3年前に工房に入り、ベテラン職人に指導を受けた。将来は専門の店を持ちたいという夢を持ちながら、日々作業に励んでいる。
「職人という存在にあこがれて」と名古屋から移住してきたのは安井龍之介さん(24)。最年少だが経歴は若手の中で最も長く、現在は全工程を任される頼れる若手職人だ。「ゆくゆくは独立したい」と笑顔で語ってくれた。
「八幡靴」の可能性、さらに広がる
手頃な価格ながら、手縫い特有の履き心地が支持を集めている八幡靴。しかし、まだまだ購入者の年齢層は高めで、若年層への普及が課題。
そこで川原さんが新たに取り組んでいるのがスニーカーの試作。表面に革を用いながら、手縫いならではの履き心地を実現しようと試行錯誤を重ねている。
福岡県宗像市からやってきた泉祐貴さん(31)も、スニーカープロジェクトに携わる一人。八幡靴の魅力を若い人にも知ってもらいたいと、新商品の開発に向けて奮闘する。
近年ファッション誌でも特集が組まれるなど、注目を集める八幡靴の技法を用いたスニーカー。若い層を積極的に取り込む新たな看板商品になりそうだ。
受け継がれた伝統には、訳がある。
かつて数百軒を超えていたという工房は最後の一軒となり、絶滅の危機に瀕していた八幡靴。しかしそこには確かな技術と、手づくりならではの温かみが残っていた。
本当に良いものは、それを愛する気持ちとアイデア次第で何度でも息を吹き返す。そして、人々を魅了し続ける。
そんなことを、目の前で証明された気がした。
<取材協力>
リバーフィールド株式会社
滋賀県近江八幡市八幡町336(工房)
0748-37-5451
http://easyorder-shoes.com/
文:佐藤桂子
写真:平田尚加