土屋鞄の職人、竹田和也さんの“仕事の理由”── 想像の10倍難しくても、僕はこのランドセルを作る
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ものづくりの世界に飛び込んだ若きつくり手たちがいる。
何がきっかけで、何のために、何を求めてその道を選んだのか。そして今、何を思うのか。さまざまな分野で活躍する若手職人を訪ねる新連載、はじめます。
竹田和也さん。27歳。
上質でシンプルな革製品を生み出す「土屋鞄製造所」に入社して1年と6カ月。現在はランドセルづくりの最終工程を担うまとめ斑に所属している。
それまでも地元・島根の革工房で修業をしていた。ある程度、経験はあるし、自分なりに革製品もつくってきた。だから入社後も「なんとかなるだろう」と気楽に考えていたという。これまで学んだことがあるのだから自分にはできるはずだ、と。
けれど。
「そんなの、一瞬で打ち砕かれましたね(笑)」──。
まずは竹田さんがどうして鞄職人をこころざしたのか、そのあたりから話を進めてみよう。
出会いは、自転車旅の途中で
大学生の頃、自転車旅が好きだった。
「福岡に住む友達のクロスバイクに乗らせてもらったとき、なんだこれ、ものすごく乗りやすい、気持ちが良いなと思って。その足ですぐに自転車屋に行きました」
自転車を購入した福岡から、実家のある島根へと向かった。およそ450㎞。4日間かけて旅をした。
「それが面白くて。自転車旅にはまったんです」
時間を見つけては旅に出た。島根から広島、四国をぐるり。鳥取から兵庫を巡るなど西日本を中心に、あてもなく、気持ちがおもむくままに走り続けた。
そんな旅の途中で目に映ったのは、たくさんのものづくりだったという。
「木工職人がつくった木のスプーンだったり、ゲストハウスに置いてある椅子やソファが地元の職人の手づくりだったり。なかには、ものづくりを通して町おこしをしようとしている人もいて。そういうことに刺激を受けました」
もともと、ものづくりは身近だった。
「父が何でも手づくりする人で。一番近いコンビニが13㎞先にあるような、ものすごい田舎だったこともあり、買うよりつくるほうが早かったからなんですけど(笑)
テーブルや棚、僕たちの玩具も。欲しいものがあったらまず自分でつくるという環境にありましたね」
ものをつくる。その感覚はすでに体に染み込んでいた。でも、何をしたいか、何をつくるのかは定まっていなかった、そのときまでは。
「何度目の旅だったか。たまたま立ち寄ったのが革製品の工房でした。そこではじめて職人の仕事ぶりを見たんです。鞄をミシンで縫っていたり、木槌で金具を打ちつけていたり。その姿がものすごく格好良くて、憧れた」
そこから2年半。地元にある革製品の工房で修業をした。ひととおりの技術を覚え、自分なりに革製品もつくってみた。
けれど、つくるほどに自分の未熟さが見えてきて、「技術的にも知識的にも、もっといろんなことを学ばないといけない、もっと知りたいと思ったんです」
とりあえず、いろいろな革製品を手にとってみようと向かったのは東京だった。あちこちの工房をめぐり、たくさんの製品を見てまわった。
そのとき。衝撃を受けたのが土屋鞄だった。
1965年創業。上質な革素材を使いつつ、ランドセルはもとより、大人向けの鞄や財布などの革製品をつくり続ける人気ブランドである。
「手にとったのは大人向けの鞄なんですけど〝コバ〟がすごくきれいで。ぴっかぴかしていたのが、すごく印象的だったんです」
コバとは革をカットしたときの断面のこと。この部分の表面には微妙な凹凸や段差があり、はじめにそれを丁寧に磨いて滑らかに整え、さらにコバ液という特殊な液を塗り重ねるという作業が必要になるという。
いわば職人ならではの仕事であり、コバを見ればその職人の力量が分かるポイントでもあるという。
「コバをきれいにするのってすごく時間がかかるし、手間暇もかかる。たくさんの鞄をつくらなきゃいけないなかでも、そうした部分に一切手を抜かず、しっかりとこだわってつくっているというところに心惹かれて」
土屋鞄の職人技が、竹田さんに入社を決心させることになったのだ。
「菊寄せ、きたー!」
かくして、土屋鞄に入社した竹田さん。数ヶ月の研修後に配属されたのはランドセルづくりのまとめ斑だった。
土屋鞄のランドセルづくりは150以上のパーツを用い、300を超える工程がある(前記事「土屋鞄のランドセル、300工程を超える手仕事を間近で見学」をご覧ください)。
まとめ班とはいくつものパーツが組み合わされてきたものを、最終的に完成させる工程のことである。
「はじめは外周部分に、ノリを塗って革を貼り、へり返しという作業をひたすらこなしました。
本体側に革がのってもいけないし、逆にすき間が空いてもだめで。ピシッと美しく仕上げることが、はじめは難しかったですね」
その後、ようやく任されたのが菊寄せだ。
菊寄せとは鞄や財布などのコーナー部分の処理の仕方で、放射状にひだを寄せながら細かく折りたたむ技術のこと。職人技が試される大事な部分であり、ここを任されるということは職人として一歩前進したといえる。
「菊寄せきたー!と思いましたね。ついにこの部分を任せてもらえるのかと嬉しかった。
でも、それと同時に、菊寄せなんてできる気がまったくしませんでした(笑)
どこから寄せ始めれば均等なひだになるのか、返す幅はどのくらいにすればいいのか。
線が引いてあってその通りにすればいいっていうわけではないので、とにかく何回も、何回も繰り返すことによってその感覚を身につけるしかありませんでした」
正直なところ、ゆっくり丁寧にやればできる。
「でも、それではやっぱりだめで。ある程度のペースを維持しながら、精度は絶対に落とさない。それができてはじめて職人として認められるのではないかと」
菊寄せを担当しておよそ6カ月。ようやく自信をもって「菊寄せができる」と言えるまでになったという。
さらなる試練。「でも、これが楽しい」
そして今、新たな挑戦を始めているという。
「まとめミシンという作業です」
ランドセルの外周をぐるりとミシンがけしていく作業のことで、300工程のなかの、最後のミシンがけにあたる。
「ランドセルにおいて一番目立つミシン目だと思うので、プレッシャーを感じますし、想像より10倍くらいは難しい」
たとえば、つまみの部分は革の厚みの分ズレが生じるため定規押さえを使えない。手の感覚を使いフリーハンドでまっすぐに縫わなければならないし、
蓋とのつなぎ目には段差があるため、同じ目幅に揃えるためには微妙な力加減が必要になる。さらには針を入れる角度やカーブの進め方、スピードに至るまで、一つの工程ながらも覚えることは山ほどある。
「とにかく最初は緊張してしまって。でも、ミシンがけは力んだらだめなんです。絶対にうまくは縫えない。先輩からよく言われるのが『力を抜きながら、ミシンの力を信用して縫え』ということ。
最近、ようやく力を抜くということが分かって来たような気がしますけど‥‥難しいですね。でも今、すごく楽しいです」
鞄職人としての使命感が生まれた瞬間
300という途方もない工程が必要とされるランドセルづくり。
「でも、だからこそ鞄職人としては一つ一つハードルを超えていく楽しさがあるし、一つずつクリアしていくことで次のステージに進めるような面白さがあります」
繰り返しこなすことで基礎を叩き込むことができるし、できることが増えるたびに職人としての腕が上がっていくような充実感を覚える。
そしてもう一つ。土屋鞄でランドセルづくりに携わることによって得たことがあるという。
「責任感というのでしょうか。地元で自分なりに鞄をつくっていたころは、自分のペースで、自分の思う通りにつくればよかった。もちろん、それはそれでいいんですけど、あの頃の僕にとってそれは甘えでしかなかった。今、思えばですけど。
この工房は、誰でも見学できるようになっているんです。時折、小さなお子さんが僕らの仕事をみながら『僕の鞄はここでつくられているんだね』という声が聞こえてくるんです。
そういう声を聞くと、この子たちが6年間、安全に楽しく過ごせるようにつくらないといけないなと思うし、少しのズレや歪みもあってはいけない、しっかりとつくって届けたいという、使命感みたいなものが沸くようになったんです。
きっと人間が生まれてはじめて持つ、きちんとした鞄がランドセルですよね。人生で一番長く使う鞄になるかもしれない。そういうものづくりに携わることができていることが、自分としてはなんかいいなと思っています」
そんな竹田さんの目標は?
「そうですね‥‥サンプル職人ですかね‥‥。
サンプル職人とはデザイナーと一緒に製品の企画を立てる人であり、ランドセルのことを熟知した職人だけができること。つくり手にとっては神みたいな存在です」
でも、とりあえずは。
「目の前のランドセルづくりを確実に覚えて、精度良く仕上げることに専念しようかと」
竹田さんの鞄職人としての道はまだまだ続く。
<取材協力>
土屋鞄製造所
東京都足立区西新井7-15-5
03-5647-5124 (西新井本店)
https://tsuchiya-kaban.jp
https://www.tsuchiya-randoseru.jp
文:葛山あかね
写真:尾島可奈子、土屋鞄製造所