加賀谷旗店・大漁旗から“のれん”の表札まで 形を変えても変わらない技術
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こんにちは。さんち編集部の山口綾子です。
港に集まる漁船に掲げられた色鮮やかな大漁旗(たいりょうばた)を見たことはありますか?大漁旗とは、漁船が大漁で帰港する際に船上に掲げる旗で、丘で待つ仲間や家族に大漁を知らせるため、または獲れすぎた海産物を他の船に載せてもらう要請の合図でもありました。
掲げられるようなったのは江戸時代からと言われていますが、海上からでも目立つように派手な色彩や大胆な構図で描かれ、大漁を願い、縁起を担ぐ意味合いが出てきたのは戦後からと言われています。
そんな大漁旗を作られている染めもの屋さんが、函館市の大手町にある明治30年創業の「加賀谷旗店」です。創業時は着物や半纏などの労働着や手ぬぐいの染めを行っていました。今では、大漁旗の他に神社ののぼり、タペストリー、のれんに至るまで様々な染めを続けられています。今日は3代目である加賀谷聰徳(かがや・としのり)さんに、先代から今に至るお仕事と、近年にお引き受けされたお仕事についてお話を伺うことができました。
小さな頃の遊び場が仕事場に
横浜港や長崎港とともに日本で初めて貿易港として開かれた函館港は、最盛期にはニシン漁やイカ漁で栄え、色とりどりの大漁旗で彩られていました。大漁旗を制作する染めもの屋さんは最盛期には50軒ほどあったそうですが、今では加賀谷旗店を含めて1~2軒を残すのみ、とのこと。加賀谷さんは、お父様から染めの仕事を受け継いで50年ほどになるそうです。仕事場である工場は小さい頃から遊び場のようだったとおっしゃいます。
「小さい頃からずっと父の仕事を見ていたので、跡を継ぐことは自然の流れでしたね。藍甕の藍を撹拌(かくはん)したものがブクブクと泡立っていたり(藍の華と呼ばれる)、真っ白な生地が藍につけたあとに化学反応で緑色から藍色に変色したり、染めものっておもしろいなあと思っていました」
そして20代の頃 「染料を深く学ぶには、質が高いものがたくさん集まっている京都で勉強をするのが良いらしい」ということで、地元の染料屋さんの紹介で京都の染めもの屋さんに2年ほど修行に行きます。お世話になった染めもの屋さんの大将は、新しいことが好きな方だったらしく、当時では珍しい化学染料の研究をよくされていたそうです。また、大将のご友人である人間国宝の方の仕事を見せていただいたり、染料の研究を行っている大きな会社の試験場で色見本のサンプルをいただくなど、期間としては短いものでしたがこの京都時代に染料の基礎を学ばれたそうです。
「そのときの経験はいまだに役に立っています。レベルの高いものをたくさん見て、物を見る目が養われましたね」
函館に帰って来てからは、デパートの呉服部に出入りをすることが多かったそうです。
京都で修行を積んだ職人として重宝され、とても励みになったとのこと。その後、着物の染めの扱いは減っていきました。大漁旗の制作は続けていましたが、200海里問題で漁獲高が減り、大漁旗の制作は式典や祝賀用としての需要に特化していきます。今でも進水式という新造船舶を初めて水につける式典や、3月下旬に海の流氷が沿岸から離れ、春漁が行われる海明けのお祝いに使用されることが多いそうです。
加賀谷さんが使用する染めの方法は「引き染め」という技法で、刷毛で手描きをして染めるやり方です。下描きには紅花色素を使い、染料を乗せない部分に糊付けし、その後染料で色を付け、糊の部分だけ水で流して乾燥させる、という工程です。函館の澄んだ水は糊を洗い流すのにぴったりなのだそうです。また、乾燥させるために湿気は禁物のため、水蒸気が出ない石炭のストーブを使っています。
「函と館」から突然の訪問
2013年のある日、函館空港ビルデング株式会社の佐藤拓郎さんが加賀屋旗店をアポなしで訪問されます。
「函館空港に新しくオープンするお店で販売する商品を作ってほしいと言われたんですよ。最初は佐藤さんのことを訪問販売のセールスマンか何かかと思いました(笑)。お話を聞いてから、地元のつながりもあるしせっかくなので協力したいと思いました」
お店の名前は「函と館」。北海道の道南地域の工芸や食品を集め、函館の魅力を再編集したコンセプトショップです。佐藤さんを含む函館空港ビルデング株式会社の中堅若手社員が中心となり、中川政七商店の協力を得ながら2015年12月1日にオープンしました。「函と館」は、地元メーカーとともに地域の文化・物産を発信するための函館らしい土産ものづくりを行っています。1本の電話から、加賀谷さんが大漁旗を染め上げる技法と同様の「引き染め」を用いて、船同士の通信に使われる世界共通の旗、国際信号旗をモチーフにした国際信号旗フラットバッグとハンカチーフが生まれました。
染め上がった生地は、近くで見ると染めた跡が程よいムラになっていて、手作りの温もりを感じます。日本で初めて国際的に開かれた開港五港の一つである函館港も、昔は国際信号旗でメッセージを伝え合う沢山の船で賑わったそうです。
「函館港は古くから開けた街で、外国船や飛鳥Ⅱ(外航クルーズ客船)なんかが入港するときに国際信号旗を掲げているのシチュエーションをよく見かけましたよ。それもあって国際信号旗の存在はもちろん知っていましたけど、船舶用のロープを持ち手にしたりとか、よくそんなアイデアが浮かぶなあって感心しましたね。気付かないところにヒントがあるのはおもしろいなあと思いました。新聞にも取り上げていただいて、とても良い出会いでしたね」
大漁旗から家の表札まで
加賀谷さんの染めもの作品は大漁旗やバッグだけには留まらず、最近ではなんと“のれん”を一般のご家庭の表札として制作されたそうです。のれんの表札を依頼された松浦さんのご自宅へ、加賀谷さんに案内していただきました。
松浦さんのご自宅は、函館山を背景にした坂の上にありました。家主である松浦恭祐さんは、ご出身地でもある札幌や、
函館の街を中心に眼科医として勤務されています。札幌市民の方の多くは、歴史ある函館が憧れの街なのだそうです。松浦さんもやはり憧れの地である函館にご自宅を建てられました。ご自宅が完成に近付く中で、なかなか決まらないことがひとつ。この函館特有の和洋建築の家に合う表札になかなか巡り会うことができませんでした。
そんな中、松浦さんの奥様が“のれんを表札代わりにする”ということを提案されます。というのも、奥様のご実家は福島にあるお料理屋さん。福島のお店では、店先にのれんをかける文化があり、奥様も小さな頃からのれんに親しみがありました。さらにご実家のお店用ののれんを加賀谷さんにお願いしたことを思い出して、加賀谷さんに相談してみようと思われたそうです。“のれんは表札代わりになりますか?”と。最初は少し戸惑われた加賀谷さんでしたが、実際に松浦さんのご自宅を訪れ、このお家ならのれんの表札がとっても映えることは間違いない!と確信されたそうです。
加賀谷さんはのれんのデザインに、ご自宅に生える立派な2本の松の木からヒントを得ました。お名前の“松”とも合ってぴったりです。この凛とした縁起の良いのれんは、お正月やお祝いの時期用で、普段は松浦家の家紋が大きくデザインされたのれんをかけてあるそうです。松ののれんとはまた雰囲気が違い、藍色と本麻の生成り色の組み合わせがシックで美しいです。お正月用と共に、世界にひとつだけの表札を松浦さんはたいへん気に入っておられるそうです。
松浦さんののれんは地元のテレビや新聞でも紹介されたそうです。それから、のれん表札の注文が結構来るようになったとか。
「今の時代、オートの機械で染めるものもあるんですよ。でも、昔からやっている手染め、和染めがいいとおっしゃるお客様もたくさんおられますね。やっぱり、機械には出せない味というか、人の手からじゃないと出ないものがあると思います。最近では、物を買う側も、多少高価だろうときちんとした技法の物を求める方が増えている気がします」
そう加賀谷さんは、おっしゃいます。
大漁旗からバッグ、そして表札ののれん。形は変われども人の手で作るからこそ、縁起を願い、気持ちを込めることができるのだと思います。
松浦家のお子さんたちが大きくなられて家族を持ち、自分の家を建てることになったそのとき。坂の上にはためく特別なのれんを思い出されるでしょう。加賀谷さんの技術とご家族の幸せを願う気持ちは、形を変え、末永く続いていくのだろうと思いました。
文:山口綾子
写真:菅井俊之
photo AC