墓石から現代アートまで。瀬戸内にしかない石の町をめぐる。

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こんにちは。さんち編集部の尾島可奈子です。
「終活」という言葉もある今ですが、実は日本にあるお墓のうち、80%が海外製のものだってご存知でしたか?しかも最近は「墓じまい」と言って、後を継ぐ人がいなくなり処分してしまうお墓も増えているそう。国内の石材屋さんにとってピンチとも言える状況の中、「世界一」とも称される石の産地があると聞いて、香川県高松市を訪ねました。町の名は牟礼町。石の名は庵治石。さて、まず何と読むのでしょうか‥‥?1200年続く石の町をめぐって、お二人の方にお話を伺いました。

「牟礼町(むれちょう)は日本で一番高価な石が採れる産地です」

車の運転席からそう語るのは、今回お話を伺うお一人目、牟礼町で4代続く石材メーカー・中村節朗石材代表の中村卓史さん。向かうのは自社で持つ採石場。車はどんどんと急な山道を登っていきます。

牟礼町は高松市の東部に位置する町。頂に五つの岩峰があることからその名がついた五剣山の麓にあり、山を挟んで隣り合う庵治町とともに、一帯の山から採れる良質の花崗岩(かこうがん)、「庵治石(あじいし)」の産地として発展してきました。

庵治石は日本国内でも牟礼町・庵治町でしか採ることができない特殊な石材です。風化しづらく繊細な細工も可能な細やかな石質のために、古くから墓石材や石灯籠などに利用されてきました。最大の特徴は、磨くと現れる「斑(ふ)」と呼ばれる模様。世界でも庵治石だけに見られる現象だそうで、濃淡のある美しいまだら模様が墓石にも好まれてきました。

ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様。
ふわふわと浮かぶまだら模様。「斑(ふ)」と呼ばれる庵治石特有の模様。

牟礼町の歴史は古く、採石や加工の記録は平安時代にまでさかのぼるそうです。庵治石を採石する山の麓には自然と石材を加工する職人が住むようになり、日本でも有数の石材加工の産地に発展しました。繊細な庵治石を扱う技術は国内でも評価が高く、現代彫刻家イサム・ノグチが1969年からアトリエと住居を構え、20年ほどの間、ニューヨークと行き来しながら制作活動の拠点とした土地としても知られます。今も、作家やアーティストから作品を加工する協力依頼があるそうです。

車が頂上近くまで登ってきました。長靴着用で外に出ると、眼下にはダイナミックな高松市内の景色が。

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そして振り返ると、今度は空に向かって突き出すような岩山が目に飛び込んできます。

ご案内くださった中村さん。その背景のスケール感が伝わるでしょうか。
ご案内くださった中村さん。その背景のスケール感が伝わるでしょうか。

ここは「丁場」と言って、各石材メーカーが割り当てられた区域でそれぞれに石材を切り出す場。火薬を使って大きな岩の塊を採り出す、ダイナミックな採石場です。

「実は切り出された庵治石から墓石になるのはたった1%なんです」

庵治石は切り出す丁場に数種の層があり、それらのキズを避けて石材を採っていくと、墓石ほど大きなサイズのものはなかなか採れないそうです。だからこそ希少価値があり、古くから高級石材として取り扱われてきたとも言えます。

加工場にて、キズに赤く線がつけられている。
加工場にて、キズに赤く線がつけられている。

「職人は山の層を見て火薬をどこに、どれだけの量で仕掛けるのかを判断していきます。採れた岩の大きさで職人の腕がわかるわけです」

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切り出された石は麓の加工工場に運び込まれ、墓石をはじめとした様々な形に加工されます。

このように大きな石を細分化していく。摩擦で焼けると石が白くなり価値が下がるため、大量の水をかけながら切断する。どこか厳かな雰囲気すら漂う。
このように大きな石を細分化していく。摩擦で焼けると石が白くなり価値が下がるため、大量の水をかけながら切断する。どこか厳かな雰囲気すら漂う。
横から見たところ。石に刃がしっかりと食い込んでいる。
横から見たところ。石に刃がしっかりと食い込んでいる。
一回り小さい切削機。しっかりと位置を定める。
一回り小さい切削機。しっかりと位置を定める。
さらに小さい切削機。縦に等間隔に筋を入れ、板状にして金槌で叩いて形を作っている。
さらに小さい切削機。縦に等間隔に筋を入れ、板状にして金槌で叩いて形を作っている。
磨きの工程。
磨きの工程。
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「これが斑(ふ)です。水をかけるとわかりやすいですが、細目、中目と言って目の細かい方が磨くとより青黒くなり、立体的な斑模様になります。目の細かい細目は庵治石の中でも最高品質のもの。だから牟礼町は日本で一番高価な石が採れる町なんです」

水をかけるとよりくっきりと模様が浮かび上がる。
水をかけるとよりくっきりと模様が浮かび上がる。
手前が中目、奥が細目。水をかけると模様の細やかさが歴然。
手前が中目、奥が細目。水をかけると模様の細やかさが歴然。

こうした採石や加工の現場は普段なかなかお目にかかれませんが、町なかには石の産地ならではのスポットが点在し、石の町らしい風景を見ることができます。

複数の石材屋さんが集まる石工団地の様子。仏像がずらり
複数の石材屋さんが集まる石工団地の様子。仏像がずらり
石工団地の一角で仏像を作っていた職人さん。細かな加工はこうして得意とする加工先さんへ分業されるため、近い地域内に様々な技術を持ったメーカーが集合する
石工団地の一角で仏像を作っていた職人さん。細かな加工はこうして得意とする加工先さんへ分業されるため、近い地域内に様々な技術を持ったメーカーが集合する
海に面した城岬(しろはな)公園。大きな石のモニュメントごしの海が美しい。
海に面した城岬(しろはな)公園。大きな石のモニュメントごしの海が美しい。

そして実は、牟礼町はかの有名な源平の戦い、屋島の合戦の舞台にもなった町。なんと有名な那須与一が矢を放つ際に立ったとの伝説の岩も残されています!

手前の平たい岩が那須与一が矢を放った際に立った場所とされる。用水路の奥に、扇の看板が。
手前の平たい岩が那須与一が矢を放った際に立った場所とされる。用水路の奥に、扇の看板が。

他にも源平にまつわる史跡が点在している牟礼町では、そのスポットをめぐる道を灯篭が照らす「石あかりロード」というイベントが毎年夏に開かれます。期間中はおよそ80世帯の家々の前に、200~300点ものあかりが灯されるそうです。全て地域の石材メーカーさんが手がけたもので、気に入ったものがあれば購入することも可能。地域のメーカーさんに一軒一軒声をかけ、このイベントを実現させた仕掛け人が、中村さんでした。

町内の常設展示の様子。実際はこのあかりが夜道に灯る。
町内の常設展示の様子。実際はこのあかりが夜道に灯る。

「庵治石を知ってもらう、興味を持ってもらうきっかけになればと思って始めました。産地が一番活気があったのはちょうどバブルの頃。60社ほどあった庵治石の採掘業社のうち、今も稼働しているのは20社程度です。石を採り続けて採れにくくなっていることや、後継問題などでお墓を処分してしまう”墓じまい”が増えていること、海外製のお墓の進出が縮小の大きな原因です。今、日本にあるお墓の80%は海外製なんですよ」

海外勢の進出による日本のものづくりの危機、という話はよく耳にしますが、まさかお墓までその状況にあったとは。

「お墓をめぐる状況は最盛期に比べれば厳しいですが、他にも牟礼町では商工会が立ち上げた庵治石の生活雑貨ブランド『AJI PROJECT』が動き出しています。庵治石が世界にも誇れる丈夫で美しい石材であることには昔から変わりありません。今も、お墓に限らずこだわった意匠の建物に庵治石が使われるケースが多いです。いつかお墓や内装などの石材を選ぶ、というときに『庵治石を使ってみたい』と思ってもらえるように、まずは身近に触れてもらえる機会を作っていきたいと思います」

確かにこの取材を終えた後に香川の街を歩くと、庵治石が使われているお店の内装などには自然と気がつくようになりました。

「次に行かれるのは杉山さんの工房ですか?もちろん知っています、ファンなんですよ」

中村さんの案内で、本日お話を伺うお二人目、杉山さんの工房へ向かいます。工房と言っても石の加工ではなく、ガラスの工房です。

「瀬戸内の海を思い出すような配合にしているんです」

そう語るのは庵治石を使ったガラス作品「Aji Glass」を手がける杉山利恵さん。

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庵治石を溶かして作るガラスは、牟礼町の採石場で見た白と黒の世界からは思いもよらない、淡い青色をしています。瀬戸内の海を思わせるガラスを杉山さんが見出したのは、実は香川から遠く離れた富山の地でした。

子どもの頃からものづくりが好きだった杉山さんは、大学卒業後インテリアショップに就職。販売の仕事をするほどに製作への思いが強まり、地元高松のガラス作家さんの作品に出会ったことがきっかけで丸亀の吹きガラス講座の門を叩きます。どんどんと湧いてくる創作意欲を発散するように、広告など表現ができる仕事に転職。それでもデジタルな表現に関わるほどアナログなものに惹かれるようになり、ついに東京の学校に1年、より設備などの揃った富山の学校に2年通い、ガラス作りに没頭します。Aji Glass誕生のきっかけはそんな富山での学生時代、自分の作風と向き合う時間の中で生まれたそうです。

「富山と香川では、気候も海も山も、全く様子が違うんです。富山は曇りの日が多くて、1日の中でも天気が移ろいやすい。山は切り立って、冬は厳しい寒さです。香川は晴れの日が多くて、山はなだらか、冬も温暖です。その頃から帰省のたびに、香川の風土がすっかり体に染み付いている自分を意識するようになりました。香川で生まれ育った私が作るグラスなら、その土地を思い浮かべることができるものにしたい、と思ったんです」

地元の誰もが知っていて県外の人に勧めたくなるようなもの、素材の段階から溶かし入れることができるもの、と考えた末に、たどりついたのが庵治石でした。

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「庵治石のことは、香川県民なら9割以上の人が知っていると思いますよ。ガラスはもともと鉱物ですし、石なら色がきれいに出るかも、という期待もありました」

その予感は的中します。学校で材料の配合に詳しい先生に頼んで試験をしてみたところ、「青っぽいガラスになるかもよ」とのコメントが。

「初めてグラスが完成した時は鳥肌がたちました。大好きな香川のイメージが、この青色だったんです。この色だったから、作品を作ってみようと思いました」

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ただ、懸念が一つ。まだ地元の人達の反応がわかりませんでした。答えを求めるように、杉山さんはAji Glassを香川県の県産品コンクールに出品。見事受賞を果たします。

「思った以上に地元の人に喜んでもらえたんです。『本当に瀬戸内の海の色やね』って」

受賞をきっかけに注文や取材依頼が増え、香川に戻って本格的に制作を始めることに。その前に、庵治石の産地をまわって、石材屋さん、地主さんや組合・商工会に、庵治石を材料に使うことの許可を求めに行ったそうです。

「はじめは心配でしたが、産地のみなさんもちょうど、庵治石を手頃な価格で買えるインテリアにも活かせないかと、模索していた時だったんですね。暖かくAji Glassのデビューを承諾してくれました。これなら、自分の独りよがりではない、産地と使う人をつなぐ役割をAji Glassが担うことができる。大好きな香川を、好きなことで伝えられる。この産地のみなさんの『いいよ!』が、全部の扉を開けてくれました」

お話を伺ったギャラリーは、高松市内の倉庫を改修した2階。1階が実際に瀬戸内ブルーの器達が生まれる工房になっています。実は杉山さんご自身も、Aji Glassが青くなる瞬間は見たことがないそうです。

工房の2階のギャラリー。
工房の2階のギャラリー。
これがガラスに溶け込ませる庵治石の粉末。
これがガラスに溶け込ませる庵治石の粉末。
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ほのかに青みを帯びているように見える
ほのかに青みを帯びているように見える

「原料を窯の中で1300度以上で溶解する際に、一晩かけて人知れず、ガラスとなり、青くなります。私もその瞬間は見ることができないんです。この青いグラスに、水を入れると本当にきれいで。いつか自分の器を使ったカフェを庵治の海の近くでやりたいと思うんです」

1200年続く産地の石材加工の技術を受け継ぎながら、庵治石の普及に力を入れる中村さん。大好きな香川の魅力を伝える素材を求めた末に、庵治石を見出した杉山さん。

二人がそれぞれに愛する石の街の景色は、初めて訪れた私にも、新鮮でワクワクするものでした。観光ガイドブックの定番旅とはまた違う、石をめぐる香川の旅。ぜひ一度訪れてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
有限会社中村節朗石材

さぬき庵治石硝子 Aji Glass


文・写真:尾島可奈子

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