忍者の里で受け継がれる伊賀くみひも

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こんにちは。ライターの川内イオです。
今回は伊賀の伝統的工芸品「伊賀くみひも」についてお届けします。

昨年に公開されたメガヒット映画『君の名は。』。日本と海外での興行収入を合わせると約3.5億ドル(約385億円)に達し、世界で最も稼いだ日本映画となった。この映画で、一躍脚光を浴びた日本の伝統的工芸品がある。主人公の男女をつなぐ重要なアイテムとして登場する「組紐(くみひも)」だ。

組紐とは、3本以上の糸や糸の束を組みあげた紐のことを指す。その歴史は古く、縄文時代の土器にも組紐でつけた文様が施されている。また、奈良時代には仏具や経典、巻物の飾りつけに使用されていた。
その後、歴史の移り変わりとともに武具、茶道具、印籠、たばこ入れの飾り紐、そして和装束の帯締めや羽織紐として用途を広げていった。

組紐のシェアトップは伊賀

仏教の伝来とともに京都に伝わり、のちに江戸でも発展した組紐には現在、量産に対応するために製紐機(せいちゅうき)などの機械で作るものと手で組みあげる手組紐があり、現在、国内でトップシェアを誇るのが三重県の伊賀が産地の「伊賀くみひも」だ。

50玉以上の糸を組んで作られている帯締め

その伊賀の伝統工芸士、松島組紐3代目の組紐職人、松島俊策さんは若かりし頃には京都で修業した経験を持ち、伊勢志摩サミットの際、各国代表団とプレス関係者に配られたバッグの取手部分に付けられた組紐飾りを手がけた。

松島組紐3代目、松島俊策さん

伊賀で組紐が発展した理由

産業としての組紐の歴史を紐解くと、組紐の三大産地は東京、京都、伊賀で、伊賀には最後に伝わった。ほかにも小規模なところがあるが、松島さんによると東京、京都という大都市と肩を並べるほど伊賀の土地に馴染んだのは、いくつかの要因があるそうだ。

「明治中期に廣澤徳三郎という人物が東京の組紐の技術を持ち帰ったのが伊賀組紐の始まりです。伊賀の組紐が発展したのは、京都と大阪、名古屋に近いという便利さがひとつ。もうひとつは、当時、伊賀に主だった産業がなかったことですね。組紐はほとんど一般の家庭で家庭内手工業的に作られてきたので、農家の女性の内職として広がりました。あとは、伊賀は忍者の里というぐらいで秘密を厳守する地域性だったこと。もともと組紐の技術は伏せられていたので、伊賀の文化に合ったのでしょう。いまでも門外不出の柄がありますから」

松島さんが京都で修業をしていたのはバブルの真っただ中で、高級な和服がよく売れたために質の良い帯締め、羽織紐も人気があった。しかし、バブルが弾けると和服業界は一気に冷え込み、組紐業者も大打撃を受けた。
そうして京都、東京の組紐業者が激減していくなかで、大都市に近く、高品質な手組紐と量産できる機械組のどちらもニーズにも応えられる伊賀に注文が流れてくるようになってきて、伊賀のシェアが拡大した。

ちなみに、松島組紐の工房では1965年から製紐機を導入しており、「マシンメイドもできるし、手組もできるという環境にあったから、いままで続けられた」と振り返る。近年は、売り上げも両方のバランスのとれた状態に落ち着いた。

町中から離れたのどかな集落にある工房

いまでも着物の帯締めは主力の商品で、特に女性が成人式に着る振袖用の帯締めは年間を通して注文が入るそうだが、最近では紋付き袴の羽織紐の注文も増えているという。松島さんが手掛けたものを見せてもらうと、フワフワで光沢のある毛先の広がりが美しい。

男性用紋付きの羽織紐

「ポリエステル、レーヨン、ナイロン繊維などいろいろな繊維を取り寄せて試作してみることからスタートして、10から20種類は試しましたね。そのなかでポリエステルを選びました。ポリエステルにもいろいろな種類があるので、その中で一番合うものを使っています」

帯締め1本に4日間

取材に訪れた日には、松島さんの奥さんのひろ美さん、長男の健太さん(26)と次男の康貴さん(25)が手組の作業を見せてくれた。
紐を組む道具には「高台」と「丸台」があり、それぞれ特徴がある。

左側が高台、右側が丸台。特に丸台の技術の継承者が少ないという

大掛かりな木製の高台は使う糸の数が多く、しっかりとした組紐ができ、美術工芸品や絹の帯締めなどフォーマルなものを作ることが多い。丸台は普段使いのカジュアルなものを作るのに使うが、柔らかく、伸縮性がある紐ができるので、着物を着慣れた人は、丸台の紐を好むそうだ。

3人のなかで一番手慣れた様子のひろ美さんは、松島さんのお母さんから手ほどきを受けて7、8年。この日は60玉の糸を使った、長さ1メートル55センチの帯締めを作っていたが、驚いたのは完成までの日数。「1日高台に座っていたとして、3、4日ぐらいです」。松島さんが「よっぽど好きじゃないと、この仕事はできません」と言っていた意味が分かった気がした。

ひろ美さんの作業の様子。滑らかな手つきがに思わず見入ってしまう

ふたりの息子さんは、奥深く、決して楽ではないこの仕事を継ごうとしている。
「ずっとこの家の仕事を継ぐんだろうなと思いながら育ってきた」という健太さんは、昨年、自動車販売の営業を辞めて実家の仕事を手伝うようになった。この日、健太さんが組んでいたのは、52種類の糸を使った帯締め。「(組んだ目を)叩く力、角度、糸の引っ張り方次第ですぐに歪んでしまう。指がうまく動かないし、糸の順番を間違えることもある。まだわからないことばかりです」と苦笑する。

日々、試行錯誤続ける健太さん

弟の康貴さんは、大阪のデザイン専門学校を卒業し、京都市でデザイナーとして働いた後、実家に戻った。「組紐のこともまだまだ知らないことがあるので、勉強しつつ、やりたいことがもっとできたらいい」と語る。

組紐の照明作品などを手掛ける康貴さん

健太さんが「僕と弟は全然違う。自分はアイデアがわいたりするタイプではないから、弟が考えたものを僕が作りたい」というと、康貴さんは照れたように俯いた。その様子を見ていた松島さんとひろ美さんは、静かに微笑んだ。近い将来、松島さんからふたりの息子に門外不出の柄が継承される日が来るのだろう。

<取材協力>
松島組紐店
伊賀市緑ヶ丘西町2393-13
TEL 0595-21-1137
FAX 0595-21-8061

くみひも studio 荒木
伊賀市荒木160番地
090-5879-8002
http://www.iga-kumihimo.com/

文・写真:川内イオ

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