京都・茶筒の開化堂の140年続く茶筒づくりに迫る

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開花堂の茶筒

京都市下京区に「茶筒の開化堂」を訪ねて

「開化堂」の茶筒をご存知でしょうか。

蓋を茶筒の口にそっと合わせれば、すーっとなめらかに落ちて蓋がおのずとぴったり閉まる。細密な職人仕事に思わずため息が出る、佇まいの美しい茶筒。

手づくりならではつくりの良さや、使い込むほどに変わる色の変化も楽しみのひとつで、長く一生ものとして使える茶筒は、日本だけでなく海外でも人気です。

京都市下京区河原町、鴨川が流れるほど近くの茶筒司、「開化堂」を訪ねました。

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140年の年月を越えて続く茶筒づくりの現場へ

明治8年に創業した「開化堂」。イギリスから仕入れたブリキの板を、それまで日本になかった丸缶にしようとしたのは初代でした。以来140余年もの間、その技で茶筒を作り続けているのだといいます。

茶筒づくりは、まず素材を切るところから。ブリキ、銅、真鍮などの板を大きな押し切りでカットします。ここでほんの少しでもずれると茶筒の上下がうまく合わなくなってしまうという、大切な作業。

ちょっとしたクセも響いてしまうので、いつもひとりの職人さんが担当するのだそう。

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蓋の高さや胴の高さが台に印されているものの、少しのズレも許されない。
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大切なブリキの型。昔から、「火事になったらこれだけでも持って逃げろ」と言われていたそう。

断面の表と裏の微妙な歪みをとったり、丸めた時の合わせ目に段差ができないように板の端を木槌で叩いて薄くしたりと、板の段階でていねいな準備が必要。丸めた時に重なるのりしろに筋を入れるのも、かなりの精密さが求められます。

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うっすら入ったのりしろの線が見えるでしょうか。

裁断した材料を1枚1枚、「三枚ロール」という道具で真円になるように丸め、「ハッソウ」と呼ばれるクリップのようなものでのりしろを止めてはさみます。

この「ハッソウ」は昔から開化堂で手づくりされているもので、ピアノ線を曲げてつくっているそう。なんと常に3000個もあるんですって!

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真円に丸めた筒を「ハッソウ」ではさむ。
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これが「ハッソウ」。1年使うとバネの力が弱るので消耗品。

130以上の工程の集大成として生まれる「開化堂」の美しい缶

底入れ・ハンダづけの作業は、2人で向かい合って。下から火で温めているので、向かいの人に丁度良いタイミングで筒を置いてもらわなければ温度の管理が難しいといいます。

「昔、親父と母親がふたりでこの作業をしてたんですが、夫婦ゲンカしたら微妙に母親がタイミングをずらしていたんですよ(笑)」

とおっしゃるのは6代目の八木隆裕さん。昔は家族だけの工房でしたが、今は若い職人さんがたくさん増えて賑やかです。

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隆裕さんも毎日工房に入り、いろいろな作業を担当します。
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今はガス火だけれど、おじいさんの頃は炭火。毎朝おばあさんが火をおこす係だったそう。
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ハンダづけに使うコテも年季が入っています。
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胴に合わせる相方を決めて、調子を合わせていきます。
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わずかな調整は隆裕さんが経験で覚えてきた技術です。

磨きの作業でようやく終盤。との粉と菜種油をつけて、磨きすぎず絶妙なタイミングを見極めて磨き上げるといいます。細かな作業工程は、130工程以上。全ての作業に細密さが求められ、その集大成として「開化堂」の美しい缶が生まれます。

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磨き作業。昔は足踏みで回転させる装置を使っていたそう。

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