途絶えてしまうかもしれない鹿沼の組子細工。400年の技を受け継ぐ職人たち
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みなさん「組子」をご存知ですか?
私は栃木の工芸品を調べていた時、初めて「鹿沼組子」の写真を目にし、その美しさに惹かれました。
その鹿沼組子は、なくなってしまうかもしれません。
釘を使わず立体的に仕上げる組子細工
組子は、障子や欄間、襖など建具の一部に組み込まれる細工のことで、幾何学模様が特徴です。その歴史は鎌倉時代にまで遡るともいわれています。
漁師が投網をしている様子を描いたこちらは、県の伝統工芸品である「鹿沼組子書院障子」。「曳き網」と言う模様で、漁師や魚、富士山部分には彫刻が組み込まれるなど、見事な職人技と遊び心のあるデザインは、見ていてワクワクします。
平面に描くのではなく、立体ならではの美しさ。しかも、小さく切り出した木片を釘を使わずに作られているのだそうです。
いったいどうすればそんなことができるのでしょうか。
実際に見てみたいと、「鹿沼組子」の産地、鹿沼に出かけてきました。
全国の腕利き職人があつまった鹿沼
栃木県鹿沼市は、江戸時代、日光西街道、例幣使街道の宿場町として栄えました。
日光東照宮を造営の折、全国から集められた腕利きの大工職人たちが仕事のない冬場や帰郷の際に滞在し、その技術を伝えたのが現在まで400年続く鹿沼の木工技術のはじまりとも言われています。
鹿沼組子の原点といわれる「花形組子障子」
そんな木工の街で江戸時代に作られたお祭りの「屋台」に、鹿沼組子の原点を見ることができます。
屋台とはお祭りの山車のこと。この屋台の脇障子「花形組子障子」が、鹿沼の組子技術の原点とも言われているものです。現代の、細かいパーツを組んで模様を作っていくものとは違いますが、パーツを組んでいく工法は同じだそうです。
こうした職人の技術が受け継がれる一方、鹿沼では周辺から質のよいスギ、ヒノキなどが切り出されていたことから、江戸時代より戸、障子、雨戸など建具の生産がはじまり、華やかな組子を取り入れた建具が鹿沼で作られていくようになります。
今回は、そんな鹿沼で今も組子を使った建具作りを続ける豊田木工所を訪ね、組子が生まれる瞬間に立ち会うことができました。
模様は200種類以上。スピードが鍵を握る組子づくり
「組子の魅力は華やかさ。木片に切り込みを入れて組み合わせる技術は日本独特のものです」
と語るのは豊田木工所社長、豊田晧平(とよだ・こうへい)さん。職人だった祖父から数えて3代目。自身は職人ではありませんが商品企画のアイディアを出し、建具だけでなく新しい組子製品を製作、販売しています。
「組子の技術が発展したのは明治以降、温泉旅館などで高級建具として使われるようになってから。模様は職人たちが腕を競い合って編み出したものです」
模様の数はなんと200種類以上。さらに、模様を組み合わせることで、様々なデザインを作ることができます。
「組子は全国で作られていますが、産地として製作しているのは鹿沼だけだと思います。1本の建具を作るのに、2、3社で分業しているので早くできるのが特長です。そのため、組子職人も技術だけでなく早さが求められます」
ひとつひとつ時間をかけて作り上げていくものだと想像していたので、スピード重視で作り上げるというのは意外なお話でした。
ほんのわずかな厚みを残して切り込みを入れる
組子職人の伊澤栄(いざわ・さかえ)さんに、組子の代表的な模様「麻の葉」を作る様子を見せていただきました。
材料はヒノキを使用。木目の美しさだけでなく、油分があるため、刃物切れもよく、仕上げが楽だそうです。工場はヒノキのいい香りで包まれていました。
組子は、何千もの細かなパーツで組み立てられているため、作業はパーツ作りからはじまります。
木材を機械で必要な厚さと長さに揃え、組み合わせるための切り込みを入れたり、角度をつけたりしていきます。
切り込みの角度が1ミリでもずれると組み立てられないので正確さが求められます。
現在は機械でできる工程も多くなりましたが、それでも一人前になるには10年はかかるそうです。
パーツが揃ったところで、外枠を組み、その中に三角形の地組み(基本の形)を作っていきます。
地組みが出来上がったら、いよいよその中に模様となるパーツを組み込んでいきます。
パーツが隙間なく、気持ちいいほどぴったりとはまっていきます。なるほど、こうやって作っていたんですね。
みるみるうちに模様ができていき、わずか3分ほどで完成。今回は私に説明をしながらだったので、これでもゆっくり作っていただいたようです。普段はいくつも同時に作っているとのこと。
それにしても、組子がこんなに細かくパーツに分かれているとは思いませんでした。だからこそ、細かい模様が作れるんですね。
「好きな模様?そういうのはないですね。注文がきたものを作るだけですから」という伊澤さん。
職人歴50年、伝統を受け継ぐ数少ない職人の一人です。
中学卒業後、建具屋で10年修行するも、建具だけでは食べていけないと、組子職人の元へ。30歳でようやく一人前になれたと言います。
「自分は今67歳で、後輩が50代、その後はいないので我々で終わりかもしれませんね」
1964年(昭和39年)、鹿沼木材工業団地が造成されるなど、鹿沼の建具は昭和30年代〜40年代にかけ、最盛期を迎えます。組子を使った建具も多く生産されていました。
しかし、時代とともに私たちの住まいも変わり、建具を使った和室のある家が少なくなっていきます。
現代に合った組子のかたちを目指して
このままでは鹿沼の誇るべき伝統技術が途絶えてしまう。豊田木工所では2006年(平成18年)より、東京ビッグサイトで開催されていた「グッドリビングショー」に出展し、鹿沼の建具、組子の技術を紹介するようになりました。
その後、組子を使った現代風の建具、ホテルの客室の照明器具、ロングトレーやコースターなど新しい製品開発に繋げていきます。
2014年(平成26年)に日光オープンした「星野リゾート 界 日光」の「鹿沼組子の間」もそのひとつです。豊田木工所をはじめ、鹿沼建具商工組合に加盟する組子職人たちが腕を振るいました。
「今は、設計士さんやデザイナーさんが描いてきたデザインを職人に見せて、どうやったらできるか相談しながら作っています。これからは組子をどう使うか。何かと組み合わせて使うなど、コラボレーションの時代だと思っています」
建具があってこそ活かされる組子の美しさ
江戸時代より職人たちが腕を磨き、競い合って発展してきた組子。
今回、豊田木工所でコースターやロングトレーなど様々な組子製品を見せていただきましたが、一番印象に残ったのが「障子」でした。
「これひとつで部屋がガラッと変わりますよ」
豊田さんも嬉しそうに話していたように、組子の建具のある部屋を想像するだけで気分も華やかになります。
建具でこそ活かされる木目の美しさ、デザイン性、連続する幾何学模様。
いつか組子を使った建具のある暮らしをしてみたい。
すっかり組子に魅了された旅となりました。
<取材協力>
豊田木工所
鹿沼市戸張町2357
0289-65-5333
http://www.toyodamk.com/
木のふるさと伝統工芸館
鹿沼市麻苧町1556-1
0289-64-6131
文:坂田未希子
写真:坂田未希子、豊田木工所、星野リゾート 界 日光
こちらは、2018年7月7日の記事を再編集して掲載しました。