益子焼を救った人気駅弁「峠の釜めし」誕生秘話

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電車を使った旅行は、車窓を眺めながらのんびり過ごす時間も楽しいもの。その魅力のひとつが、各地の味を詰め込んだ駅弁です。

JR信越本線・横川駅(群馬県)の駅弁「峠の釜めし」は、人気駅弁の代表格。峠の釜めしの一番の特徴といえば、何と言っても土釜(どがま)の容器。紙やプラスチックの容器とは異なる、ずっしりとした重みと温かみが人気です。

そんな、峠の釜めしの土釜、実は関東を代表する焼き物として有名な、栃木県の益子焼なんだそうです。その誕生秘話を伺うべく、土釜の製造元である、株式会社つかもとを訪ねました。

益子焼の土釜を使った釜めし
益子焼の土釜を使った釜めし

「峠の釜めし」の土釜を作るのは、益子最大の老舗窯元だった

真岡鐵道真岡線・益子駅から車を走らせること10分ほど。株式会社つかもとの本社に到着しました。

つかもと本社。緑に囲まれた静かな場所にあります
つかもと本社。緑に囲まれた静かな場所にあります

1864年の創業以来、時代に合わせて絶えることなく益子焼を作り続けてきたという益子最大の窯元です。広大な敷地内には釜工場の他に益子焼の売店・美術館・ギャラリー・陶芸体験のできるスペースなどがあります。

同社で広報を担当されている野沢さんに、峠の釜めし誕生のいきさつを教えてもらいました。

東京の台所用品づくりで発展した益子焼

もともと益子焼は、1853年に大塚啓三郎が陶器製造を開始したところから始まりました。つかもとを創業した塚本利平(つかもと・りへい)が窯をおこしたのは、その11年後の1864年のこと。

益子焼の主な製品は土瓶やすり鉢など、生活雑器と呼ばれた台所用品。比較的新しい焼き物産地ではありますが、東京に近い地の利を生かして、益子はどんどんと成長していきました。

益子焼の土瓶。重厚な色合い、ぼってりとした肌触りが特徴
益子焼の土瓶。重厚な色合い、ぼってりとした肌触りが特徴

特に東京大震災や太平洋戦争後は生活用品の不足からくる特需で好況を博したそうです。しかし、終戦後の復興が進んだ1950年頃には人々の生活様式の変化も相まって、台所用品の需要が低下。

益子焼の窯元は、濱田庄司が先導した民藝用品の製造へと転換をはかりましたが、どこも苦しい経営を余儀なくされていたんだとか。

「つかもとも、時代に合わせた新しい商品を作らねば、ということで4代目社長夫人・塚本シゲの主導で、様々な製品づくりに取り組みました」

実は不採用だった、おなじみのお弁当容器「釜っこ」

そんなある時、東京の百貨店から「益子焼の弁当容器を作ってほしい」と、つかもとに依頼がありました。

「きっと、家庭向けのものだったんでしょうね。土釜の弁当容器を考案し、提案したようです。結局は不採用になってしまったんですが、シゲさんはその『釜っこ』(土釜の愛称)に随分と愛着を持っていたようです」

現在の土釜。軽量化などはされたものの、シゲさんが作った当時からほとんど変わらない。アメ色の釉薬は益子焼伝統の色だ
現在の土釜。軽量化などはされたものの、シゲさんが作った当時からほとんど変わらない。アメ色の釉薬は益子焼伝統の色だ

偶然訪れた「おぎのや」との出会い

「これは是非世に出したい、きっと日の目を見て売れるに違いない、と信じ、関東近辺の弁当屋へ土釜の営業をかけ続けたんです」

ところが、土釜を持参して色々な弁当屋を回ったものの、重さが原因で断られ続ける日々が続きます。「こんなに重いものを使うわけがないだろう」と、にべもなく追い返されてしまったといいます。

群馬県・高崎駅の駅弁屋さんへ営業をかけ、いつものように断られた帰り道。電車が停まった横川駅で、転機は訪れました。

「当時、横川駅では列車の付け替えのため、一時間ほどの停車時間がありました。せっかく時間があるのだから、横川駅の駅弁屋にもダメ元で声をかけてみよう、ということになったようです。それが今の峠の釜めしの販売元である、『おぎのや』さんでした」

横川駅では長い停車時間があったにも関わらず、弁当の売れ行きが伸び悩んでいたそうです。温かい弁当を提供できれば人気が出るのではないかと考えていたところに、保温性と耐久性のある益子焼の土釜がぴったりとはまり、その日のうちに納品が決まりました。

峠の釜めし人気が、益子焼全体を支えた

1958年に発売された峠の釜めしは、当時としては大変画期的な「温かい駅弁」として徐々に人気を博していきます。

デメリットと言われ続けた土釜の重みは、逆に「落ち着いた感じ」「温かみを感じる」と言われるようになり、峠の釜めしになくてはならない存在になりました。

発売当初は1日あたり数十個という単位から始まった土釜づくりも、その人気は年々高まっていき、ついにはつかもとだけでは製造が追いつかない状況に。

そこで20軒に及ぶ益子の他の窯元に釜づくりを発注し、大量に製造できる体制を作りました。他の窯元にも型を提供し、どこの窯元で作ってもスピーディに同じ土釜が出来るように工夫したといいます。

土釜は型を利用して作られるため、全て同じ形に出来上がる
土釜は型を利用して作られるため、全て同じ形に出来上がる

経営難に陥っていた他の窯元も潤い、結果として益子焼の産業全体が持ち直すことができたのです。

「峠の釜めしは、発売から60年経った今でも、年間300万個も売れ続ける大ヒット商品です。これだけ数量が出る商品というのは、通常ではありえませんからね。峠の釜めしが、当時の益子焼の作陶全体を支える形になりました」

1日1万個の土釜を製造する、日本一の釜工場

野沢さんのご案内で、土釜を作る工場を見せてもらうことができました。現在では、峠の釜めしの土釜は全て、この自社工場で作っているそうです。各工程に機械を導入し、1日1万個もの土釜が次々と作られていきます。

1個あたりおよそ5秒というスピードで、成形や釉薬掛けなどの各工程を進んでいく
1個あたりおよそ5秒というスピードで、成形や釉薬掛けなどの各工程を進んでいく
焼成前の土釜がずらり。ベルトコンベアで窯詰め(窯に入れるため、器物を台車に詰める)の工程へ運ばれていく
焼成前の土釜がずらり。ベルトコンベアで窯詰め(窯に入れるため、器物を台車に詰める)の工程へ運ばれていく
左が焼成前、右が焼成後。8時間かけて焼き上げると、釉薬が益子焼伝統のアメ色に変化する
左が焼成前、右が焼成後。8時間かけて焼き上げると、釉薬が益子焼伝統のアメ色に変化する
機械化されているとはいえ、バリ取り(出っ張りを取り除くこと)の一部や窯詰めなどは人の手でおこなう
機械化されているとはいえ、バリ取り(出っ張りを取り除くこと)の一部や窯詰めなどは人の手でおこなう

時代に合わせた商品づくりで、伝統を未来へ

土釜を製造するラインの横で、釜めしの土釜とは違った製品を見かけました。

「峠の釜めしの生産ラインを利用して製造できる、新しい商品を開発しているところです。シゲさんが作った土釜の愛称『釜っこ』からとって、『kamacco(かまっこ)』と名付けました」

峠の釜めしの土釜(右)と、新製品の「kamacco(かまっこ)」(左)。同じ工場のラインを使って製造している。
峠の釜めしの土釜(右)と、新製品の「kamacco(かまっこ)」(左)。同じ工場のラインを使って製造している。

「伝統を守って未来につなげていくためには、やはり産業として成り立っていることも大切です。そのためには、先代たちがそうであったように、時代にあったものを作り続け、売り続けなければなりません。

特に現代は物があふれ、ただ作っただけでは売れなくなっています。きちんと機能性を持った、価値のある商品が求められていると感じています。先程の『kamacco(かまっこ)』は、自分ならではの時間を過ごしたい、という人のそばに置いてもらえれば、との思いで開発しました」

新商品「kamacco(かまっこ)」は平成29年度とちぎデザイン大賞(最優秀賞)を受賞。一合炊きの土釜で、たった20分で美味しいご飯を炊くことができる
新商品「kamacco(かまっこ)」は平成29年度とちぎデザイン大賞(最優秀賞)を受賞。一合炊きの土釜で、たった20分で美味しいご飯を炊くことができる

「現代に合った商品を手にすることで益子焼の存在を知ってもらう。そしてさらに益子へ足を運んでもらい、地元とも協力して益子を盛り上げていきたいですね」

峠の釜めし誕生の裏側には、偶然の出会いと、時代の流れに負けない窯元の熱意とが存在していました。そしてその情熱は峠の釜めしを大ヒット商品に育て、旅人のお腹を満たすだけでなく、益子という産地自体を元気にしたんですね。

あぁ、久しぶりに釜めしが食べたくなってきました。

今度峠の釜めしを見かけたら、益子焼の土釜とともにじっくりと味わいたいと思います。

<取材協力>
株式会社つかもと
栃木県芳賀郡益子町益子4264
0285-72-3223
http://www.tsukamoto.net/
※工場見学は要予約

文:竹島千遥
写真:竹島千遥、株式会社つかもと

※こちらは、2017年11月16日の記事を再編集して公開しました。

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