27歳で東京の会社員から飛騨の漆職人に転職した、彼女の選択
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職人への転職。見知らぬ土地への移住。これは、忙しい日々の気分転換のつもりで出た旅が、自身の人生と、ある産地の大きな転機となった一人の女性のお話です。
1日だけのお正月休み
「その年のお正月休みは1日しかありませんでした。
仕事のことを考えなくて済むように、何か気持ちを落ち着かせようってお城のプラモデルを作ったんです。今思えば、かなり疲れていたんですね。
でも、そういえばその時も、組み立てより塗る方が楽しかったんですよね」
少し緊張した様子で語り出したのは大野理奈さん。職業は塗師 (ぬし。漆塗り職人のこと) 見習い。
岐阜県飛騨高山の地で400年続く飛騨春慶塗の世界に、およそ40年ぶりに現れた「新弟子」です。
千葉県出身の28歳。前職は東京のイベント会社で、明け方から深夜まで追い立てられるように働いていたといいます。
「夜中に電話がかかってきて翌朝までに資料を作ることになったり。昼も夜も休みも関係ないような忙しさで、休日は携帯の電源を切ったりしていました。
27歳になった頃に、このままでいいのか、と考えるようになりました」
仕事の関係でよく通っていたのが日本橋。イベントを行う商業施設で伝統的な工芸品を目にすることも多く、中でも漆の器の美しさが心に残っていました。
「どこか、そんなものづくりもあるような歴史の古い街に、旅にでも出かけようかなと思ったんです」
旅の情報収集に、移住支援センターへ
ここなら観光の情報も教えてくれるかも、と立ち寄ったのが、有楽町駅近くの交通会館内にある「ふるさと回帰支援センター」。
地方暮らしやIターンなどを考えている人のために、各地域の情報を提供している施設です。
これが、大野さんと春慶塗の出会いでした。
「もともと古い町並みや歴史を感じるものが好きで、旅先の候補に長野や伊勢、岐阜の飛騨高山を調べていたんです」
「ちょうどセンターに岐阜県の窓口があったので、『漆に興味があるんですが、岐阜にはそういう産地ってないですか?』とたずねました。
それまでは春慶塗のことも、全く知らなかったんです」
窓口の人は、即座に教えてくれました。
飛騨高山は400年続く漆器産地であること、漆器の名を飛騨春慶塗ということ。
そして、ものづくりに触れたいという大野さんに、春慶塗の組合長さんを紹介してくれたのです。
「2016年の4月に高山へ行って、組合長さんの案内で塗りの工程を見学させてもらいました。
翌月には、塗師として働きたいという意思を組合長さんに伝えていたと思います」
ああこれかな。
最初に春慶塗の現場を見たときに、大野さんが思ったことだそうです。
「特にこれだ!と強く意気込んだわけでもなく、ただ自然と、これかな、という気持ちになったんです。やらないという選択肢は、ありませんでした」
なぜそう思ったかは今でもわからないんですけれど、とはにかむ大野さんの頭には、有名な漆器産地を訪ねるという選択肢も、不思議とはじめから無かったといいます。
「それもなぜだかは、わからないんですけれど (笑) 」
それからは、機会を見つけては高山へ通う日々。
「地域の方と話す機会も増えていって、高山のみなさんの、穏やかな人柄にも惹かれていきました。
来るたびにどんどん、ここだな、という気持ちが強くなって」
就職先の見つけ方
高山市は、後継者不足が深刻だった飛騨春慶塗への支援策として、就労志望者に5年間の補助金を出す制度を設けていました。
2016年にはこの制度を利用して、木地を加工する「木地師」に飛騨春慶史上初の女性後継者が誕生しています。
大野さんも、この制度を利用して春慶塗の門を叩こうとしていました。
しかし扉は、受け入れる先がなければ開きません。
飛騨では自宅と併設の工房で、何十年と自分一人で仕事をしている職人さんがほとんど。
新たに弟子を迎える環境を作ると言うことは、そう簡単ではありません。大野さんが高山で春慶塗に触れた春から、ちょうど1年が経とうとしていました。
「ともかく会って話をしてみましょうか」
塗師の川原俊彦さんがそう大野さんに声をかけたのは、ある思いがあってのことでした。
「木地師が材料から引き出した木目の美しさを、いかにムラなく漆を配って最大限に『見せる』か。これが、春慶塗の真骨頂です。
ですが、私が40年ほど前に入門したのを最後に、塗師の弟子入り志願者は現れていませんでした」
400年続いてきたものづくりが、自分たちの世代で終わるかもしれない。
「だから大野さんの話を聞いた時に、なんとかしてあげなきゃと思ったんです」
直に大野さんと会って話を聞き、自身の工房を案内し、今の仕事の状況や提供できる環境を伝えました。
「それでもよければ、一度戻ってご家族とも相談して」
そう伝えると、
「ぜひ、お願いします」
大野さんはその場で弟子入りの意向を伝えました。
「よっぽど来たいんだなって思いましたね」
川原さんは驚きながらも、大野さんの決意の固さを感じたそうです。
「即答でした」
そう笑う大野さんは2017年の夏、飛騨高山の人になりました。
Iターン職人の日常
8月末に高山に引っ越して、9月から仕事始め。
現在は、「支援のある5年間で技術を習得できるように」と、川原さんの指導のもと漆塗りの基礎を学んでいます。
水の染み込みを防ぐ「目止め」や、漆の奥に透ける着色の工程、仕上げの漆を塗りやすくするための「摺り漆」など、川原さんが担う最終の「上塗り」のための下準備が、大野さんの今の仕事です。
「この摺り漆などで、刷毛やヘラなど道具の使い方を覚えていくんです」
仕事は9時から17時まで。日曜がお休みです。
「今は決まった時間で働かせてもらっていますが、川原さんは私が帰った後も仕事をされています。忙しさは職人さんも会社勤めも、きっと変わらないと思います。
けれど、同じ忙しさでも、今はひとつ工程を終えるごとに器の見た目も手触りも変わっていく手応えが嬉しい。
全部の工程が、楽しいです」
職人への転職を決めた娘に、大野さんのお母さんは「ものづくりの方が向いているかもね」と声をかけたそうです。
「市から補助金をいただいているんだから、高山の人に迷惑をかけないように」
そう送り出された高山での生活は、東京での一人暮らしとは全く違っていました。
「高山は、土地の歴史や伝統が、生活のすぐ近くで感じられます。
季節の変化にも誰もが敏感です。雪の話、日の長さの話、ちょっと気候が変われば必ず話題にのぼります。
そういうことが、ここではずっと受け継がれてきたんだなって」
仕事の連絡が入るのが嫌で休日に携帯の電源を切ることも、なくなりました。
「もっと早く来ればよかった」
お話を伺った大野さんの作業部屋には、大きなタンスのような建具が置いてあります。上塗りを終えた器を乾燥させるための「風炉 (ふろ) 」です。
「いつか上塗りまでできるようになったら彼女が使えるように、もう仕事を辞められた職人さんに、譲ってもらったんです」
春慶塗のバトンは、静かに受け継がれようとしています。
<取材協力>
川原春慶工房
文:尾島可奈子
写真:岩本恵美、尾島可奈子
画像提供:高山市