日本でただ二人、鹿児島の「うまい焼酎」の鍵を握る職人親子「岩崎蛇管」
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鹿児島の焼酎造りにしか使われないという「錫蛇管(すずじゃかん)」。
錫には不純物を吸着させる性質があり、錫蛇管で作った焼酎は、雑味の少ない、まろやかな風味に仕上がると言われています。
かつては鹿児島の酒造会社では一般的に使われてきた錫蛇管ですが、今は少なくなってしまったそうです。
前回は、現在も錫蛇管を使っている酒造のひとつ、本坊酒造の知覧蒸溜所を訪ね、錫蛇管がどのように使われているか見せていただきました。
では、その錫蛇管はどのように作られているのでしょう。
使用済みの錫蛇管を固定する木枠に作り手の名前が。
日本で唯一、錫蛇管を作っているという工房に伺ってきました。
「ブーム」が焼酎の造り方を変えた
かつて鹿児島には錫鉱山がありました。
鉱山から錫を運んだ旧「錫街道」沿いに、今回訪ねる「岩崎錫管」さんがあります。
住宅街の一角。
一見すると普通の住宅に、親子二人で錫蛇管を作る工房がありました。
仕事を始めて10年目という息子の岩崎隆之さんにお話を伺いました。
「昔は、鹿児島のほとんどの酒造会社さんが錫蛇管を使われていましたが、何年か前の焼酎ブームで需要が増えて、どこもステンレスの蛇管を使った大型の蒸留器に変わっていきました」
錫蛇管は大型の蒸留機には使えないことや寿命が短いことがネックになったようです。
「ステンレスは、半永久的ですからね。でも、酒造会社さんによっては“これじゃないと駄目だ”というところもあるので、本坊酒造さんのほか数社に納めています」
錫蛇管の製造元も何社かあったそうですが、後継者不足や需要の減少などから、今では岩崎蛇管さん1社になってしまったそうです。
全国で鹿児島の焼酎を楽しめるのは嬉しい一方、そのために継ぎ手が減る伝統もあるのだと思うと複雑な気持ちがします。
流す量によって、薄くしたり厚くしたり
今では貴重となった錫蛇管の制作を見せていただくことにしました。
「まず、錫を溶かします」
溶かした錫を和紙を敷いた台の上に流し、石の重しを乗せて固め、錫の板を作っていきます。
「錫は高温になりすぎるともうダメです。固まらずに全部流れちゃいます、ダーッと」
厚みを調整するのは、流す錫の量。
「流す量によって、薄くしたり厚くしたり、加減ですね」
経験とはいえ、加減で調整するとは驚きです。
「厚みは重要ですね。蛇管の上の部分はけっこう圧力が結構かかるので、ちょっと厚めにしたり。でも、あまり厚くなると硬くなって曲げるのが大変なので、そのあたりの加減を見ながら作っています」
続いて、型取り。
型は全部で13種類あります。
型に沿って線を引き
型が取れたらカットしていきます。
え⁉︎ハサミで!
金属なのにハサミで切れるなんて、やっぱり錫って柔らかいんですね。
「これは比較的薄いので簡単に切ってますが、厚みがあるところはなかなか大変です。切っているときに厚すぎるなと思ったら失敗、使えませんね」
1つの錫蛇管を作るのに100枚以上のパーツを切り出し、カットした後は切り口にヤスリをかけて滑らかにしていきます。
名前のない道具
これはいったいなんでしょう?
錫の板を当てて
叩いて!
叩いて!
丸く曲げて、筒の形状(半分)にしていきます。
この道具の名前を聞くと「名前?知らない。道具も自分で考えてつくってもらったりしよんのや」とお父さん。
鍛冶屋さんで特注して作ってもらったそうで、板の幅や作りたい形状に合わせて使うため様々なものが揃っています。
「トントンすっと、音がうるさいでしょう。近所にさ。気使いますよね。だから昼間は叩くんだけど」
作業場が住宅地にあるため、叩く工程は朝の10時過ぎから始めて、夕方4時前には終わらせているそうです。
波打つような模様が美しい溶接部分
続いて、鏝が登場。
鏝を熱して端材の錫を溶かしながら、2枚の板をつなぎ合わせて筒にしていきます。
ようやく一部分が完成!
ひとつの蛇管を作るのにこのパーツだけで40数本必要になります。
全てが手作業
完成すると、錫蛇管の重さは1台100キロほど。
今は酒造会社さんに取りに来ていただいているそうですが、かつては輸送手段がなかったため、輪にしたものを酒造に運び、泊まり込みで作り上げていたといいます。
それにしても、全てが手作業で行われていることに驚きました。
もしかしたら機械を使える工程もあるのかもしれませんが、微妙な加減は手作業でしか出せないもの。
ふたりで1台作るのに、2ヶ月ほどかかるといいますが、想像以上に大変なお仕事でした。
「毎年、10月ぐらいから醸造がはじまるので、それまでにメンテナンスを済ませて、新しいのを入れ替えるような感じですね」
「昔は酒造会社さんによって錫蛇管の形も違ったみたいなんですけど、それだとちょっと大変なので、今はだいたい型を統一してもらっています。出口の方向だけは、酒造会社さんによって違いますね」
思いの詰まった焼印
錫蛇管を作る方が少なくなっていく中、なぜ岩崎さんは続けてこられたのでしょうか。
「師匠に、これ覚えといたら必ずいいことがあるからって言われて、続けてきました。ほんと、誰も今つくる人いないもんなあ。面倒くさいし。好きでないとな。根気がいるから。ねえ」というお父さん。
10年前、そんな父親の仕事を継ごうと、息子さんは会社勤めを辞めたそうです。
きっかけは雑誌の取材でした。
「本坊酒造さんがメインの取材だったんですが、うちにも来られて。それを見たときに、やっぱり残しておいたほうがいいかなと思って」
その時、すでに錫蛇管を作っているのは岩崎さんだけになっていました。
「最近、やっと作れるようになりました。曲げるのが難しいんです。理屈ではわかっているんだけど、なかなか上手くいかない。体で覚えていくしかないっていう感じですね」
本坊酒造さんで見かけた焼印がありました。
「これは私がうちの仕事を始めた時に、何かしたいなと思って作りました」
錫蛇管は冷却タンクの中に入ってしまって、外からは全く見えないものですが、自分たちが作ったものに誇りをもっている、そんな力強さを感じます。
たったふたりで、昔ながらの鹿児島の美味しい芋焼酎の味を支える岩崎蛇管。
錫蛇管は今日も住宅街の中で粛々と作られています。
<取材協力>
岩崎蛇管
文 : 坂田未希子
写真 : 尾島可奈子