「あの頃は光が見えへんかった」──京都・老舗提灯屋の息子たちが逆境で灯した、現代のあかり

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京都を彩る京提灯。街の至るところで目にする提灯のなかでも、ひときわモダンな空間と調和する光を放つ提灯があります。

江戸・寛政年間(1789〜1801年)から続く、京提灯の老舗工房「小嶋商店」が展開する提灯ブランド、「小菱屋忠兵衛」です。小嶋商店の跡を継ぎ10代目となった、小嶋俊さんと諒さんのご兄弟が、約5年前に新しく立ち上げました。

家業の後継ぎと現代に合わせた文化発信──。100年以上の歴史をもつ老舗がひしめく京都では、「若い後継ぎ」はさほど珍しいことではないかもしれません。また近年では、伝統文化をモダンなかたちに昇華し発信することは、文化的な豊かさで一日の長がある京都の、新たなお家芸となっているようにも感じます。

小嶋商店も、伝統工芸の後継者不足が全国で深刻な問題となるなか、若い職人が中心となって活躍して京提灯の伝統を守りつつ、「小菱屋忠兵衛」も京都の新しい提灯ブランドとして確実に認知度を上げています。

今回は、京都市内で数件のみとなった、職人が手作業で作る「京・地張り式提灯」の製法を続ける工房「小嶋商店」の小嶋兄弟を訪ね、お話を伺いました。

豊かな歴史と、その京都文化を現代に昇華させる若い後継ぎたち。

一見華やかにみえる現代の京文化の担い手たちですが、その裏には「長い歴史」だけでは語れない苦労と、京の職人たちの強い結びつきがありました。

「光がみえへんかった」

「小菱屋忠兵衛から僕たちの提灯を知ってもらえる。それがめっちゃ嬉しいんです」

取材中、小嶋商店からではなく小菱屋忠兵衛をきっかけにお二人の提灯を知ったことを伝えると、笑顔でその言葉が返ってきました。

この日は「年に一度の大仕事」、日本最古の劇場「京都四條南座」の大提灯に最後の和紙一枚を貼り付ける最中でした

一気に人気に火がついたミニ提灯の「ちび丸」や、セレクトショップのインテリアに用いた提灯や、六本木アートナイトでのインスタレーションなど、伝統的な京提灯も技法を駆使し、現代のモダンな空間に合わせた提灯を生み出している「小菱屋忠兵衛」。

しかし、ブランドを立ち上げた5年前は、かなり苦しい中での船出だったそうです。

「小嶋商店」10代目、兄の小嶋俊さん

「小菱屋忠兵衛をやってて本当によかったと思えます。この5年間、自分たちがやってきたことが間違ってなかったんやって、最近ようやく実感できるようになってて」

そう俊さんは話します。

「本当に光が見えへんかった。毎日毎日、なんなんこれ、って。自分たちが小嶋商店の家業を継ぐようになったとき本当に仕事がなくて、あの時期はかなりしんどかった。僕らが継ぐ前は、作り手はあまり表に立たないほうがいいというのが親父の考えでした。以前は自分たちの提灯も、提灯屋さんに提灯を納める、いわゆる下請けの仕事が中心でした」

それでは家族が食べていけない。なにかを変えなければいけない。兄弟の意見はそう一致していました。そんな中、ふたりがスタートしたのが「小菱屋忠兵衛」でした。

「うちは工房で、ショップを構えているわけでもない。そもそも自分たちの商品を見せる仕事もしていませんでした。何をどうやったらいいかもわからない中で、ブランドを作って、開業届けをだして、色んなところ走り回って。あの時期はだれも認めてくれないし、嫌なことも多くて自分でもモヤモヤしていた。でも『家族にご飯を食わすんや!』ってとにかくがむしゃらにやっていました」

「あれがなかったと思うとぞっとする」。がむしゃらさが偶然の10分間を生んだ

そんなおふたりが”転機”だと話すのが、3年前の偶然の出来事です。

「小菱屋忠兵衛としてのデビュー戦が、京都のセレクトショップ、『PASS THE BATON(*1)』さんのインテリアに使う提灯を製作するお仕事でした。あれがきっかけで、『いらんことせんでええねや』と思えたんです。真剣にいいもの作って飾ってもらったら、こんなにかっこよくなるんやって気づけました」

いいあかりを作り、その魅力が伝わるよう、内装などを現代の空間に落とし込んでいく。自分たちがやるべきことがはっきりしたと俊さんは話します。そんな転機となった仕事も、「とにかくがむしゃらに動いた」という俊さんの行動が引き寄せた偶然であり、必然でもありました。

俊さんは現在、44歳以下の京都の職人をつなぐ「わかば会」の会長も務めている。

「僕らがいつもお世話になっている、老舗京金網屋の『金網つじ』の辻さんという方がいらっしゃって、彼が『PASS THE BATON』をプロデュースしている、スマイルズの遠山さんを紹介してくださったんです(*2)」

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「僕らが提灯をランプシェードにするためにわからないことがあって、辻さんがランプシェードを作ってはったので、たまたま辻さんのところに聞きにいったんです。

そしたらたまたま遠山さんがいらっしゃってて、辻さんが繋いでくださった。そこからいろいろなことが動き出したんですけど、遠山さんとの出会いも10分ずれていたら今の僕たちはなかった。あれがなかったとおもったらゾッとしますよ。今ごろ潰れて終わってたかもしれない。それぐらい厳しかったんですよ。世の職人さんたち、みんなどうやって飯食ってんの?って思ってました」

*1)「NEW RECYCLE」をコンセプトにした、東京・表参道にあるリサイクルセレクトショップ。2015年に京都・祇園にオープンした。

*2) 遠山正道。スープ専門店「スープストックトーキョー」、ネクタイブランド「giraffe」などを展開する株式会社スマイルズの代表取締役。

「ほんまに、わけわからんことだらけやったなぁ」と弟の諒さん。

「それこそ僕は高卒で、経営のことなんてまったく知らんまま入って、『これはなんでこの値段なん?』って聞かれても言えない、そんな状況やった。でもそれを兄貴が試行錯誤して、いろんなとこに出向いて、周りのひとに教えてもらって、段々と掴めてきた。結局周りのひとのおかげなんです。

 世の中に出ているものって、みんながいいと思うものもあれば、そうじゃないものもあるじゃないですか。でも世に出るということは、作った人にやる気があって、それがきちんと伝わった結果やと思うんです。僕らはひたすらいいもの作るだけですけど、なんぼいいもんでも人が知らんかったら残っていかないという危機感も同時にある。小菱屋忠兵衛もそのなかでやり始めたんです」

「色んな人に『なんで違う名前?小嶋商店でええんちゃうの?』と言われたんですけど、やっぱり見え方も変えなきゃいけない。それで違うブランドにしようということになりました」。俊さんも頷きながら数年前を想い起こします。

「ほんとに周りのひとのおかげやなぁ。結局、ありがとうございますとやる気です。僕らってこれまで営業という営業をほとんどやっていないんです。でもどうにか僕らを知ってくれた方がお客さんとして発注してくれて、その人が宣伝してくれて‥‥の繰り返しで、数珠つなぎに仕事が広がっていきました。

わけわからんでも、とにかく動いてたら誰かの目に止まる。そこからだれかが力を貸してくれる。結局、僕らもそれがなかったら、本当に何にもなかった。それでもご飯たべていけるのは誰かが助けてくれたからなんです」

俊さんの結婚式で、「ハート形の提灯を作って欲しい」という要望から生まれた小嶋商店の人気商品「ちび丸」。現在、小嶋商店の提灯製作体験にて手に入れることができます。「ちび丸がは僕たちを色んなところに連れていってくれました。とても思い出深い作品です」

「親父が、最近楽しそうなんです」

「家族を食べさせられてるってものそうですし、最近そう思うことの連続なんですけど、やはり親父が喜んでることですね」

この仕事を選んでよかったと思うことーー。月並みな質問ですが、俊さんから返ってきたのはそんな言葉でした。

「最近楽しいらしいんです。いち選手(職人)として楽しくなってきてるというのは、すごくいいことだなって僕は思ってます。これまで何十年も、作った提灯がどこに使われてるかもわからない仕事を親父は黙々とやってきてた。ひたすら作って、ときには値段を買い叩かれて、親父にも色々あったと思うんです。それでも僕らを育てて」

工房を訪れて感じたのは、小嶋さん兄弟とお父さんの護さん、周りの職人さんたちの雰囲気がとても明るいということ。冗談を交えてときにやり合いながら、職人たちが二人三脚でひとつの提灯を製作する姿が印象的でした。

「家業を継ごうなんてまったく思ってなかった」という兄弟のふたりが、いまこうして小嶋商店の10代目として提灯を自らの人生にしているのは、ふたりにとっての「あたり前の風景」があったからです。

「なんで家業を継いだのかってよく聞かれるんですけど、本当に理由が特にないんですよ(笑)。『よっしゃ継ぐぞ!』っていう感じではまったくなく。本当にスルっと手伝い出した感じで。でも家に帰ってきたらみんな仕事してて、親父が仕事してる姿をずっと見てたり、仕事を邪魔して遊びに来たら『10分だけやぞ!』って遊んでくれたり。よく考えたら、親父が常に身近でした」と諒さん。

俊さんも笑ってこう話します。

「僕なんかは結構宙ぶらりんで、親父から『出ていけ!』と言われるくらいでした。結婚すると急に必死になってきてね(笑)。なんとかこれで家族食わすんやって」

子供の頃にふと手を伸ばした、親の本棚のある本やCDに影響を受けていることに、大人になってから気づくことがありませんか。それがふたりにとっては”親父の背中”だったのかもしれません。

小嶋さんたちにしてみれば当たり前なのかもしれませんが、会社員である父の仕事の姿など見ることがなかった僕には、「親の仕事を見て、それを継承する」ということが、とても新鮮に映りました。

小嶋さん兄弟だけでなく、彼らの15年来の幼馴染であり、ベルリンにて機器メーカーで会社のマネジメントを経験したのち、昨年から「小嶋商店」の一員として働く武田真哉さんも、「こどものころからここに出入りしていて、かっこいいと思っていた」と話します。

「小菱屋、小嶋商店の提灯を海外に広げていきたい」と語る武田さん

これからの小菱屋忠兵衛について、お二人はこう話します。

「小菱屋忠兵衛を多くのかたに知ってもらって、提灯を見たら小菱屋忠兵衛、小嶋商店だと、世界中のひとから思ってもらえるようにしたいですね」

新しいブランドを立ち上げ、「提灯屋のデニム」を作る計画も

「大きいビルもいらないし、工房がもうひとつあるくらいでいい。でもすごいやつらが京都にいる。そんなブランドにしていきたいと思ってます。

僕らはどこまでいっても提灯屋で、それ以上でもそれ以下でもありません。しっかり竹を割れる職人と、しっかり紙を貼れる職人、しっかり絵を描ける職人がいる、それだけを突き詰めて行きたいです。それで家族が幸せで健康に暮らすことができれば、それが一番です」

<取材協力>
小菱屋忠兵衛
http://kojima-shouten.jp/
小嶋商店 http://ko-chube.com/
〒605-0971 京都府京都市東山区今熊野椥ノ森町
075-561-3546

取材・文:和田拓也
写真:牛久保賢二

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