ポケットに漆器をしのばせ、今宵もまた呑みに行かん
「こぶくら」──そんな可愛らしい名前の漆器があると知ったのは、岩手県二戸市浄法寺を旅したときだった。
浄法寺漆芸の殿堂と言われる工房兼ショップの「滴生舎」を訪れ、ご飯や味噌汁を入れる椀、どんな料理をも受け止めてくれそうな皿や盆、漆塗りの箸などがずらりと並ぶ、その一角に置いてあったのだ。
汁椀よりひとまわり、いや、ふたまわりほど小さいだろうか。手にすっぽりと収まるくらいの大きさで、ふっくら丸みを帯びている。
それにしてもこぶくらとは。こぶ・くら? こ・ぶくら? まるで呪文のような響きが面白く、それでいて謎めかしい。これはいったい……。
「『こぶくらって何?』──それがはじまりでした」
「20年ほど前のこと。私が滴生舎で塗師をはじめて少し経ったとき、何か面白い漆器をつくれないかと浄法寺塗の歴史を調べていたんです。新しいことをする前に、古き文化を知っておこうと思って。そのとき『こぶくら』という漆器がこの地域の人々に愛用されていたことを知りました。で、思ったんです。こぶくらって何だよ、って(笑)」
そう話すのは「滴生舎」で塗師を務める小田島勇さんだ。
「名前の由来は分かりませんが、結局のところ、どぶろくを呑むための酒器。それがこぶくらでした」
こぶくらでどぶろくを──ますます呪文めいてきたが、かつて浄法寺町では、どこの家庭でも自家製どぶろくを造り、楽しんできた歴史がある。
どぶろくとは米と米麹、水などを発酵させ、もろみ(醸造後に酒粕になる部分)を漉さずに造る、白く濁った酒のこと。日本酒のにごり酒と見た目は近いが、あちらはもろみを漉したものである。
現在は、酒税法により個人的などぶろく造りは全国的に禁止。ただし、地域の活性化を目的とする国の構造改革によって、浄法寺町の一部ではどぶろく造りが認可されている。
〝人の和〟の中心には、いつもこぶくらがあった
「自家酒造が禁止される明治31年までは、浄法寺でも盛んにどぶろくが造られていて、冠婚葬祭はもちろん、みんなが協力し合って行う田植えや稲刈りのときなど、人が集まる場にはどぶろくと、それを楽しむための漆器、こぶくらは欠かせないものでした」
教えてくれたのは「浄法寺歴史民俗資料館」の資料調査員である中村弥生さん。
資料館には旧家で使われていた昔ながらのこぶくらが残っていた。その横にはこぶくらに酒を注ぐ〝ひあげ〟という片口も。
写真ではサイズ感がつかめないかもしれないが、ひあげは直径30㎝、高さも20㎝ほどあるだろうか。およそ一升半ものどぶろくが入るというからかなり、でかい。
ちなみに、こぶくらの語源をご存知でしょうか?
「日本語に〝ふくら〟という言葉があるでしょう。柔らかにふくらんでいること、ふっくらとしている様をいうんですが、それを見立ててこぶくらと言ったという説があります。また昔の文献には福が来るという意味を込めて〝福来〟と書いてあったり、小ぶりであることから転じて〝小ぶくら〟になったという説も…まあ、はっきり言って分からないの。
確かなことといえば、この地域の人はみんなお酒が大好きだってことね(笑)」
客人が来れば酒を用意し、祝い事があればみんなで酒を酌み交わす。人が集まるたびに酒をこぶくらで呑み明かすのが、この地域でのコミュニケーションであり、大事なおもてなしだったのだ。
呑兵衛の発想で、現代風にアレンジ
小田島さんはこぶくらの復興に取り組んだ。
この地に根づいた昔ながらの漆器を残すため。そして何よりこぶくらで酒を飲んでみたかったから。そう、小田島さんも歴とした呑兵衛だ。
現存するこぶくらの形やサイズを測り、図面をひいた。それを元に木地をつくってもらい、自ら漆を塗り重ねた。
「昔と同じものをつくってみたんですけど、そのままだと大きすぎて、持て余すというか、手にしっくりなじまなくて。しかも、全然可愛くなかったんです」
そこで2割ほど縮小して現代風にアレンジ。
原寸のこぶくらが1合分(180ml)だったのに対し、新しいこぶくらはおよそ8勺(130〜140ml)ほど。
「いずれにしても普通のお猪口に比べるとかなり大きい。僕もお酒を呑むから分かるんですが、小さい猪口でちびちび呑むのって面倒じゃないですか。ある程度のサイズがあればいちいち酒を継ぎ足さなくてもいい…っていう、完全に酒呑みの発想です」
丸みがあって持ちやすく、高台(卓に接する脚の部分)が高めで持ちやすい。
「しかも漆器って滑らないんですよね。手に吸い付いてくれるので、酔っぱらっても落としにくいんです(笑)」
実は「滴生舎」にはほかにも、酒呑みの発想から生まれた酒器がある。
たとえば〝すえひろ〟という下の方が広がっている形の酒器。縁起のいい〝末広がり〟から名前をつけたというが、
「酔っぱらうと酒器を倒して酒をこぼすこと多いでしょう。だから重心を下のほうにおいて、傾けてもコロンと起き上がるようにしてあるんです」
こちらは、フリーカップとして使える〝ねそり〟。
「下半分を反らせたデザインにすることで持ちやすくしてあります。それに漆器は熱を伝えにくく冷めにくいという特長が。お湯割りを呑むにもよし、表面に水滴がつくこともありませんから水割りやロックにもおすすめなんです」
漆器と酒、この絶妙な相性たるや。
「南部美人」五代目に聞いた漆器と酒の関係
岩手の地酒といえば「南部美人」。明治35年創業の蔵元は、滴生舎と同じ二戸市にある。
五代目の久慈浩介さんが、地元でつくられる漆器の魅力と、酒との相性を語ってくれた。
「漆器はまず口当たりがいいんです。唇にあたった瞬間の感触がなめらかで、陶器やガラスなど、ほかの酒器にあるような冷たさを感じない」
「それに酒を注いだときの〝映え〟もいいんです。漆でコーティングされているからか、酒器に酒のツヤやしなやかな表情が映り込み、とても美しい。これはガラスや磁器の酒器などでは味わえない、漆器ならではの楽しみです。
もちろん、味や香りの感じ方は酒器によってガラリと変わるんですよ」
たとえば、世界的に有名な純米酒用のグラスで「南部美人 特別純米酒」を飲んだとき。
「純米ならではの豊かな香りが広がり、非常に繊細で飲み心地も軽やか。これはこれでとても旨い」
続いて、こぶくらで呑んでもらうと
「こちらはしみじみ旨い。米の旨味や丸みといったものをグラスより感じます。口にあたる漆器の質感や形状などからそうした違いが生まれるのでしょうけど、滋味深くて、酒の余韻をより長く感じますね」
おいしそうに呑む久慈さんの姿に誘われて、失礼してこちらも呑み比べ──。
確かに。同じお酒なのに、酒器が違うと味や香りがまったく違うものに感じられる。これってすごく面白い。
「漆器はどんなお酒も楽しめるけど、日本酒でおすすめなのはどっしりとした純米酒や滑らかな口当たりのにごり酒。あぁでも、残念ながら泡酒だけは合わないかな(笑)」
それにしても地元の米と水、人が造ったお酒を、地元の漆を塗った酒器で味わえるなんて、どれほど贅沢なことだろう。
「二戸は小さな片田舎ですけど、世界に誇る地元の酒米から造る酒や漆器があります。そしてこの地ならではの食材があり、郷土の味もある。ぜひ足を運んでいただき、二戸というテロワールを楽しんでほしいですね」と、久慈さんは語る。
鞄やポケットに漆器をしのばせて
最後に、愛用の漆器の酒器を見せてください──。
そうお願いすると、小田島さんは鞄からおもむろにこぶくろを取り出した。えっ、そんなに大雑把な感じですか? なにかに包んであるわけでもなく、鞄の中にガサッと入れてあったのだ。
「漆器は丈夫ですから、これくらい全然平気です。それにどうせ毎日使うものだしね」
また、ある人はポケットからさっと漆器の猪口を取り出した。
「これ、マイ猪口です」
こんなふうに二戸ではマイ漆器を気軽に持ち歩き、酒を楽しむ人も多いとか。小田島さんは言う。
「酒との相性はいいし、手にしっくり馴染むからツルッとすべって落とすこともない。漆器の酒器は呑兵衛にはうってつけです。唯一心配なことといえば…酔っぱらって店に忘れちゃうことくらい(笑)」
そんなこと言いながら。今宵もまた漆器でお酒を呑むんだろうな。
<取材協力>
滴生舎
岩手県二戸市浄法寺町御山中前田23-6
0195-38-2511
https://urushi-joboji.com/life/tekiseisha
浄法寺歴史民俗資料館
岩手県二戸市浄法寺町御山久保35
0195−38−3464
株式会社 南部美人
岩手県二戸市福岡字上町13
0195−23−3133
https://www.nanbubijin.co.jp/
岩手県二戸市浄法寺総合支所 漆産業課
http://urushi-joboji.com
文:葛山あかね
写真:廣田達也