世界が認めたナマハゲ「中の人」インタビュー。「一人前への道のりは衣装作りから」
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ナマハゲになるには?50年務める「中の人」に聞きました
新しい年が明けると、次に話題になるのが成人式。
とはいえ式典に出たから大人、というわけでもなく、地域によっては「これができたら一人前」という通過儀礼があったりします。
2018年にユネスコの無形文化遺産に登録された男鹿 (おが) のナマハゲ行事も、実はそのひとつのよう。
「ナマハゲ行事って何?」を体験取材した記事がこちら:「体験して、ナマハゲ行事の本当の意味がわかる。男鹿真山伝承館へ行ってきました」
「子どもの頃は本当にこわかった‥‥」と取材した全員が口を揃えたナマハゲ行事ですが、なった人には、違う景色が見えるようです。
ナマハゲ特集、今回はナマハゲ「ご本人」の登場です。
ナマハゲに53年間なってきた人
はじめにお話を伺ったのは「真山 (しんざん) なまはげ伝承会」会長の菅原昇さん。
ナマハゲ行事を行う集落は男鹿市内に80ほどあり、地区ごとにその出で立ちや振る舞いが違います。
中でも菅原さんが生まれ育った真山は、古い形式が残されているという地域。
男鹿半島の中で「お山」として古くから信仰を集めてきた「真山」のふもとに位置し、ナマハゲは山から降りてきた神様として家々に迎えられます。
その真山地区で菅原さんは50年以上、ナマハゲをつとめてきました。
17歳のナマハゲデビュー
—— 何歳からナマハゲをされていますか?
「17歳のときに初めてナマハゲになりました」
「ただ、わたしは20歳で結婚したので、大晦日の行事にナマハゲとして参加できたのは3年だけだったんです」
今はゆるやかになっているそうですが、元々大晦日にナマハゲになれるのは未婚男性のみというしきたり。いわば巫女さんのような存在なのですね。
「それで心残りもあったのかな。伝承会で観光行事などに参加する広報活動を通じて、ナマハゲになってきました」
ナマハゲの気持ち
—— ナマハゲになるって、どんな気持ちですか?
「ナマハゲはあらゆる厄を追い払って新しい年に幸せを与えてくれる、とてもありがたい存在。
迎える側は神様が来ているんだという思いで迎えてくれます」
「こちらもお面をかぶった瞬間から、自分とは違う神聖な存在になったような気持ちになるんですよ」
—— やはり衣装の中でも、お面は重要ですか。
「お面をかぶって、初めてナマハゲになります。
地区にもよりますが、真山ではお面をかぶったら行事の間、決して外しません。そして行事が終わると、大体はその地区の会長が、大切に保管します。
12月になるとケデづくりとお面の手入れを始めるんですが、それまで1年間、地区の外には絶対に出さないんです。
お面は、神様が宿るものですからね」
ナマハゲもつらいよ
—— 本当にナマハゲは、神聖な存在なんですね。それでも、実際にやるとお子さんが大声で泣いたりして、辛いと思うことはなかったですか?
「それは、あります (笑)
けれど、ナマハゲ行事は子どもを脅かすことが目的ではないからね。
立派に育って、ゆくゆく地域を守ってもらいたいという思いでやっている。
子どものころからちゃんと勉強して親の言うことを聞かなければ、立派な大人に成長しないよと、ナマハゲの姿を借りて伝えます」
「少しはおっかないところがないと効き目がない。でもあまりに怖がる子はちゃんと加減もしますよ」
「それに、ナマハゲ行事は子どものためというより、家族全体のための行事なんです」
「誰かに悪い行いがあればナマハゲは注意する。でも、詰め寄るナマハゲに対して主人が必ず家族をかばう」
「それも家族の絆に繋がっていく。そんなところを誇りに思ってます」
ナマハゲは、年に一度家族をまとめ直す重要な役割。
だから地区の青年が年頃を迎えても、すぐになれるわけではないそうです。
「まずはこういうところから行事を覚えていく」という、『ケデ作り』を見せてくれました。
神様を宿す衣装「ケデ」
ケデは、その年に刈りとられた稲ワラで編むナマハゲの衣装。
「衣装として身につけることで、神様に捧げるというんですかね。
『今年も豊作で、おかげさまで1年無事に過ごせました』と神様に感謝する思いで、自分たちで作ります」
菅原さんと一緒に実演を見せてくれたのは、ケデ作りの名人と呼ばれる畠山富勝さんです。
一人前への第一歩。ケデ作り
—— 全部自分たちの手で作るんですね!かなり大変なのでは?
「いやいや、作ること自体は大体ひとつ10分、20分くらい。
本番は人数分必要なので、大晦日の1週間くらい前には青年会で集まって、大勢で工程を分担しながら一気に作るんです」
—— そこで作り方を覚えていくんですね。
「代々先輩から後輩に、やりながら教えてね。
地域の先輩から『今年のケデ作り、手伝ってくれないか』とお願いされたりすると、そろそろ自分も地域の若者として認められつつあるんだな、と自覚するんです」
ナマハゲにとってのナマハゲ行事
—— あっという間に完成!こういう準備段階から覚えて、若者はだんだんナマハゲに「なって」いくんですね。
「大晦日当日も、はじめの数年は巡った家からのご祝儀を預かる役とか、先立 (さきだち) といってナマハゲが行く前に家を廻る役をやったりね。
そうして何年か行事に参加してナマハゲのお面をかぶったときに『あぁ俺は成人として認められたんだな』という実感がわくんです」
—— ナマハゲのお面をかぶってからが一人前。
「そう。すると今度は自分が人を訓戒する立場になるでしょう。
他所の家の子どもとか、必要であればそこの旦那さんにもナマハゲとして『オヤジ最近酒飲みすぎだ』とか『タバコ吸いすぎだ』と言わなきゃいけない」
「そうやって人を訓戒しながら、さて自分の1年はどうだったのかなと、ナマハゲはナマハゲで、お面の下で自身を振り返るんです」
「一方で、ナマハゲに叱られた子どもは親に渾身の力でしがみつく。なだめてナマハゲを帰す親を尊敬する。
そのうち小学2、3年の頃になると自分から隠れるようになる。兄弟ができると、妹や弟をつれて隠れろと言う。
そうやって自立していくんだ、男鹿の子どもたちは」
一方、今はプライバシー意識や支度の大変さなどで、ナマハゲを招き入れる家が減っているのも事実。
菅原さんたちの伝承会では子どもの頃からナマハゲへの理解を深めてもらおうと、学校への出張授業も行っているそうです。
「やっぱり小さい頃の体験があってこそ、大人になったときの気づきがありますからね」
そんな話をしながらケデ作りは2枚目に突入。
取材もそろそろ終盤という頃、その輪に一人の女性が加わりました。
畠山さんを「師匠」と呼ぶ福留純枝さんです。
ナマハゲが育った場所
実は福留さん、畠山さんにケデ作りを教わって今では他の地域からも製作を頼まれるほどの腕前の持ち主。
「ケデというより、ワラ細工を覚えたかったんです。
ここは男鹿の生活文化を伝えていく施設なので、もともと畠山さんには、田んぼや地域のことを色々と教えてもらっていました」
「教わることの中にワラ細工もあって、やっているうちにハマりました (笑) 」
「そのうち、ケデも編んでみれって話になって。大晦日の行事は女の人が基本的に立ち入れないので、イベントごとで依頼があると編む感じですね」
「男鹿には独特の編み方をするワラ靴があって、最終目標はそれを編むことなんです。ナマハゲも昔はこのワラ靴を履いていたんですよ」
「普段の暮らしの中に、ワラで何かを作る文化が元々ある。
食べることや暮らすことがみんな繋がっているんですよね」
この福留さんの一言に、取材で見聞きしたことが凝縮されているように感じました。
男鹿の子どもたちはナマハゲ行事を通して家や地域のことを知り、お面をかぶる頃には男鹿の暮らしをよく知る、立派な「一人前」になっているのだろうと思います。
<取材協力>
里暮らし体験塾
男鹿市北浦真山字水喰沢
0185-22-5050
https://www.namahage.co.jp/sato/
文:尾島可奈子
写真:船橋陽馬 (根子写真館)
*こちらは、2019年1月10日の記事を再編集して公開しました。