地場産業を支える色とりどりのばんこ焼
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特集「産地のうつわはじめ」
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幸せと喜びあふれる、鹿をかたどった手塩皿
薬味や調味料、香の物などを入れて色とりどりに楽しめる鹿をかたどった手塩皿。
菰野町(こものちょう)で窯業を営む有限会社山口陶器さんと、「幸せと喜びがあふれるように」と願いを込めてつくりました。
「お皿といえば、丸か四角かオーバルか」という常識にとらわれない新しい発想から生まれた愛らしい鹿のかたちは、食卓のアクセントになるでしょう。小さなお子さまやご年配の方まで、贈り物にも喜ばれる一品です。

茶趣味が嵩じて始まった焼き物
江戸時代中期の元文年間、桑名の豪商・沼浪弄山(ぬまなみ ろうざん)の茶趣味が嵩じて開窯されたのが、萬古焼(ばんこやき)のはじまり。
沼浪家の屋号でもあった「萬古」。“いつの世までも栄える優れた焼き物であるように”と「萬古不易」と印を押したことから、名が付いたと言われています。
幼い頃から茶道に精進した茶人・弄山は、京風のカラフルな色絵を中心とした華やかな作品を多くつくり出しました。
それらの焼き物を「古萬古」*1と呼び、当時、鎖国下にあった日本の知識人から「異国の香り漂う品」とたいへん人気を集めたそうです。
(*1)「古萬古」:開窯時(1736~40)より、弄山の没する1777年頃までの萬古焼をいう。
地場産業を支える四日市萬古
1830年頃より「有節萬古」「再興萬古」と萬古焼の再興は重なりました。その後、幕末から明治初年にかけて、萬古焼は文人趣味の窯から産業へと発展を遂げました。
三重県四日市市では明治時代より定着し、いまでは伝統工芸品にも指定され、地場産業となっている「四日市萬古」。
焼き方にもカタチにもとらわれない自由な発想を生かしながら、開窯から270年が経った現在も、焼き物の一大産地として多くの製品をつくり出しています。
より良いものづくりを未来に繋げていくため萬古焼
四日市市菰野町で窯業を営む山口陶器の山口さんは、自社ブランド「かもしか道具店」だけでなく、7社で結成したブランド「菰野ばんこ」や、4社での合同会社「4th-market」にも参加。
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窯元同士で結束する理由には、協力しながらお互いの役割を果たすことによって、地域に根づいた生産体制を守っていく必要があるからだそう。
共に手をとりあって、ものづくりを文化として高めることを目標に活動されています。
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掲載商品
鹿の手塩皿
650円(税抜)
豆皿の写真は、お料理上手のTammyさんが撮ってくださいました。他にも普段の食卓のコーディネイトの参考になるような写真がたくさんあります。Instagramも、ぜひ覗いてみてください。
文:中條美咲
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