いま、若手陶芸家が京都を目指す理由
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説明が難しい「清水焼」という焼き物
京都を代表する伝統工芸品のひとつとして知られる「清水焼(京焼)」。
名前は聞いたことがあっても、どんな焼き物か?と言われるとパッと思い浮かばない人も多いかもしれません。実は、清水焼には決まった技法やデザインがなく、原料の土や石も他産地のものを取りよせて使用しています。
そのため、清水焼と言えば、という共通のイメージが持ちにくい一方で、その多様性こそが特徴とも言える焼き物です。
現場の作り手たちは、どんな思いで清水焼を作り続けていているのか、この先にはどんな展望があるのか、取材しました。
五条坂を活動の拠点に選んだ陶芸家・中村譲司さん
中村さんはまだ38歳と、陶芸の世界では若手に入ります。オブジェや器など様々なものを作り、各地での個展を成功させていています。
窯元の家に生まれたわけではなく、大阪出身で実家はおそば屋さんです。大学を出てまずは宇治・炭山で3年、そして山科の清水焼団地で2年働いたのち、五条坂近くに自分の工房を構えました。
「美術系の高校を出て、京都精華大学芸術学部の陶芸学科に入りました。炭山に行ったのも清水焼団地に行ったのも特に理由はありません。まずは、働ける場所があったからです」と話す中村さん。
「ほんの少し前まで、自分では『京焼・清水焼をやっている』という意識はなかったんですよ。オブジェなどのアートにしても器などの実用品にしても、とにかくその時々ごとに作りたいものを作っていました」とのこと。
「やはり京焼・清水焼の“メッカ”を拠点にしよう」と五条坂へ
そんな中村さんですが、工房にする物件を探すにあたり、多くの窯元が集まる清水焼団地でも泉涌寺でもなく、清水坂・五条坂にこだわりました。
その名の通り、清水焼は清水寺周辺ではじまっています。清水寺の門前として江戸時代中頃から大きくにぎわい、参拝客などへのみやげ物として焼き物が生産・販売されていた清水坂・五条坂エリアは、まさに清水焼のメッカとも呼べる場所です。
「祖父母の代を考えるとみんな京都出身なので、京都とは縁があったとは思っています。ただ、家系としては陶芸とはまったく関係ありません。何もない自分としては、『せめて陶芸の“メッカ”に行かないといけない』と思っていました」
かつて師匠が工房に使っていた五条坂近くの賃貸物件がたまたま空き家になったタイミングでそこに入り、最近になって、すぐ隣の土地を手に入れて工房を建てました。
ここに来たことはやはり正解だったと中村さんは話します。
「ほかの地域に行っていたら、ここまで色々な作家さんとは知り合えなかったし、お客さんとの出会いやつながりも少なかったでしょう」
京都の精神が焼き物にあらわれる。それが清水焼
「京都の文化や精神を吸収し、身体に染み付いてきたことで生まれる作品が京焼・清水焼だと思っています。そこには、日ごろ触れる京都の風景・空気・人などが影響しているはずです」
18歳から京都に出て、約20年。地元の大阪よりも長い時間を京都で過ごしました。
「2年前くらいから、自分のことを『京都人です』と言っていいかなと思えるようになってきました。
うまく言葉で説明できないのですが、京都に暮らしていると『この人はいかにも京都の作家だな』と思う人たちに出会います。彼らがつくるものには、どこか必ず共通するものを感じるわけです。
特徴が無いと言われがちな清水焼ですが、京都人がつくったのかそうでないのか、明確な違いがあると感じるようになりました」
自身がつくるものにも、そんな「京都の精神」が出てきたような気がするという中村さん。
いまでも『京焼・清水焼』をつくっているという意識はないそうですが、最近になってようやく、自分の作品が『京焼・清水焼』と呼ばれることには、違和感がなくなったそうです。
「五条坂近くに工房を置かなければ、そうはならなかったんじゃないかな」、と話してくれました。
京都陶磁器会館 林大地さんの考える京焼・清水焼の将来と問題点
京都陶磁器会館を運営しているのは、京都の陶磁器産業の振興のために設立された京都陶磁器協会です。
会館のスタッフとして業界全体に目を向けながら、自身も陶芸家として活動する林大地さんに、京焼・清水焼の現状や今後の課題を聞きました。
手仕事へのこだわりを捨てず、生き残る道を探る
「これまでの伝統は大事に、壊さないようにしつつ、しかし新しいものも作っていかないといけないところに、課題があります」
あまり知られていない京焼の特徴として、轆轤(ろくろ)も絵付けも全部手での作業ということが挙げられます。
「ほかの焼き物ならば生地は機械で作っていたり、図柄はプリントだったりも許されますが、京都ではそれは認められません。
このアイデンティティーを守りながら、価格などでも競争していかなければいけいない難しさがあります」
後継者については、少しずつ明るい話も出てきているようです。
「今、京都には陶芸が学べる大学・専門学校が全部で8つあり、新人を供給する環境としては十分です。
これまでは、これらの卒業生を受け入れるべき窯元が、新しい人を採れない状態がずっと続いてきました。
しかし、業界の景気も底を打って、少しずつ上向きになってきています。『まずはアルバイトぐらいからでも、人の採用を再開してみようか』という窯元も増えており、この流れを持続させたいところです」
最近ではインバウンドの需要が急拡大しており、その影響もあるとのこと。
「海外旅行客の影響は明らかにあります。業界の景気が上向いているのも、そのおかげです。
ただ、この先も彼らが京都を訪れてくれるのか、京焼・清水焼といった伝統工芸品を買ってくれるのかは、少し用心しないといけないかもしれません」
インバウンドの好影響がある反面、国内の若者からの認知度が下がっていることに、林さんは危機感を抱いています。
「『清水焼』も、50代以上の人ならば『きよみずやき』と読んでくれますが、10代20代では『しみずやき』と呼ぶ方も珍しくありません。
若い人たちにいかに興味を持ってもらい、価値を知ってもらうのか、作り手の方達と協力しあってチャレンジしているところです」
400年の歴史を持つ京焼・清水焼は、手仕事にこだわり続け、高い技術と京都の精神性、そして多様性を持って発展してきました。時代の担い手たちは今、その魅力をいかに伝え広げていくのか、という課題に取り組んでいます。
<取材協力>
京都陶磁器会館
http://kyototoujikikaikan.or.jp/
中村譲司さん
http://george-nakamura.com/
文・写真:柳本学