武将の鎧を再現し続ける「江戸甲冑師」の作業場を覗いてみた
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もうすぐ5月5日の子どもの日ですね。日本では端午の節句として、男子の健やかな成長を祈るためさまざまな行事を行う風習があります。また、端午の節句はこの時期に盛りを迎える菖蒲から、菖蒲の節句とも呼ばれています。
「菖蒲(しょうぶ)」は武を重んじる「尚武(しょうぶ)」と音が同じであることから、端午の節句は武家の間で盛んに祝われるようになりました。次第に庶民にも広まり、華やかな人形や兜を飾るようになったのは、武家社会から生まれた風習だからです。
自分の身を護る大切な道具だからこそ、事故や病気から大切な子どもを守ってくれるように、健やかに育ってほしいという願いも込められているのです。
今回は、端午の節句に飾る兜(かぶと)や甲冑(かっちゅう)を製作する江戸甲冑師・加藤鞆美(ともみ)さんの作業場に伺い、お話を聞いてきました。加藤さんは平安時代から江戸時代までの兜を製作。他に製作できる職人が見当たらないほどの完成度だといいます。
全国行脚をしながら甲冑製作の研究を重ねる
加藤鞆美さんは1934年、東京都北区に生まれ、父である初代・加藤一冑のもとで、甲冑製作の修行を積みました。一冑が全国行脚して集めた甲冑の資料を裏付けるために、自ら博物館、展示会、神社、仏閣に足を運んで研究を重ねています。
「京都の博物館に甲冑展があると、2日は通いましたね。甲冑を見ながら絵を描くんです。写真は絶対禁止。草摺(くさずり:甲冑の胴の裾に垂れる部分)は何枚あるのかなどを確認するわけです。すると、警備員に注意される。甲冑師という存在を知らないから、身分を明かしてもわかってもらえなくて」と加藤さんは振り返ります。
一度見ても納得いかなかったら、もう一度見に行くことも。かつては手に取って触れられたそうですが、自治体が買い取ったり、国宝などに認定されたりする物が多く、ガラス越しでないと、実物を確認できないことが多いのだとか。
その苦労も乗り越えながら、加藤さんは江戸甲冑を作り続けています。
江戸甲冑と京甲冑の違いとは?
鎧(よろい)や兜は製法の違いによっていくつかの種類に分かれますが、代表的なのは「江戸甲冑」と「京甲冑」です。
江戸甲冑は、武家社会で生まれて発展したものなので、重厚かつ力強い雰囲気が特徴です。加藤さんのような江戸甲冑師は歴史を紐解きながら、使う皮一枚でも当時と同じものを用い、忠実に再現。現物をミニチュア化しているので、実際に着られるような構造になっています。
これに対を成すのが「京甲冑」。京都の貴族社会の中でを出自に持つため、飾ることを目的にしており、金属を多用した華やかな雰囲気が特徴です。西陣織や組紐、箔押しなど京都の伝統工芸が随所に散りばめられています。
雅の京に武骨の江戸。土地柄が作品にも現れているのですね。
時代によって異なる甲冑の内容
土地だけでなく、時代によって甲冑の内容も変化しました。
「鎧で一番に派手なのは、鎌倉時代の末から室町時代中期くらいのものですね。着るためではなく、奉納するために作られたからで、紐も柄も派手で艶やかなものが多いのです」
戦いの歴史は、武器の歴史でもあります。弓矢から刀、槍、そして鉄砲の時代がやってきます。武器が強くなるにつれ、身を守る鎧も強固になっていきました。しかし、徳川の時代になると戦いがなくなります。それでも、男子が生まれると兜や鎧を必ず作りました。この時期から「男の子に健やかに育ってほしい」という願いが込められるようになりました。
たとえば、徳川将軍15代にわたる兜にはほとんど変化が見られません。それでも、時代の流行があるのでしょうか。紐の色が違ったり、ときには熊の毛をあしらったものもあったそうです。
「徳川の時代は紐の色がどれも地味なんですね。どの時期も倹約をしていたからなのでしょうか。ちょっとわかりませんが」と加藤さんはニコリと笑います。
甲冑は武将によって性格が出る?
甲冑は時代によっても変化しますが武将によっても違いが表れます。
「兜の頭のてっぺんには“八幡座”という穴があるのですが、織田信長の場合は織田木瓜という家紋が5つも散っていました。信長は全体的におしゃれですね」と加藤さん。
豊臣秀吉はどうなんでしょうか。
「秀吉は派手ですね。でも七騎の鎧といって影武者用にもほとんど同じものを作らせているんですよ。それなのに胸に描いた竜の向きが違うとか、片側の花だけ銀の蒔絵がしてあるとか、ほんのちょっとだけ違う」
徳川家康の場合はどうでしょう?
「派手派手しい鎧はないですね。何両もの金を持ち歩いていたので、兜は重いものにしていませんでしたね」と加藤さん。実用本位の家康らしい一面が見えます。
戦国武将にとって、兜や鎧は身を守る武具であると同時に、自分自身の表現でもありました。生と死が相まみえる戦場で、いかに運を引き寄せることができるか。兜や甲冑は武将の矜持や信仰、意志が込められているのです。
ミニチュアには嘘も必要?
兜や甲冑を作るには、金具や漆などさまざまな技術を使わなければなりません。甲冑作りとはいわば総合芸術なのです。
ミニチュアにするとなると、技術的にはもっと難しくなります。5日かかって、胴丸の紐だけを通し終えることもあるそうです。
「縮尺通りに作ろうとするとバランスが悪くなってしまうんですね。どこかで嘘をつかないと。兜や鎧ではないけれど、例えば、奈良の大仏の頭にあるブツブツ……あれは“螺髪”という丸まった髪の毛で、てっぺんと前の大きさが違う。頭頂部を大きくしないと、遠近法の関係で同じように見えなくなるわけです」と加藤さん。
嘘をつくことでバランスが保たれる。細かい工夫が凝らされています。
作業場には昔ながらの道具たち
作業場にもお邪魔致しました。さまざまな道具が並んでいますが、いずれも年季の入った優れものばかりです。
「今のハサミは切れないんですよ。昔は鍛冶屋が手で作ってましたが、今のものは、機械造りで焼きが変に硬いんです。硬すぎちゃって、鋲の足を切ったりすると欠けちゃうんですよね」と加藤さんは首をかしげます。
「これはね17歳の時に買ったカナヅチなんだけど、中は軟鉄で口の部分に5㎜くらい鋼が貼ってあるんですね。音がまるで違うの。今のものは全部が鋼鉄で、硬すぎちゃって、叩くとハネちゃうの」
昔ながらの道具がなくなっていると同時に、その道具を使う職人も少なくなっているそうです。
背中を見ながら仕事を覚える
加藤さんは父の背中を見ながら仕事を覚えました。
「父親が使っていた、少しキレづらくなったヤスリとかが回ってくるんですよ。『それで同じように作れ』と言われるんです。それで父親がいなくなったときに、どんな道具を使っているのかなと見てみると、はるかにキレるんですよ。それから負けるもんかと。父親が作らなかったものを作るようになりました」
負けず嫌いで勉強家な職人は、道具から細部までこだわり抜き、今では彼にしか作れない江戸甲冑を仕上げています。今なお研究を続けているその姿に頭が下がりました。
<取材協力>
加藤鞆美
東京都文京区向丘2-26-9
03-3823-4354
文:梶原誠司
写真:mitsugu uehara