「北斎漫画」を復活させた職人技。日本で唯一、手摺り木版和装本を出版する版元へ
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京都・寺町二条。京都市役所や京都御苑にもほど近い街の中心部だ。丸太町通りと御池通りの間の寺町通り沿いには、骨董屋や古書店、和菓子店や歴史ある茶舗などが並び、歩くだけでも風情ある街並みを楽しめる。
日本で唯一、手摺木版による和装本を出版する京都「芸艸堂」
そんな寺町通りの一角にあるのが、明治24年にこの地で創業した「芸艸堂(うんそうどう)」。ここは、今や日本で唯一の手摺木版(てすりもくはん)による和装本の出版社だ。
手摺木版とは、その名の通り版木に色をのせ、紙に色を写していく版画印刷のこと。当然、一枚一枚手作業となる。それを四つ目綴じなどの製本技術を用い、何十ページにも束ねて一冊の本として発行する。一連は江戸時代から続く伝統技法だが、出版の原理は現在書店に並んでいる本となんら変わらない。
創業者の山田直三郎は、当時京都で名の知られた木版出版社「田中文求堂」で修業の末独立し「山田芸艸堂」を開業。のちに兄の市次郎と弟の金之助が営んでいた「本田雲錦堂」と合併し、現在の形となった。
そして芸艸堂が成長を遂げた背景には、かつて一大産業として発展し、世界からも注目を集めた京都の伝統工芸が関係していた。
美術印刷と京都の地場産業との意外な関係
茶道、華道、能、花街など、さまざまな日本文化が発展した京都において、そこに付随する「着物」産業もまた、切っても切り離せない関係であった。
絢爛豪華な「西陣織」による織物、色鮮やかな「友禅染」による染物など、日本最高峰の技術が結集され、地場産業として大いに発展した着物文化こそが、「着倒れの京都」と称される所以だ。
着物産業と木版和装本。すぐにはピンと来ないかもしれないが、そこには両者の意外な関係が隠されていた。
京都の着物といえば、西陣織や京友禅など、仕立てに関する技術や工程にスポットが当てられがちだが、それだけが着物を作る過程ではない。
かつて京都の街中には、着物の「意匠」を考案する多数の図案家が存在した。現代風にいうと「デザイナー」。着物の生産がさかんになればなるほど、着物の図案もより多くのパターンが求められるのは必然だろう。最盛期、ひと月に30ものパターンを作成していた図案家もいたと言われている。
その図案を集約し、一冊の本にして発刊していたのが芸艸堂。それはいわば図案家の作品集で、新たな「意匠」を考案するための重要なツールとなる。
図案家が考案したデザインの原案を、より忠実に、美しく表現できたのが、芸艸堂の木版技術であった。
時代を超えて受け継がれる、モダンなデザインの数々
現在代表を務める四代目の山田博隆さんは、代々受け継がれた出版技術や膨大な版木を生かし、当時の人気シリーズの復刻にも取り組んでいる。
そのひとつが、明治時代の代表的な図案家・神坂雪佳の作品集である『滑稽図案』。明治36年に初版が発行され、昨年、15年ぶりに重版された。摺り師による印刷技術、製本技術を結集し、初版の版木をそのまま用いている。貴重な版木と職人技を現代まで受け継いだ、芸艸堂だからこそ復刻できる渾身の一冊だ。
神坂雪佳といえば、琳派の影響を受けた『四季草花図』などの日本画が著名だが、そこには想像していたよりも、ずっとポップで鮮やかな世界が広がっていた。
山田さんによれば、この滑らかで発色の良い風合いは版画でなければ出せないという。
素人目に見ても、色が持つマットな質感や独特の重厚感に、高度な職人技が感じられる。
そのモダンな配色にも驚いた。伝統的な草花などの図案が、ピンクや薄紫、黄色などのパステルカラーで表現されていたり、鮮やかなオレンジなど、意外な色彩も多くみられる。
収録された図案は47点で、ユーモアに富んだ動物画や抽象的なパターン画は、現代に続くテキスタイルデザインの先駆けと言えるだろう。
また、神坂雪佳の展覧会が2003年に京都国立近代美術館で開催された際、雪佳の図案集が再評価された。百貨店のポスターなどに採用されたり、2007年と14年にはユニクロのTシャツに用いられたりするなど、雪佳の図案は現代においても注目を集めている。
時代に即した商品化にも柔軟だ。受け継がれた版木のなかには伊藤若冲や歌川広重など著名な絵師の図柄もあり、それらを活かしたポストカードやぽち袋、クリアファイルなどの制作も積極的に行う。
また、必要に応じてオフセット印刷も活用。葛飾北斎や尾形光琳ら江戸時代の代表絵師の作品を和綴じ豆本にしてシリーズ化するなど、需要に合わせてさまざまな商品を提案している。
それもすべて、芸艸堂が代々受け継いできた版木があってこそ再現できるもの。原案となる図案が刻まれた膨大な版木は、店舗裏の「版木蔵」に大切に受け継がれていた。
まるで版木の博物館!名作・名著の版木が結集。
神坂雪佳の図案集など、美術書の出版を主軸にしていた芸艸堂は、木版出版社の衰退・廃業が相次ぐなか、手摺木版にこだわり続けた。同時に、廃業や活版、オフセット印刷への転換にともない同業者から放出された版木を一手に引き受ける役割も担っていた。
東京・吉川弘文館や大阪・青木嵩山堂、そして初代が修業を積んだ京都・田中文求堂など、数々の名著の出版を手掛けた版元の版木を収集し、同時に版権も譲り受けた。その版木は店舗裏の「版木蔵」に大切におさめられている。
築100年近くになるという天井の高い蔵いっぱいに、版木が積み上げられた光景は圧巻の一言。この中に、あの江戸時代の名著『北斎漫画』の版木が含まれていた。
200年前の名著「北斎漫画」を復活!職人技術の集大成。
北斎漫画は、江戸後期に葛飾北斎が門下生のためにさまざまな題材をスケッチしまとめたいわば絵画のお手本集。動植物、妖怪、風景や当時の民衆の様子など、3900もの図が全15編(巻)にもわたり収められている。初版は文化十一年(1814年)、北斎が50代半ばの頃に発刊され、没後の明治11年に最終巻となる15編目で完結したロングセラーシリーズだ。
山田さんは、「時代を超えて愛される北斎漫画を復活させたい」と、2016年に再版することを決意。
和紙の調合から摺り師による木版摺り印刷、職人による製本など、芸艸堂が持てる限りの木版・製本技術を駆使して制作をスタートさせた。
まずは和紙の調達から始まった。北斎漫画に使用する和紙は薄くて丈夫な楮を原料とした土佐の「須崎半紙」を使用。しかし贔屓にしていた漉き元はすでに廃業しており、新たに半紙を調合し、摺り師と試し摺りを行いながら一から作り上げる必要があった。
今回の再版は1編平均29丁(見開き1ページ)×全15編×150部で、必要な半紙は約80000枚。それらを均質に、印刷に適した調合で漉くのに約5ヶ月を要したという。
さらに、工程の中で最も重要な作業となるのが摺りの部分。北斎漫画は墨色、淡ねず色、肉色の3色摺りなので、1つの図に対して3回に分けて色を重ねていく。
絵具(顔料)の調合、摺る力加減ひとつで表情が異なる仕上がりになる木版摺り。当時の趣を再現するため、数少ない摺り師のなかでも、さらに限られた熟練者にしか与えられない大仕事だ。
1編が29丁なので、単純計算でも1冊の摺り度数は87摺り。全15編では1000を超える摺り作業が必要で、使用する版木の数は700枚を超える。それを150部制作するという、気の遠くなるような作業を繰り返し繰り返し行っていく。
最後は経師といわれる職人の手で、一冊ずつ製本する。経師も、現在は数えるほどしか残っていない。
こうして2017年、1年余りの歳月をかけて全15編の北斎漫画が復刻した。
「100冊作ってちょうどいい」。現代における理想の本の作り方とは。
現代においても手摺木版にこだわり、数々の本を出版する芸艸堂。ひとつひとつ手作業で生み出される本を、山田さんは「100冊作ってちょうどいい」と話す。
実際、再版された『滑稽図案』は100部限定、『北斎漫画』全15編は150部限定。和紙の調合から始まり、紙一枚無駄にできない印刷工程のなかで、一冊ずつ人の手によって編み出された珠玉の作品集だ。
改めて『滑稽図案』を眺めてみても、その風合い、その表情はまったく色褪せていない。それどころか、その図案が各界の意匠に用いられるように、現代のデザイナーにも影響を与え、アートブックのような役割まで果たしている。
現代において、紙の本はもはや嗜好品となりつつあり、人々はより質の高さを本に求めるようになる。
だからこそ、美術書出版としてスタートし、手摺木版でしか表現できない印刷技術を今なお誇る芸艸堂の本が、あらためて強く支持されるのではないだろうか。
本の売れない時代において、本当に本を求めている人のために心を込めて作り、時間を掛けて確実に手渡す。それは、大量印刷・大量返本という現実に疲弊している出版業界が立ち返るべき、理想の本の作り方のようにも感じられた。
<取材協力>
株式会社 芸艸堂
https://www.hanga.co.jp/
文:佐藤桂子
写真:松田毅
※こちらは、2019年5月17日の記事を再編集して公開しました。