美しい道具を残したい。播州そろばんの名工、宮本一廣が考える職人の未来
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「そろばん、どない変えたらええんやろ」
国の伝統的工芸品にも指定されている、兵庫県小野市の特産品「播州そろばん」。その作り手として伝統工芸士にも認定されている宮本一廣さんは、淀みない手つきで作業を進めながら、そう話します。
計算の道具としての役目を終えつつある一方で、教育現場における効果が改めて見直されているそろばん。
学校、珠算塾においてまだまだ根強い需要がある中で、なぜ宮本さんは変化の必要を感じているのか。
お弟子さんと二人、そろばんの組み立てに精を出す工房でお話を伺いました。
「組み立て」の名工、宮本一廣
「兄貴がやってたから、ちょっと教えてもらおか、という感じで始めたわけ。
なんでもかまへんけど、働かなしゃーないからね。これがやりたい!とかそんなつもりで始めたんとは違う」
そう言って笑う宮本さんですが、
「一人でも多くの人に喜んでもらえるものを作るのが作り手。せやけど完璧なもんなんか絶対できひんから、どこまでいっても勉強。どんな職人さんでも同じやと思うわ」
と、中学卒業と同時にこの世界に入ってから60年以上、作り手としての矜持を持ってそろばんづくりに取り組んできました。
「完成品にできるから、そこは嬉しいわね。作り手次第やから」
四分業制で作られる播州そろばん。宮本さんは最後に製品を完成させる「組み立て」の職人です。
「組み立て」といっても、届いたパーツをただ組んでいくわけではありません。
「こんな、木材と珠だけあずかって、そこからちゃんとした商品にするのが私らの仕事。木を削って、磨いて、枠に穴開けて、全部考えてやっていかなあかんから、工程はものすごく多いね」
設計図もなにもないところから、手元の部材をそろばんに仕上げていきます。
すごすぎてわからない。師匠の背中を追いかける
2014年、そんな宮本さんの元にやってきたのが、髙山辰則さん。播州そろばんの後継者募集の情報をみて、地元の伝統産業を残していきたいと一念発起、IT業界から転身しました。
「すごすぎてよくわかりません」
宮本さんに弟子入りし、修行に励んで5年目を迎えている髙山さんは、師匠の技術についてこう表現します。
「枠の細工の仕方など、見比べてみると全然違います。まじまじと見れば見るほどすごい。
普段からそれを目にしているので、ほかのそろばんを見た時に『これでいいの?』と思ってしまうほどです」
確かに、手にとってよく見てみると、枠の継ぎ目の滑らかさや木目の美しさが、他のそろばんとは違っている気がします。
「そろばんの形を作るだけであれば、少し修行すればできるでしょう。しかし、それがいい形かと言われると、そうではないんです。
いい形の基準自体も、年々認識が変わってきます。満足いく仕上がりだと思っても、翌年見てみると、『なんてものを作っていたんだ』と思う。それの繰り返しで終わりがありません」
どこまでも勉強。髙山さんも作り手としての姿勢をしっかり受け継いでいます。
今は「組み立て」職人として修行に励む髙山さんですが、ゆくゆくは、四分業のほかの職人の技術も身につける必要を感じています。
「(四分業のうち)どこかが無くなったら、その時点で組み立てもできなくなるので、早くほかの分野にも後継者が来てほしい。
ただ、珠を削る職人がまずいなくなる可能性が高いと思っていて、そこは、難しいのは承知の上で自分もやるつもりでいます」
宮本さんも「結局分業仕事やから、どれがひとつがダメになったらでけへんから。それが一番怖い」と話すように、分業制であるが故の危機的状況は続いています。
いいそろばんとは?そろばんはどう変わるべきなのか?
「いいやつも出しましょか」
工房にお邪魔して1時間ほどが経過した頃、宮本さんはそう言って、樺、黒檀、柘植(つげ)と素材のことなる3種類のそろばんを持ってきてくれました。
「どないですか」
「綺麗でしょ?」
宮本さん渾身の作品。本当に美しい。
希少な材料を使っており、すべて10万円以上する高級そろばん。ごく稀に、こうしたそろばんが欲しいと注文があるもののその数は少なく、今後もあまり作る予定はないんだとか。
10万円を超えるものは極端なケースですが、かつて、計算の道具として大人が仕事に使っていた頃は高級なそろばんがよく売れたのだそうです。
職人の数も今より多く、切磋琢磨して技術を競い合う環境もありました。
「ほかの職人の商品を見て、綺麗にしてあったら、どないしてしよんのかなと研究してね。
でも、もうそういう相手もおれへんし、そういうそろばんも必要とされてない。寂しいね」
確かに、美しさや素材へのこだわりが計算のために必要かと言われれば、そうではないでしょう。
しかし、こうして作っている所を見て、説明を聞くと、せっかくなら良いものが欲しくなってきます。
手仕事である以上、数をつくるには限界がある。
「高いのが売れたら、体も楽やけどね」
現状、使い手が子ども中心になっている中で、再度、高い金額を出しても大人が買ってくれるような商品を作らなければ続けていけないと、宮本さんは考えています。
「伝統工芸に指定されとるし、小野市と言えばそろばんやし、本当やったら残したいんやけど。
若いもんがこないして入ってきてくれたとしてもね、現状はそれだけで生活していけるような仕事じゃないねんね。
そろばん、どない変えたらええんかな。珠の数をいじるわけにもいかんし」
これからの播州そろばんのために、試行錯誤する弟子
これからの播州そろばんを担い、また自分の生活も掛かっている当事者として、髙山さんも試行錯誤を続けています。
アイデアのひとつは、そろばんの珠を使ったアクセサリー。
「おもちゃに見えてはダメなので、工芸品としてしっかりと、ちゃんと使ってもらえるものとしてどんな風にデザインしていけばいいかと、考えながら作っています」
さらに、通常23桁で構成されているそろばんを、5桁に縮めたミニそろばんも作成しました。
珠算をやっている人が暗算をする時に、そろばんを思い浮かべて計算することがあります。それが、実は23桁だと多すぎて、5桁くらいのそろばんを思い浮かべるのが適しているそうで、暗算用のそろばんとして設計されています。
「若いもんは面白い考えするわ。意欲的になんでもやっていいと思います」と、宮本さんも弟子の発想、行動力に感心している様子。
一方で髙山さんは、「あくまで目的は、そろばんが売れること。アクセサリーが売れることはゴールではないのですが、まず手にとってもらえる第一歩として、色々と考えています」
と、そろばんの普及・継承は常に意識しているといいます。
職人だから、余計なこともしたい
自分の技を尽くせるような注文が少なくなり、
「いつ辞めるかわからへん。
ろうそくの火がね、いつ消えるのか、ちょろちょろっとなってるような感じや」
と話す宮本さん。
いいそろばんを作りたいという思いは消えていません。
「見てもらったらわかるように、裏返しても全然つくりが違う。
今は、こんなんいらんやん。実際計算すんのにはね。
こういう余計なことせんでええねん。でも、こういうこと、したいねん。
そんなもんなんよ。職人ゆうたらね」
時代の変化に合わせて、必要な道具も変わります。
しかし、そろばんがどう変わればよいのか、はっきりとした答えは見つかっていません。ただ、これからもこの美しい手仕事を残したいと思いました。
この人たちがいなくなってしまうと、昔から受け継がれてきた日本の技術は、ひとつ消えてしまいます。
「人に言われてから辞めるのでは遅い」そう話す宮本さんですが、できればまだしばらくは髙山さんの隣で存分に技を振るってもらいたい。
「綺麗でしょう」と自慢できるそろばんをどうしたら残していけるのか。考えながら工房をあとにしました。
<取材協力>
宮本算盤工房
兵庫県小野市天神町1113
文:白石雄太
写真:直江泰治
※こちらは、2019年5月22日の記事を再編集して公開しました。