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会津塗とは
秀吉の采配から戊辰戦争の受難まで
会津塗の基本情報
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工芸のジャンル
漆/漆器
あでやかな和柄の花を描いた会津絵や、金粉を施した蒔絵が美しい会津塗。
自然豊かな会津の文化の中で育まれてきたその器は、使い込むほどにしっくりと馴染んできます。古くから漆の産地としても知られる会津の地で、会津塗がどのように育まれたのか紐解いていきましょう。
会津塗とは。郷土の自然と歴史から生まれた華やかな漆器
「会津塗」とは、福島県西部・会津地方を中心に作られている伝統的な漆器のことをいう。会津地方は、越後山脈・奥羽山脈など豊かな自然に囲まれた盆地であり、独特な文化が根付く歴史ある場所として知られている。
会津塗の歴史は古く、室町時代にはじまったといわれている。当時の領主が地域の特産として漆の植林をはじめ、同時に漆器作りも広まった。
会津塗が発展した背景には、盆地特有の湿潤な気候により漆を扱うのに適していたこと、周囲を山に囲まれ木材に恵まれたこと、安土桃山時代以降の代々の藩主が会津塗を保護したことなどがあげられる。
そのため、漆の木の栽培、樹液の採取、近隣の木の切り出しといった材料の生産から、漆器の加工・仕上げまで一連の流れすべてを地元で行える漆器の名産地となった。会津塗特有の華やかな蒔絵や沈金といった装飾の技法も、豊かな自然と藩主たちの庇護という恵まれた環境の中で生まれた。
会津塗は長い歴史と豊かな郷土文化の中で育まれた塗り物といってよいだろう。
ここに注目。豪華で多様な蒔絵は会津藩「ブランディング」の証
16世紀に会津領主となった蒲生氏、また、江戸時代の藩主たちも、漆の木の植樹、職人の招聘や育成、販路の開発など、代々会津塗を保護した。これにより認知度と蒔絵の技術が高まり、会津塗はいわば藩を代表するブランドに。海外へも輸出される産業へと育っていった。
また手厚い保護政策の中で、塗や加飾の技法も多様化し、専門の職人が手がけるようになった。どのような塗り、装飾があるのかをみてみよう。
◯塗の技法
・花塗 (はなぬり)
油を加えた漆を使い、塗りに光沢を与える技法。ハケのあとなどを残さずに塗る必要があるため、高い技術が求められる。
・金虫喰 (きんむしくい)
黒漆を塗った面に、大麦などの粒を撒き、乾燥後に大麦を剥いで凸凹を造り、銀粉や錫粉を蒔いてから更に漆を塗り、その後に研ぎ出すことで独特の模様を作る技法。
◯加飾 (装飾) の技法
・会津絵 (あいづえ)
会津塗の代表的な技法。松竹梅に破魔矢など、縁起のよい柄が描かれている。色漆に金箔、消金粉も用いられた華やかで繊細な模様が特徴。
・網絵 (あみえ)
塗りあがった漆器の上に、網のような模様を描く技法。ほかの産地でも見られるが、会津塗は網目が細かいのが特徴だ。
・消金地 (けしきんぢ)
消金粉という金箔から造った微細な金粉を一面に蒔き詰める技法。一面がマットな金色になる豪華な加飾法である。
・消粉蒔絵 (けしふんまきえ)
漆で文様を描き、金箔から造った微粒子の金粉を蒔いて仕上げる技法。現在でも様々な会津漆器に施されている。
・朱磨き (しゅみがき)
黒漆で仕上げた器の上に色漆で文様を描き、朱色の顔料を蒔きつける技法。その後、摺り漆をして顔料を定着させ、磨き上げる。
・沈金 (ちんきん)
表面を彫り、その溝に漆をすり込み、金箔や金粉などを定着させる。会津塗は溝を浅く掘るため、柔らかいイメージとなる。
・鉄錆塗 (てつさびぬり)
漆錆を絞り袋で絞り出しながら文様を作る技法。重厚な鋳物のような質感が特徴。主な図柄は梅に鶯など。
・平極蒔絵 (ひらごくまきえ)
消粉蒔絵とほぼ同じ技法だが、使う金粉の粒の大きさが違う。平極蒔絵で使うものはヤスリでおろした金粉の中で最も細かい平極粉を使うので、金属的な光沢となる。
・錦絵 (にしきえ)
鳳凰や鶴亀、松竹梅など縁起がよいものが描かれている。鮮やかな色彩の織物・錦織のような印象を受けることから錦絵と呼ばれている。
産業成立のきっかけは、秀吉の人事命令だった?
会津塗がこの地方の産業となったのは、安土桃山時代。豊臣秀吉の命令により、会津の領主として蒲生氏郷 (がもう・うじさと) がやってきたことがきっかけだった。
蒲生氏が会津入りした時には、すでに漆の栽培や漆器作りなどは行われていたが、産業と呼べるほどのものではなかった。そこで、蒲生氏は多くの職人を以前の領地であった日野 (滋賀県) から招き、会津塗を産業へと発展させた。
キリシタン大名であった蒲生氏郷は、会津の基礎を築いた人物の一人。豊臣秀吉の信任も厚かったことから、会津という大藩を任されたともいわれている。
その蒲生氏が奨励したものが会津塗であり、会津塗は豊臣秀吉による蒲生氏への「人事命令」があったからこそ生まれた産業だったともいえる。
会津塗の歴史
◯会津塗の誕生、室町時代
会津地方の漆の産地としての歴史は古く、津軽塗や輪島塗などよりも早くから漆器作りが行われていたといわれている。平安時代にはすでに漆塗りの仏像・仏具があったようだ。
室町時代中期なると、会津地方を治めていた武将、芦名盛信 (あしな・もりのぶ)が、漆の木の植林をスタート。これが会津塗の歴史がはじまるきっかけだったといわれている。当初は、赤や黒の塗りの盆や椀が作られていた。
◯産業の始まりは秀吉の時代
会津塗が一大産業となったのは約500年前、豊臣秀吉の治世下、安土桃山時代のことだ。
1590年、豊臣秀吉の命により会津の領主となった蒲生氏郷が、会津塗を奨励。近江国 (現在の滋賀県)から木地師、塗職など数十名を連れてきて、高い技術を会津の職人に伝えた。また、蒲生氏は「塗大屋敷」という漆器の伝習所を作り、職人の養成や技術の向上にも努めた。盆や椀のほか、木皿、木鉢などが作られていたという。以来、会津塗は会津の地場産業として保護され、発展していくこととなる。
◯江戸時代には隆盛を迎える
1643年、会津松平家初代・保科正之 (ほしな・まきゆき)が会津藩の藩主となる。彼は漆の木の保護育成に努め、会津塗は産業としてさらに盛んになった。藩内の漆の木は江戸初期には20万本ほどだったが、1700年ごろには100万本を超えるようになった。
その後の歴代藩主も会津塗を保護・奨励し、蒔絵の技術などが向上。青や朱、黄色の色漆なども使われるようになった。
藩主たちが熱心に会津塗を売り込んだこともあり、江戸でも美しく丈夫な漆器として会津塗が広まった。さらに、盆、重箱、煙草入れなどが、オランダや中国など海外へも輸出されたことが記録として残っている。
江戸時代、会津徳川家の保護のもと、会津塗の文化は大きく育ったといえる。
◯戊辰戦争の受難と復興
しかし、1868年に起こった戊辰戦争 (ぼしんせんそう) の際、会津藩が新政府軍でなく旧幕府軍についたことから会津は焼け野原となってしまう。
会津塗も大きなダメージを受け、一時は衰退するが、1872年のパリ万国博覧会に会津塗が出品されるなど、明治の中頃には日本有数の漆器の産地として復興を遂げる。
大正時代になると、一部機械化や漆の技術の高級化により、再度地場産業としての地位を固めた。高級な漆器と大衆的な漆器の両方が作られるようになり、会津塗の需要が高まった時期でもある。
戦後の混乱期、会津塗は米国向けの輸出が大ヒットしたが、為替レートの変更により長続きしなかった。高度成長期には、素地をプラスチックとした漆器が作られるようになり、より手軽に使える塗り物として会津塗は活況を呈した。近年は少量多品種生産が可能な従来の木製漆器が見直され、後継者養成事業も行われている。
1975年、会津塗は経済産業大臣指定「伝統的工芸品」となる。2019年には会津若松市の指定無形文化財 (工芸技術) に指定された。
現在では椀や花瓶、茶器といった伝統的なもののほか、酒器やカトラリー、アクセサリーなど多種多様な製品が作られ、今もなお全国有数の塗りの産地として多くの人々に愛されている。
<関連の読みもの>
「漆とは。漆器とは。歴史と現在の姿」
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/109680
会津塗のおさらい
◯素材
天然漆、ホオノキ、トチ、ケヤキ。またはこれらと同等の材質を有する用材◯主な産地
福島県会津若松市、喜多方市、南会津町、西会津町、北塩原村、会津美里町など◯代表的な技法
・花塗
・鉄錆塗
・網絵
・沈金
・錦絵◯数字で見る会津塗
・誕生:1590年以降
・企業数:196社
・伝統的工芸品指定:1975年
・従業者数:1126名
・伝統工芸士数:45名
<参考>
十時啓悦、工藤茂喜、西川栄明 著 『漆塗りの技法書』誠文堂新光社(2015年)
財団法人 伝統的工芸品産業振興協会 監修 『ポプラディア情報館 伝統工芸』ポプラ社 (2006年)
伝統工芸のきほん編集室 著 『伝統工芸のきほん② ぬりもの』理論社 (2017年)
会津漆器協同組合ホームページ
http://www.chuokai-fukushima.or.jp/aizushikkikumiai/index.html
会津漆器略史
http://www.chuokai-fukushima.or.jp/aizushikkikumiai/history-japanese.html
東北経済産業局ホームページ 東北の伝統的工芸品福島県 会津塗
https://www.tohoku.meti.go.jp/s_cyusyo/densan-ver3/html/item/fukusima_01.htm
(サイトアクセス日 : 2020年7月16日)
<画像提供・協力>
会津漆器協同組合
http://www.chuokai-fukushima.or.jp/aizushikkikumiai/