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越前和紙とは

宇宙にも行った高機能素材の特徴と1500年の歴史

越前和紙

越前和紙の基本情報

越前和紙とは福井県越前市でつくられてきた和紙。岐阜県の「美濃和紙」、高知県の「土佐和紙」とならび、「日本三大和紙」に数えられる。

詳しい起源は不明であるが、継体天皇が男大迹(おおど。即位前の呼び名)として越前にいた頃(507年以前)に川上御前という人物が村人に紙漉きを伝えた、との伝承が残ることから、1500年の歴史があるとされる。


  • 工芸のジャンル

    和紙

  • 主な産地

    福井県越前市(旧・今立郡今立町)

  • 代表的な作り手

    岩野市兵衛

福井県越前市でつくられてきた「越前和紙」。

美しさと丈夫さで、古くから最高品質の和紙として知られてきました。そして今では、抗菌消臭の効果が認められ宇宙滞在用被服の素材にも採用されています。

今回は、そんな越前和紙の歴史と特徴をご紹介します。



その特徴は、生成色(きなりいろ。そのままの色のこと)の美しさと、強靭さにある。中でも、越前和紙の「奉書紙(ほうしょがみ。天皇や将軍の意向が記された公文書に使われる紙)」は最高級品とされ、丹後や加賀、阿波などでも奉書紙は漉かれていたが、越前のものは「本場のもの」として区別されていたほどだ。


ここに注目 宇宙滞在用被服にも採用された

越前和紙は種類の豊富さもその特徴のひとつで、奉書紙のほかには、襖紙や壁紙、局紙(紙幣や小切手、株券など)、木版画用紙、色紙、短冊、封筒、便せん、はがき、名刺など古くから多種多様な用途のものがつくられてきた。

さらに今日では、音響メーカーのスピーカー部品に使用されたり、越前和紙を生かした和紙繊維に抗菌消臭の効果が認められてその繊維が宇宙滞在用被服に採用されたり、人間国宝・岩野市兵衛さんの漉く紙がルーヴル美術館で収蔵品の修復に用いられたり。ただの「用紙」の枠にとどまらない、幅広い分野のものづくりを支える高機能素材となっている。

実際に採用された靴下
宇宙滞在用被服に採用された和紙製の靴下

越前和紙といえばこの人。人間国宝・岩野市兵衛

世界最大規模の来場者数を誇っているルーヴル美術館に、収蔵品の修復用として越前和紙を納めている職人がいる。2000年6月に国指定重要無形文化財(人間国宝)に認定された、九代目・岩野市兵衛。

彼とその家族が手がけるのは越前和紙のなかでも「越前生漉奉書(えちぜんきずきぼうしょ)」と呼ばれる最高級品で、薬品をほぼ使わずに、緻密な工程をへて漉かれる紙は均一な厚みで、耐久性と保湿性に優れる。ルーヴル美術館が世界中の紙を集めて比較したなかで、岩野さんの紙が選ばれたそうだ。

さんちでは工房を訪れ、岩野さんからどうして手漉き和紙の職人となったのかや、越前和紙にかける想い、その作業風景を取材している。

<関連の読みもの>

ルーヴル美術館にも和紙を納める人間国宝・岩野市兵衛の尽きせぬ情熱

人間国宝・越前和紙の岩野市兵衛

越前和紙の豆知識

「ピカソが使っていた紙」の話

九代目・岩野市兵衛の父(八代目・岩野市兵衛)もまた越前和紙の手漉きの職人であった。江戸時代の浮世絵版画に用いられていた越前奉書紙を研究し、ときを経るごとに発色がよくなり頑丈な木版画用紙を発明した人物である。

そんな八代目・岩野市兵衛は「ピカソの使っていた紙」の逸話でも有名。

日本人画家・藤田嗣治はパリに留学していたおりに、世界的な画家・ピカソのもとを訪れた。そこで藤田はピカソに「どこの紙を使っているのですか?」と尋ねたところ、ピカソはにこにこと笑うのみで教えてはくれなかったという。

それからときが経ち、藤田は従妹から送られた越前奉書紙をきっかけに、岩野と交流をもつのだが、実はこのときの紙こそピカソが使っていたものと同じであった。岩野のつくる越前奉書紙は、世界のピカソからも愛されていたというわけだ。

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越前和紙の歴史

越前和紙の起こり

日本における和紙の起源は定かではない。しかし、継体天皇がいまだ男大迹(おおど。即位前の呼び名)として越前にいた頃(507年以前)に、岡太川の上流に川上御前という美しい姫が現れて「この地は清らかな水に恵まれているから紙漉きをして生計を立てよ」と村人に紙漉きを教えた、との伝承が残っている。

また、奈良の正倉院に所蔵されている古文書には、日本に紙が伝わったとされる4世紀から5世紀ごろにはすでに越前和紙は漉かれていた、との記述がある。これらのことから、越前和紙がおよそ1500年前には存在していたのは確かであろう。


戦国時代、江戸時代での繁栄

奈良時代の越前和紙は仏教の布教のためとして主に写経用紙が漉かれていたが、公家や武士らによって紙が大量に消費されだすと「越前奉書紙」が漉かれるように。戦国時代から江戸時代にかけては、越前は最高品質の和紙の産地として幕府や藩から手厚い保護を受け、技術力や生産性を発展させていった。

当時、奉書紙は丹後、加賀、阿波など他の産地でもつくられてはいたが、越前のものは「本場のもの」と評価され、他とは一線を画していたという。


西洋の技術が取り入れられた明治期

明治時代に入ってからも、越前和紙は政府から高い評価を得ており、新政府として最初の紙幣用紙「太政官金札用紙」を任されるほどであった。さらには、越前の五箇(現在の福井県越前市)に印刷局紙幣寮(現在の財務省印刷局)が設置され、越前和紙は日本の紙幣制度と密接な関係を築くこととなる。

しかし、西洋の機械製紙法が導入されてからは、手漉き和紙の職人は激減する。越前和紙は次第に公文書として使われなくなるのだが、八代目・岩野市兵衛が木版画用紙に活路を見出す。岩野は江戸時代に浮世絵版画で用いられていた越前奉書紙を研究し、年を重ねるごとに発色がよく丈夫な木版画用紙を発明した。

太平洋戦争後、在留アメリカ軍の土産として浮世絵が人気となると、岩野の木版画用紙は国内のみならず、海外にも輸出されるほど爆発的に売れた。


現在の越前和紙

現在、越前和紙では和紙の優れた消臭抗菌に期待して宇宙滞在用被服の素材や、和紙ならではのざらざらとした質感を生かしたポチ袋、さらには人参や玉ねぎなどの食材からつくられる和紙など、新たな取り組みが始まっている。


紙の神様がいる越前和紙の里へ

北は北海道から南は沖縄まで、日本各地にある和紙の産地。中でも、福井県の「越前和紙の里」には、全国でも珍しい「紙の神様」を祀る「岡太神社・大瀧神社」がある。かつて越前の人々に紙漉きを伝えたとされる川上御前を紙祖神として1843年(天保14年)に建立された社殿は、国の重要文化財にも指定された。

また、越前和紙の里にはおよそ230メートルの「和紙の里通り」を中心に、越前和紙の歴史を知ることができる「紙の文化博物館」や、昔ながらの道具で職人が和紙を漉く様子を見学できる「卯立の工芸館」、和紙漉きや和紙クラフト体験ができる「和紙処えちぜん」、など越前和紙の魅力を体感できる施設が点在している。


関連する工芸品

・和紙:和紙とは。マスキングテープから宇宙服まで、進化を続ける伝統素材

・美濃和紙:「美濃和紙」とは。1300年の歴史をもつ日本三大和紙の実力

・土佐和紙:「土佐和紙」とは。日本一の薄さを誇る和紙の魅力


越前和紙の基本データ

素材

・楮(こうぞ):繊維が太く、長いために丈夫な紙ができる
・三椏(みつまた):楮に比べると弱いが、光沢のある紙ができる
・雁皮(がんぴ):繊維がとても細かいため、薄い紙ができる
・麻:保存力があるため、楮など他の素材に混ぜて使われる

和紙の原料となる楮や三椏、雁皮

主な種類

・奉書紙
・襖紙
・壁紙
・木版画用紙
・局紙
・書道用紙
・日本画用紙
・色紙
・短冊
・封筒
・便せん
・はがき

代表的な技法

流し漉き

漉船に水と紙料、ネリ(トロロアオイ)を加えて撹拌。それを漉簀(すきす。紙を漉くための簀)ですくい、前後左右に揺らしながら紙を漉く技法。



溜め漉き

漉船に水と紙料を加えて撹拌。それを金網ですくい、ゆすって紙を漉く技法。流し漉きとは異なり、ネリは加えずに、すくうのは1度きりでよい。



流し込み

模様をかたどった金属の枠を紗(目の粗い織物)の上に置き、色付けされた紙料を流す。その後、別で漉いていた紙に紗をのせて模様をうつす技法。



ひっかけ

三椏の紙料が加えてある漉船に金属の枠を沈めて、紙料を枠にひっかける。その後、紗の上に金属の枠をのせることで模様をうつしとる技法。

伝統工芸士が紙を漉く様子

数字で見る越前和紙

・誕生:およそ1500年前には存在していたと考えられる

・出荷額:手漉き和紙で4億9千万円(2009年時点)

・シェア率:手漉き和紙は全国1位の22.2%(2009年時点)

・1976年(昭和51年)に越前和紙は伝統的工芸品に指定

・1968年(昭和43年)に八代目・岩野市兵衛が国指定重要無形文化財に指定

・2000年(平成12年)に九代目・岩野市兵衛が国指定重要無形文化財に指定

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