工芸再生支援で倒産危機からV字回復。マルヒロが地元に公園「HIROPPA」をつくる理由

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中川政七商店では、2009年より工芸メーカーの再生支援(以下、経営再生コンサルティング)を手掛けています。その最初のクライアントが、焼き物の波佐見焼で知られる長崎県波佐見町の産地問屋、マルヒロでした。

中川政七との出会いから、12年。見事に再生を遂げ、事業を拡大しているマルヒロが新たにつくったのは、市民に無料開放する公園「HIROPPA(以下、ヒロッパ)」です。

なぜ公園? どんな公園? 

少しの不安と大きな期待を頂きながら、波佐見町を訪ねました。まずは、中川政七とマルヒロとの出会いから振り返ります。

もともと、隣町の佐賀県有田町でつくられる「有田焼」の下請けとして日常で使われる食器の大量生産を担ってきた波佐見町では、生地をつくる「生地屋」、成形に必要な「型屋」、陶器を焼く「窯元」など分業制が発達してきました。

そのなかで外部からの注文をまとめ、職人に発注し、完成品を受け取って配送などを手配するのが産地問屋で、そのうちのひとつであるマルヒロは、馬場廣男さんが1957年に創業しました。

マルヒロだけでなく、波佐見町にとって大きな危機が訪れたのは、2000年頃。生産地表記の厳密化の波を受けて、波佐見町でつくられた焼き物が「有田焼」ではなく「波佐見焼」と名乗り始めると急速に売り上げが落ち始め、バブル期に175億円あった産地生産額が2011年には41億円にまで下落します。

マルヒロも経営が悪化し、倒産の危機に直面していた二代目の馬場幹也さんが中川政七商店に電話をかけたのが、2009年夏でした――。

「こりゃ困ったな」から始まった経営再生コンサルティング

―おふたりの最初の出会いから教えてください。

中川 僕は2008年に『奈良の小さな会社が表参道ヒルズに店を出すまでの道のり。』という本を出して、工芸メーカーの再生支援を請け負いたいと書きました。この本を読んでうちに電話してきたのは、幹也さんだけなんです。電話を受けた社員が、「コンサルティングって仰ってるんですけど……」と戸惑っていたのを憶えています(笑)

馬場 そうなんですね。

中川 それで2009年の夏、奈良の本店で初めてお会いした時に連れられてきたのが、匡平君(現社長)。一言も喋らなかったから、おとなしい人だなというのが最初の印象でした。

馬場 僕は父ちゃんがやるもんだと思っていたし、なにをするのかもよくわかってなかったから、特に喋ることもなかったんですよ。

中川 でも、初めてマルヒロに行って改めて挨拶をしたら、「あとは匡平に任せますから」と言って、すぐにいなくなっちゃった。

馬場 ビックリしました。なにも聞いてなかったから、「きょとん」ですよ。

中川 僕もだよ(笑)

馬場 その時は、ブランドってなに? という感じでした。

中川 それで匡平君と話を始めたら、会社のことについてもなにも知らないし、焼き物にも詳しくなくて、こりゃ困ったなっていうところからのスタートでしたね。

馬場 困ったなどころじゃなかったと思います。

中川 まずはちゃんと話ができるようにしなくてはと思って、課題図書を毎月1冊渡しました。それを読んで、感想文と自分の会社にどう応用するのかを書いてもらって。

馬場 会計の本とか『チーズはどこに消えた』とか、いろいろ読みましたよね。僕が忘れられないのは、経営の数字のことがよくわかんなくて、ウソをついた時にめちゃくちゃ怒られたことです。

中川 当時の匡平君は、適当な数字を言ったりしてたからね(苦笑)

馬場 月に一度、中川さんが来る日は気が重かったです。毎回宿題が出るんだけど、例えばデザインってゴールがわからないじゃないですか。うちはオリジナルのモノをつくったことがなかったし。だから、デザイナーのりさちゃん(※現在もマルヒロにてデザイナーを務める、新里李紗さん)と数日前から泊まり込みで準備をしていましたね。

いつも当日になっても宿題が終わらなかったから、時間を稼ぐために中川さんを長崎空港まで迎えに行った後、高速道路に乗らず、下道を使っていました(笑)

中川 そういうことなの!? 高速料金も節約してたのかと思ってたよ(笑)。でもまじめな話、あの頃のマルヒロは借金が売上の1.5倍もあって本当に倒産寸前だったから匡平君も必死だったよね。

馬場 そうですね。僕は父ちゃんと「2年間は言われたことをやる」と最初に決めていました。なにをするにしても、やらないといけないというよりは、やり切るしかない状況でした。

中川 コンサルをするのは初めてだったし、これがうまくいかなかったらこの先ないなと思ってたから、僕も必死だったよ。

プレッシャーで吐いた日

―—経営再生コンサルティングはどのように進んだのでしょうか?

中川 スタートした2009年の夏に、2010年6月の中川政七商店主催の展示会で新商品をデビューさせようという目標を立てました。進め方としては、僕から「こんなのやったらいいよ」と提案するのではなくて、匡平君たちがやりたいことをどう形にしていくかというスタイルです。でも、最初に匡平君が出してくれた案は、実は本当にやりたいものではなかったんだよね。

馬場 はい。最初は、中川政七商店さんで扱ってもらえるような商品をつくろうとしました。それが一番堅実だろうと思ったんです。

中川 なにをつくったらいいのか自信がないなかで、これだったら売れそうかなという案を出していた。でも途中で「やっぱりやめたい」と言いだして、方向転換をすることになったんです。

馬場 それが、「60年代のアメリカのレストランで使われていた大衆食器」をテーマにしたカラフルなマグカップのシリーズ「HASAMI」です。

中川 僕も本当にやりたいことをやったほうがいいと思ったけど、内覧会まで時間がなかったから焦りもありました。

馬場 中川さんも一度、「本当にこれで売れるのか?」って心が揺れた時がありましたよね。それで、僕とりさちゃんが奈良まで説明に行ったんです。その時に中川さんから、「ブランドは、本人がやりたいことをどう具現化してやり続けるのかが大切で、ふたりが奈良まで来て説明してくれて覚悟が伝わったからこの方向で行こう」と言ってくれたことをおぼえています。

中川 「HASAMI」をデビューさせると決めてから、匡平君が感じているプレッシャーはすごかったよね。これがうまくいかなかったら恐らく会社を畳まざるを得ないという状況だったから、運転しながら吐いたりしてたもんね。

馬場 あのプレッシャーは二度と味わいたくないですね。

中川 それぐらいのプレッシャーのなかで2010年6月に無事にデビューして、幸いそれがうまくいったんだよね。

馬場 マグカップはセレクトショップに5万点出荷して、いろいろなアパレルメーカーからもOEMの話が来るようになりました。

中川 それが最初の1年で、もう1年、シーズン3ぐらいまで一緒にやったんだよね。

馬場 次のシーズンを出すことになった時、最初の頃みたいに中川さんが僕らにあれこれ教えるんじゃなくて、僕らからプレゼンする形に変えてくれました。それもよかったです。

中川 最初の1年はある程度リードして、2年目からはある程度任せるようにしたんです。

波佐見パークからHIROPPAへの道程

――2011年に2年間の経営再生コンサルティングが終わって、ちょうど10年。マルヒロはポップカルチャーを取り入れた焼き物メーカーとして注目を集める存在になり、今では売り上げが3億円を超えています。そして、2021年10月には波佐見町内に敷地面積1200坪の公園「HIROPPA」をオープン。なぜ焼き物メーカーが公園をつくったのでしょうか?

中川 2年目の最後のほうに、これまで生き延びるために目の前のことをやってきたけど、もうちょっと先のビジョンを決めようという話をしたよね。その時に、「波佐見に映画館をつくりたい」という話から、「波佐見パーク」という言葉が出てきました。ヒロッパと波佐見パークはつながっているの?

馬場 つながっていますね。波佐見パークの話をしていた10年前は僕も25歳ぐらいで、「映画館とかマックがあったらいいな」ぐらいの感覚だったんですよ。だから、まずは焼き物をどう売っていくかという段階で、アメリカのフォントデザイン会社「ハウスインダストリーズ」と組んで、新しいブランド「ものはら」をつくったり、スケボーブランドとコラボしたりするようになって。そこに手応えを感じて、「焼き物屋がやらないことに注力しよう」という方針になったのが2017年頃です。

中川 そうなんだね。

馬場 その頃に子どもが生まれて、「波佐見町には子どもたちがのびのび遊べるような公園がない」と思ってたんですよ。振り返ってみれば、もともと、仕事で関わっている人や友だちに、気軽に「うちにおいで」と言えて、いろいろな人が集える場所があったらいいなと思っていたから、「公園をつくろう」と考えました。そういう意味で、「波佐見パーク」とヒロッパはつながってます。

中川 僕がコンサルティングしたつくり手さんは、みんな教え子的な感覚があるんだけど、匡平君が好きな世界観やカルチャーと中川政七商店の世界観はぜんぜん違うし、教え子のなかでも異質の存在です。でも、それぞれの方向で一生懸命やって前に進んでくれたらいいなという感覚だから、今日、たくさんの家族がヒロッパで楽しそうにくつろいでいる姿を見て嬉しかったです。

馬場 ヒロッパはまだ完成してないので、あとはこれからどうコンテンツを加えていくか。観光農業をしたくて、ヒロッパの一部に5万本のひまわりを植えたんですよ。残念ながら、今年は大雨で全滅しちゃったんですけどね。ひまわりの種って高カロリーで、大リーグの公式食品なんです。これをお店で炒って、塩とかチリとかフレーバーで味を変えるフリフリポテトみたいな「フリフリシード」を売る予定です。あと、ひまわりの種を乾燥させて真空パックにすると3年もつんです。これをトレッキング用の行動食にして売り出そうと思ってます。

中川 それは面白いね。

馬場 はじめる前は「観光農業をやる」って言ったら、工芸業界の方から鼻で笑われましたよ。でも結局、町が残らないと工芸が残らない。工芸だけあります、それで人が増えますかって。人がいるから工芸する人が出てくるんじゃないですか。

中川 工芸をなんとかしようと思ったら、町から手をつけなきゃいけないっていうのは本当にその通り。町が盛り上がっていると面白い人が寄ってきて、そのうちの何人かが工芸に興味を持ってくれたらそれが一番だよね。

馬場 ヒロッパにはうちの商品も置いてあるから、来てくれた人たちが「こいつら、こんなんつくりよると!」と思ってもらえたら仕事が拡がるかもしれないし、町の人が「かっこいい公園があるから遊びにおいでよ」って友達に紹介してくれれば、それがまた人を呼びますよね。小さい子たちがマルヒロや焼き物に興味を持ってくれれば、将来、マルヒロで働きたい、波佐見町に住みたいと思ってくれる可能性もありますし。

ヒロッパ内の物販スペース 

中川 2013年に、新潟の燕三条で町工場を観光客に解放してものづくりの魅力を伝える「工場の祭典」を始めたのがきっかけで、僕は「産業観光」が日本のものづくりを再生するひとつのカギになると言い続けてきました。それをどう捉えてどう具現化するのかはそれぞれで、うちはN.PARK PROJECTを立ち上げ、匡平君はヒロッパをつくったけど、「人を呼び込み、見てもらう、その状況をどうつくるか」というテーマは一緒だと思います。

馬場 そうですね。ヒロッパをオープンしてから予想以上にたくさんの人がきてくれて、ビックリしています。公園のなかにあるお店もコーヒー屋も売り上げは伸びているから、コロナが収束するまで、できるだけ近くにいる人たちを大切にしていれば、その後は必ず観光でもプラスになると思っています。

経営再生コンサルティングでマルヒロに残せたこと

中川 リスクを挙げればきりがないから、コロナも含めて、ヒロッパをやらない理由はいくらでもあったと思うんだよね。それを躊躇なくやれるのは、素晴らしい。自分がやりたいことに真剣に向き合えばなんとかなるんだっていうのは、コンサルティングで残せたところだと思う。

馬場 最近よく言われるんですよ。よく踏み切りましたねって。そこまで重くは考えてなくて。

中川 そうやって、自分がいいと思うことにちゃんと信じて突っ込めるというのは、実はなかなか稀有なことなんですよ。匡平君の場合、吐くようなプレッシャーを克服した経験があって獲得した自信だから、そこは強いよね。

馬場 僕に教えてくれた人も、奈良のまちなかにでっかい建物建ててますからね。「鹿猿狐 ビルヂング(中川政七商店初の複合商業施設)」を見て、「うわーやられたね」って思いました(笑)。少し離れて、いろいろな角度から見たんですけど、かっこいいんですよ。先にヒロッパを見せつけたかった!

中川 いい意味で「なにくそっ」と思うのが匡平君のいいところだよね。教え子のなかに、僕にこんなふうに言ってくる人はいません(笑)。でも、僕もヒロッパを見て嫉妬を感じたんですよ。僕にはできない世界観を描いて、それを実現しているのはすごいなと思うし、ヒロッパでなにを目指すのかというアプローチも含めて面白い。

馬場 ヒロッパをつくる時も、中川さんの言葉を思い出しましたよ。マルヒロが本当に潰れそうだったコンサルの最初の頃に「無理な時には、意地で続けることが悪になるから。これが当たらなくても続けるということは考えないほうがいいよ。それでいろいろな会社が苦しくなっているのを知ってるから」って言われたんです。

中川 それは、僕が親父から言われたことでもあるんだよね。「商売に失敗したからといって、命を取られるわけじゃないから気楽にやれ。最後に変な悪あがきをするな」って。最後の一線をどこかで引いておくのは、大切なことだよね。

馬場 そういう風に言ってくれる人、いないんですよ。みんな、頑張れ、大丈夫って言うじゃないですか。中川さんの言葉を聞いて、ほんと気が楽になりました。だから、ヒロッパをつくる時にも、「ずるずるやるのはやめよう」って決めたんです。

中川 ヒロッパができて、これからどうしようという狙いはあるの?

馬場 まずは、来年、ちゃんとひまわりを咲かせたいですね(笑)。周囲で山登りをしている人たちもいるから、一緒に行動食をつくりたいです。うまくいけば、マルヒロで初めて違う商売ができるので。そうやって工芸をやりながら、ちょっとずつ領域が拡げられればと思っています。

中川 匡平君は、人を巻き込んで自由にやらせながら、それをちゃんと商売につなげる。商売人として優秀だよね。初めて会った時と比べたら、本当に立派になったなと思いますね。これからも、匡平君らしく前に進んでください。

「一日園長」として招待いただいた中川政七。馬場さんと、ヒロッパを歩きながらお話もさせていただきました

HIROPPAの紹介記事はこちら

<取材協力>
有限会社マルヒロ
佐賀県西松浦郡有田町戸矢乙775-7
https://www.hasamiyaki.jp/

HIROPPA
長崎県東彼杵郡波佐見町湯無田郷682
https://hiroppa.hasamiyaki.jp/


 文:川内イオ
写真:藤本幸一郎

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