世界で愛される越前発のものづくり〜各国のシェフたちが絶賛した越前打刃物のステーキナイフ〜
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こんにちは。ライターの石原藍です。
福井県越前市は越前和紙、越前打刃物、越前箪笥などものづくりの産地が集積している国内でも珍しい地域です。今回は2回にわけて、海外から注目を集めている越前発のものづくりに注目。
前編は世界的な国際料理コンクールで24カ国の審査員の約半数が持ち帰ったという、伝説のステーキナイフをご紹介します。
越前打刃物のはじまり
南北朝時代の1337年、刀づくりに最適な地を探し続けていた京都の刀匠、千代鶴国安(ちよづる・くにやす)は現在の越前市を訪れます。
この地でとれる粘土質の泥と清らかな水を見出した彼は鍛冶をはじめ、その傍ら農民のためにも鎌を作ったことが、越前打刃物の起源だと言われています。
近くには漆器の産地もあり、漆を求めて各地を行脚していた漆かき職人が鎌や刃物を売り回ったことで、全国に「越前打刃物」の名が広まりました。
越前打刃物の特徴は日本古来の火づくり鍛造(たんぞう)技術。鋼を火で熱して柔らかくし、叩いて圧力を加えることで金属同士の組織を頑丈にしていきます。金属を金型に流し込んで作る鋳造(ちゅうぞう)とは違い、形を自由自在に変えられるのも打刃物の特徴です。
手仕上げ、磨きなどの工程を経て、1本ずつ丁寧に仕上げられる越前打刃物。千代鶴がこの地に訪れて以来、約700年にわたって育まれた技術は、料理用包丁やハサミ、カスタムナイフなどさまざまな商品に広がり、今では海外の愛用者も増えています。
最高の研磨職人が、最高の刃物をつくるために興したメーカー「龍泉刃物」
「龍泉刃物」は福井県越前市に本社を持つ、料理包丁やカトラリーなどをつくる刃物メーカーです。初代の増谷等(ますたに・ひとし)さんはもともと研磨職人として産地のなかでも最高の技術を誇る職人でした。
研磨だけでなく、一貫したものづくりを担うメーカーを目指し、昭和28年に独立・創業。2代目の増谷浩(ますたに・ひろし)さんは刃物組合の理事長として越前打刃物の認知度を高め、国内の刃物産地としては初めての「伝統的工芸品」の指定に大きく貢献しました。
そして、現在の社長を務めるのが3代目の増谷浩司(ますたに・こうじ)さん。代替わりした2008年頃は世界的な経済破綻もあり、産地全体がピンチに陥っていました。商品をつくってもまったく売れず、国内での販売に限界を感じていた増谷さんは海外に活路を見出します。
苦い思い出となった初の海外進出
「それまで販売は問屋に任せておけばよかったのですが、これからは自分たちで販路を開拓しなければなりません。海外にまったくツテのないなか、展示会への参加やレストランへの飛びこみ営業を続け、少しずつ龍泉刃物の良さに興味を示す人たちが増えていきました」
手探りの海外進出でしたが、さらに大きな問題が立ちはだかりました。それは、「現地で包丁を研げる人がいない」ということ。
包丁の品質は最高であっても、使い続けるためのメンテナンスができない。この致命的な問題をすぐには解決できず、海外への販路は一旦途絶えてしまいます。
“最高の切れ味を持つステーキナイフ”に大苦戦
2009年12月、雪深い福井にある人物が訪ねてきました。それは「星野リゾート 軽井沢ホテルブレストンコート」で当時総料理長を務めていた浜田統之(はまだ・のりゆき)さん(現在:「星のや東京」料理長)。新しくオープンするメインダイニング「ユカワタン」で使いたいと、“最高の切れ味を持つステーキナイフ”の制作を増谷さんに依頼したのです。
すぐさま制作に取り掛かり、ほどなくしてナイフのサンプルが出来上がりました。しかし、浜田シェフからの回答は「NO」。
「たしかに肉はよく切れる。しかし、これでは切れ味が良すぎて口のなかも傷つけてしまう」
肉を切るだけではなく、時にはソースをすくうこともあるステーキナイフ。切れ味と安全性の両立は難しく、何度もサンプルを作り直すもOKが出ない状況が3ヶ月以上続きました。
ピンチの時に訪れた奇跡の再会
レストランのオープンが刻々と近づくなか、制作は思ったように進みません。そんな増谷さんにとって奇跡的な出来事が起こります。それは小中学校時代の同級生・渡辺弘明さん(株式会社プレーン)との35年ぶりの再会。
東京でプロダクトデザイナーとして活躍していた渡辺さんが、増谷さんの制作を手助けしてくれることになったのです。
彼らは世界中のステーキナイフを集め、構造の研究から始めました。本来、ステーキナイフには刃の先にギザギザをつけることで、食材とのひっかかりをつくり、切り込んでいきます。増谷さんはその機能に着目し、再度素材を検討。柔らかい鋼と硬い鋼を何層にも合わせて研ぎました。素材同士の削れ具合の違いがヤスリのような構造となり、食材を当てるだけでは切れず、しかし軽く引けばなめらかに切れる一本を実現したのです。
こうして約2年の歳月をかけて“切れ味と安全性を兼ね備えた”最高のステーキナイフが完成しました。
世界中の料理人が絶賛したステーキナイフ
ステーキナイフの完成は、当初目標にしていたレストランのオープンには間に合いませんでしたが、増谷さんには次のチャンスが舞い込んできます。浜田統之さんが日本代表シェフとして出場することになった「ボキューズ・ドール国際料理コンクール」で、龍泉刃物のステーキナイフを日本チーム専用のナイフとして採用したのです。
結果は日本人として過去最高位の3位を受賞しただけでなく、24カ国からなる審査員の約半数が龍泉刃物のステーキナイフを持ち帰ったというのです。この日を境に龍泉刃物の名前は一躍世界中で知られることになりました。
現在、フランス、イタリアをはじめ、アメリカ、ドイツ、オランダ、香港など世界中のレストランで愛用されている龍泉刃物のステーキナイフ。こちらも包丁と同様に定期的なメンテナンスは必要ですが、前回撤退したときの教訓を活かし、現地で対応できる拠点をつくりました。
しかし、1ヶ月につくることのできるステーキナイフは150本と限界があるため、現在も注文は約4年待ちと言われています。
越前打刃物に出会う入り口が増えていく
ステーキナイフ以外にも、ペーパーナイフやショコラナイフなど、龍泉刃物は次々と新しい商品を生み出しています。増谷さんは料理、文具、趣味など、さまざまな入り口をつくることで、越前打刃物を世界中の人にもっと知ってもらいたい、と語ります。
また長年、職人の育成に力を入れてきたかいもあり、最近では20代の若い職人も増えてきたそう。
「打刃物の現場は夏でも約1000度の炎や、冬でも身を切るような寒さのなかで水を使う厳しい現場なので、若い人たちから敬遠されていた時代もありました。しかし最近では、伝統を継承するという誇りや世界に認められている自信が、若い人たちの大きなモチベーションになっていると思います。これからも世界中に自信を持ってお届けできるものづくりに取り組んでいきたいですね」
伝統の技を継承しながらも新しい技法を生み出し、挑戦を続けている龍泉刃物。「越前のものづくり」は今後も刃物のような鋭い切れ味のごとく、世界を鮮やかに切り拓いていくに違いありません。
<取材協力>
龍泉刃物
越前市池ノ上町49-1-5
0778-23-3552
文:石原藍
写真:石原藍、龍泉刃物(一部)