伊万里で門外不出だった「鍋島焼」とは。窯元と歩く、お殿様が愛したうつわの里

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鍋島焼

佐賀には日本の磁器発祥の地・有田をはじめ、唐津、伊万里、嬉野、武雄などたくさんの焼き物の里があります。

そのひとつ、伊万里市大川内(おおかわち)にある焼き物をご存知でしょうか。

名前を「鍋島焼 (なべしまやき) 」。

江戸時代、鍋島藩(佐賀藩の別名。当主鍋島氏の名前から)の御用窯が置かれ、将軍家や諸大名への献上品、贈答品として作られていた焼き物です。

色鍋島

お殿様への献上品という性質ゆえに、その器や技術が民間に出回ることは厳しく取り締まられ、産地である大川内は「秘窯の里」とも呼ばれてきました。

山々に囲まれ、30軒の窯元が坂に面して立ち並ぶ風景は水墨画のように美しく、今では観光地としても人気を集めています。

お殿様が愛した鍋島焼とは一体どんな場所で作られ、どんな姿をしているのでしょう。

窯元さんにご案内いただきながら、歴史に秘められた鍋島焼の魅力を訪ねてみましょう。

青磁の原石が採れる山すそ、伊万里市大川内へ

伊万里市街地から車で10分ほどの静かな山あい。

レンガ造りの煙突が建ち、窯元が軒を連ねています。

地図

里の入り口には焼き物でできた大きな地図が。

「大川内に鍋島藩窯ができたのは1675年です。有田から31人の優れた陶工たちを連れてきて作らせたのがはじまりなんですよ」

ご案内いただくのは「鍋島 虎仙窯(こせんがま)」の川副(かわそえ)さんです。

「それまで有田で将軍や老中などに献上する焼き物が作られていましたが、技術の漏えいを防ぐため、険しい地形の大川内に藩窯が移されたんです。

昔は入り口で人やものの出入りを取り締まっていたんですよ」

それがわかる場所にご案内いただきました。

大川内関所跡

関所跡です。

大川内関所跡

「明治時代頃までは、この辺りには牛小屋があって、下は全部田んぼだったようです」

職人さんたちがいる場所とそれ以外に分かれていたんですね。

「陶工たちは管理されていましたが、武士のように優遇もされていたようですね」

窯元が並ぶ坂を登っていくと…

大川内

あぁ、ほんとに水墨画のような風景が。

「この辺りで、みなさん写真を撮ったり、絵を描いたりしています」

焼き物の産地でありながら、この景色を見るために外国人観光客も多く訪れるそうです。

それにしても、なぜこんな運搬も大変な山あいに藩窯が開かれたのでしょうか。

「釉薬に使う青磁の原石がこの山で採れるからとも言われています。今も自分たちで石を採って、釉薬を作っています」

日本で青磁の原石が採れる場所はほかにもありますが、産業として現在も原石を使用してもいるのは大川内だけだそうです。

虎仙窯さんに教わる、鍋島焼3つの見方

「鍋島焼には大きく分けて、色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁の3つがあります」

主に薄い染付輪郭線の内側に赤・淡緑・淡黄の3色だけで上絵付をした「色鍋島」。

色鍋島

色絵は使わずに染付けだけで文様を描きまとめた「鍋島染付」。

鍋島染付

そして大川内山でとれる原石を使った青磁釉を、器の全体にかけて焼きあげた「鍋島青磁」。

鍋島青磁
左から色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁のコーヒーカップ
左から色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁のコーヒーカップ

それぞれ表情が違って美しいです。お殿様はこうした違いも楽しんでいたのでしょうね。

鍋島焼も有田焼も、伊万里焼?

ところで、この辺りには唐津焼、伊万里焼、有田焼といろいろな焼き物がありますが、何が違うんでしょうか。

「江戸時代、伊万里の港から出していたものの総称が“伊万里焼”です」

え、港の名前?

「海外から見た時に伊万里の港から輸入されていたので総称で『IMARI』と呼ばれるようになったんです」

海外から逆輸入した呼び名だったとは。知りませんでした。

「もちろん、唐津焼、有田焼、鍋島焼、それぞれの特徴があって、伝えていくべきものがあると思うので、私たちも鍋島焼はこういうものなんだ、というのを伝えていきたいと思っています」

黄色い石から美しい青が生まれる

鍋島焼の中でも虎仙窯さんは代々、鍋島藩窯仕事場で青磁の製作と絵描きをされてきたそうで、今も青磁にこだわったものづくりをしています。

ギャラリーには喫茶スペースもあり、虎仙窯さんの器でお茶を楽しむことができます
ギャラリーには喫茶スペースもあり、虎仙窯さんの器でお茶を楽しむことができます

「これが青磁の石です」

青磁の石

黄色い!青磁の色とはまるで違います。

青磁

「これを細かく砕いて、水に溶かして釉薬状にして、白い磁器にかけて焼くと青磁色になります」

黄色から青磁色に。なんとも不思議です。

青磁の器。黄色い石から美しい青磁色に
青磁の器。黄色い石から美しい青磁色に

青磁を主力商品として作っている窯元は3軒ほどだそう。

「青磁は天然のものなので、山の層によって色の出方が違ったりして安定しないんです。粘土と釉薬がマッチしないとボロボロになるし、窯に入れても割れる率がものすごく高い。それを何度も何度も繰り返しながら、青磁が誕生しました」

江戸時代からの技法を忠実に守り続ける鍋島御庭焼

鍋島焼の特徴を知った後は、鍋島焼の歴史を知る上で欠かせないという窯元さんを訪ねます。

鍋島御庭焼

鍋島御庭焼(おにわやき)さんです。

鍋島藩御用窯の唯一の直系の窯元で、今も鍋島家に器を納めているそうです。

お話を伺った鍋島御庭焼五代目の市川光春さん
お話を伺った鍋島御庭焼五代目の市川光春さん

「鍋島藩のお殿様が1675年に、将軍に献上の目的として造られたのが御庭焼です。御庭焼というのは、江戸時代の藩の御用窯のことを指すので、ここは鍋島御庭焼ですね」

当時は大川内全体が藩窯でしたが、廃藩置県後、藩の下絵図の図案帳と杏葉の紋を使うことを許された唯一の窯元が御庭焼さんです。

鍋島家の杏葉の紋
鍋島家の杏葉の紋

「紋所が入るので、いろんなものは作れませんね。昔の技術を磨いて伝えていくことを大切にしています」

鍋島御庭焼さんでは、今も江戸時代からの技法を忠実に守ってものづくりを続けています。

江戸時代からある図案に基づいた絵皿。淡いブルーは、筆跡がわからないようぼかしながら色を配る、高度な技術の賜物
江戸時代からある図案に基づいた絵皿。淡いブルーは、筆跡がわからないようぼかしながら色を配る、高度な技術の賜物
工程の見本。奥の素焼きから線書き、色付けと工程を重ねてようやく完成します
工程の見本。奥の素焼きから線書き、色付けと工程を重ねてようやく完成します

大川内に藩の御用窯がつくられて300年以上。

その受け継がれてきた技術と歴史を感じることができます。

大川内山を向いて立つ880の陶工のお墓

坂を下って、川沿いの遊歩道を歩きます。

川沿いの遊歩道。向こうに見えるのは‥‥
川沿いの遊歩道。向こうに見えるのは‥‥

「夏場はこの辺りで子どもたちが水遊びをしたり、毎年、“ボシ灯ろうまつり”が開かれます。本窯を焚くときに使っていたボシ(焼き物を入れる耐火性の器)に、ろうそくを立てるんです」

火が灯ったボシが並ぶ風景は、想像するだけでもとても幻想的です。

川沿いの橋の欄干も焼き物でできています。

橋

陶片がモザイクになっていて、なんとも美しく贅沢な橋です。

橋

鍋島焼を堪能しながら歩いていくと、

「こちらが陶工無縁塔です。大正初期につくられました」

陶工の墓

点在していた古い陶工たちのお墓を「先人たちを供養しよう」と大川内の人たちがたてたそうです。

石碑

880基ある無縁墓標は全て窯場のある大川内山を向いて立っています。

大川内山を臨む

「毎年11月に、ここで“筆供養”もしています。絵付けには熊野筆を使っているので、広島県から熊野筆の方も来ていただいて、先人に感謝を述べています」

ご案内いただいた虎仙窯の川副 (かわそえ) さん
ご案内いただいた虎仙窯の川副 (かわそえ) さん

無名の陶工たちが技術の粋を尽くして作り上げられた鍋島焼。

先人たちに思いを馳せながら改めて鍋島焼を見ると、その美しさが一層際立つような気がします。

あまり知られていない場所ですが、ぜひ立ち寄りたいスポットです。

釉薬を厚くしないと出せない青磁の色

窯元さんの中には、実際のものづくりを見学できるところもあります。

大川内の里から車で15分ほどのところにある虎仙窯さんの工房へ伺いました。

虎仙窯

器の成形は鋳込みやろくろで行われています。

虎仙窯

こちらは青磁の釉薬掛け。

虎仙窯
青磁の釉薬掛け

やっぱり黄色い!

青磁の釉薬掛け

「焼くと青磁の色になります」

うーん、全然想像がつきませんが、最初にこの原石から青色が生まれると気づいた人は本当にすごいですね。

青磁の器

「青磁の釉薬は厚くしないと色が出せません。だから、たっぷり釉薬をつけています」

その分、乾くのに時間もかかるので、量産が難しいそうです。お殿様への献上品らしい、贅沢な器です。

ツバキの葉を使った転写法

「こちらが絵付室です」

絵付け室の扉

なんだか学校の図工室とか理科室みたいです。

絵付け中

「こちらは薄描きと言って、赤絵を付けるときの補助線みたいなものです」

下の黒い線はなにで描かれているんでしょう?

「桐灰です。桐を炭にして、水を含ませて型紙に筆で描きます。それをツバキの葉でこすると写るんです」

桐灰で線書きされた型紙
桐灰で線書きされた型紙

ツバキの葉で?

「江戸時代からの技法です。今は手でやることが多いですね」

型紙を乗せて手でこすると転写される
型紙を乗せて手でこすると転写される

「ツバキの葉を使うとツバキ油が出て、和紙が丈夫になると言われています。

江戸時代の量産方法ですね。今は転写とかいろいろありますけど、同じものを同じようにたくさん作るために、この方法が使われてきました」

転写の跡

「一度、型紙に桐灰で描くと、50回くらい使えます。先ほど行った御庭焼さんには、江戸時代の型紙が残っていますが、和紙だから残っている。これがもしコピー用紙だったら、たぶん残っていないだろうと言われています」

鍋島焼には、献上品としての品格、風格を保つため、多くの決まりごとがあるそうですが、どれだけ精密に作られているか、よくわかります。

転写された線の上に絵付けが施されていきます
転写された線の上に絵付けが施されていきます

藩の御用窯として発展してきた鍋島焼ですが、廃藩置県後、自分たちで窯を構えるようになると、窯元も職人たちも少なくなっていきます。

「一時は8軒くらいになってしまったようです。今は30軒になりましたが、後継者不足などの問題はどこも抱えています」

鍋島焼をより広く知ってもらうため、虎仙窯さんでは伝統的な3つの技法を生かした新しいブランド「KOSEN」を立ち上げました。

KOSEN

「鍋島焼は将軍家や大名のために贅を尽くして作られてきたので、高価な物が多く、一般市場に出回りませんでした。

これからは、一般にも流通しやすい価格帯で技法やデザインをわかりやすく伝えるなど、鍋島という存在価値をみんなに知ってもらいたいと思っています」

ちょうど絵付け中だった「KOSEN」のゴブレット。ギャラリーで教えてもらった鍋島焼3つの技法を生かしている
ちょうど絵付け中だった「KOSEN」のゴブレット。ギャラリーで教えてもらった鍋島焼3つの技法を生かしている

31名の陶工たちによってはじまった鍋島焼。

その産地である大川内は、2時間もあればぐるりと見どころを見て回れます。お殿様が愛した焼き物の里、一度訪ねてみてはいかがでしょうか。

<取材協力>
鍋島 御庭焼
伊万里市大川内町乙1822-1
0955-23-2786

鍋島 虎仙窯
佐賀県伊万里市大川内町乙1823-1 (ギャラリー)
佐賀県伊万里市南波多町府招1555-17 (工房)
0955-24-2137
http://www.imari-kosengama.com/

文 : 坂田未希子
写真 : 菅井俊之

※この記事は、2018年3月26日の記事を再編集して公開しました。

<掲載商品>
鍋島虎仙窯 鍋島青磁 煎茶碗

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