歩いて行けるタイムトラベル 麻の最上と謳われた奈良晒
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瀬戸内でレモンやオリーブが、青森は大間で活きのいいマグロがとれるように、暮らしの道具にもそのものをつくるのに適した気候風土の土地があり、そこに職、住、文化が集まって、日本各地に様々なものづくりの産地が形成されてきました。岡山のデニムや金沢の金箔などは有名ですね。そんな中でも身にまとう織物は古代から生活に欠かせない必需品。日本を代表する古都・奈良で、そんな土地の気候風土の中ではぐくまれた高級麻織物「奈良晒」を追いました。
ゆったりと鹿が憩う奈良公園や県庁などが隣接する奈良の市街地に、かつて一大産業として栄えた奈良晒の面影を感じられる場所があります。近鉄奈良駅から東大寺へと向かう手前に位置する名勝「依水園」。時代の異なる2つの庭園からなり、そのうちの「前園」は江戸前期、将軍御用達商人・清須美道清(きよすみどうせい)が別邸と共に作ったもの。この清須美が商ったのが、奈良晒でした。
奈良晒は上質な麻織物。その起源を鎌倉時代にまでさかのぼり、南都寺院の袈裟として使われていたことが記録されています。文献にその名が登場するのは、16世紀後半に清須美源四郎が晒法の改良に成功してから。清須美道清の祖父にあたる人です。17世紀前半には徳川幕府から「南都改」の朱印を受け御用品指定され、産業として栄えました。主に武士の裃、僧侶の法衣として用いられ、また、千利休がかつて「茶巾は白くて新しいものがよい」と語ったことから、茶巾としての需要もあったようです。
水量豊かな吉城川そばにある依水園は、実はかつて奈良晒の晒場だったところ。園内を歩くと、水車小屋や晒の工程でつかう挽臼を模した飛び石など、当時の面影を感じさせる意匠が。寛政元年の『南都布さらし乃記』には、もしかしたらこのあたりだったろうかと思われる、かつての晒場の様子を見ることができます。
また、各地の名産・名所を描いた『日本山海名物図会』(1754年刊行)では、奈良晒の質のよさを褒めて、こう評しています。
「麻の最上は南都なり。近国よりその品数々出れども染めて色よく着て身にまとわず汗をはじく故に世に奈良晒とて重宝するなり」
こうした質のよさは、どこから来ているのでしょうか。奈良晒の素材は、麻。中でもコシの強い苧麻(ちょま)という種類を用いていました。この苧麻の繊維を績んで糸にし、撚りをかけたタテ糸と撚りをかけないヨコ糸で織り上げます(この織り方を平布といいます)。その工程は、糸を績むだけで1ヶ月、生地を1疋(24メートル)織るのに熟練の織り子さんでも10日はかかるという気の遠くなるような道のりです。
この、コシの強い苧麻の繊維が「着て身にまとわず」のさらりとした肌あたりをかなえ、撚りのあるタテ糸と撚りのないヨコ糸の組合せが晒しや染めの効果を得やすく(=染めて色よく)して、「麻の最上」とまで評された奈良晒が生み出されました。
このように手間ひまのかかる織物が、17世紀後半から18世紀前半にかけての最盛期には、生産量40万疋にも達したと言われているから驚きです。当時の繁盛は井原西鶴の『世間胸算用』にも登場するほど。そんな黄金期のさなかの享保元年(1716年)、猿沢池にもほど近い元林院町に創業した中川政七商店では、今も江戸の当時と変わらぬ製法で奈良晒が作られています。創業の地に建つ直営店「中川政七商店 奈良本店」で、かつて奈良晒の工程に実際に使われていた道具などを見ることができます。
天井に掛けられている竹竿はかつて奈良晒の倹反に使われていたもの。生地にキズや汚れが無いか、幅や長さ、織りの細かさなどを見るために、この竹竿に奈良晒を掛けて検査をしていました。店内中央の大きな柱に立てかけられているのは、商品を包むものに押されていたとされる判。逆文字で「奈良曝布」と刻まれています。
最大の供給先であった武士の時代を終え産業が衰退を迎えた大正期にあって、中川政七商店は自社工場を持ち、奈良晒の復興を目指してパリ万博に麻のハンカチーフを出展します。昭和に入ると麻の茶巾を突破口に茶道具としてその需要を確保しました。そうして保たれ続けてきた奈良晒の技術と確かな品質は、今、ポーチやバッグ、洋服など日用の様々な麻生地の品の中に活かされ、お店に並んでいます。
土地が育んだ優れた産品を、残すだけでなく今にあった形で活かす。かつての繁栄を依水園に感じ、お店で実際の麻ものに触れ、「最上」と謳われた南都の名物のあとさきに、思いを馳せてみるのもいいかもしれません。
依水園
〒630-8208 奈良市水門町74
0742-25-0781
http://www.isuien.or.jp/index.html
中川政七商店 奈良本店
〒630-8221 奈良県奈良市元林院町31-1
0742-22-1322
https://www.nakagawa-masashichi.jp/shikasarukitsune
文:尾島可奈子
写真:木村正史