日本全国

砥部焼とは

「日用の美しさ」を貫く特徴と歴史

砥部焼

「砥部焼」とは

愛媛県伊予郡砥部町を中心に作られている磁器。地元の陶石を用いた素地を生かし、大胆な筆使いの文様を青色で描いた染付の食器や、天然の灰を使った柔らかい発色の青磁の花器など、実用性とデザイン性を兼ね備えた日々の暮らしを支える器が多い。白磁、染付、青磁、天目 (鉄釉) の4種類が国の伝統工芸品に指定されている。

江戸時代に白磁器の焼成に成功し、生産が本格化。明治以後は、東南アジア向けの食器の産地として生産を伸ばす。戦後は民芸運動を推進する柳宗悦、バーナード・リーチ、濱田庄司らから手仕事の技術が高く評価された。その後、近代デザインなどの陶芸指導により大量生産を行う産地から、手作り、手描きを重視した伝統的工芸品の磁器の産地へと転換。今や全国的な人気を誇っている。

砥部焼

「砥部焼」の歴史

砥部焼と呼ばれる焼き物が作られるようになったのは江戸中期からだが、砥部焼協同組合の資料によると産地の歴史は飛鳥時代にまで遡る。

飛鳥・奈良・平安時代
砥部の盆地は、山裾の傾斜が窯の立地に適し、燃料となる木材が豊富にあったため古くから焼き物が作られていた。地元に残る大下田古墳 (おおげたこふん) からは、6〜7世紀の須恵器の窯跡が多数発見されている。

発見された須恵器のひとつ「子持高杯 (こもちたかつき) 」は、7つの小さな蓋付杯が器台に乗っており、当時の焼き物製造技術の高さが伺える。1968年には国の指定文化財となり、現在は国立歴史民族博物館に収蔵されている。

奈良〜平安時代から、砥部町外山の砥石山から切り出される砥石 (といし:刃物を研ぐための石) は「伊予砥」の名で朝廷にも知られる存在であった。東大寺の「正倉院文書」には、観世菩薩像造立に「伊予の砥」を用いたことが記されている。また、平安時代編纂の「延嘉式」にも伊予国産物として「外山産砥石」を課徴するとの記録が残る。

江戸時代
砥部では、伊予砥の生産が盛んに行われていた一方で、砥石の切出し時に出る砥石屑の処理に苦心していた。処理作業は大きな重労働であり、その負担を強いられていた村人たちが動員免除を藩に願い出たほどであった。

当時、伊予砥の販売を取りまとめていた大阪の砥石問屋・和泉屋治兵衛は、天草の砥石が磁器の原料にされていることを知り、伊予砥の屑石を使って磁器を生産することを大洲藩に進言した。

大きな負担であった砥石屑を原料として、焼き物が作れるという情報は、当時の大洲藩にとって非常に有難いものであった。

和泉屋からの進言を受けて藩主の加藤泰候 (やすとき) は、1775年 (安永4年) に家臣加藤三郎兵衛に「磁器」生産の創業を指示。これが砥部焼発祥の契機となる。

しかし、成功までの道のりは決して容易ではなかった。何度も試焼、本焼を行うものの地肌に大きなひびが入ってしまう。失敗の原因と考えられた釉薬の改良すべく筑前で原料を探し求め、2年半後の1777年 (安永6年) 、ようやく白磁器の焼成に成功する。

その後も、絶え間なく技術改良が進んだ。

三秋 (伊予市) で釉薬の原料石が発見され、地元で安定した釉薬の供給が実現。また1818年 (文政元年) には、新たな陶石が発見され、それまでのやや灰色がかっていたものより白い磁器を作ることが可能に。さらには、亀屋庫蔵が大洲藩の命により肥前で錦絵の技法を学び、絵付けにおいても技術革新が進められた。

砥部焼

明治時代
近代になると、中国をはじめとした海外に「伊予ボール」のブランド認知を得て輸出されるまでに。1893年 (明治26年)には、向井和平が製作した「淡黄磁」がシカゴ博覧会で1等賞を受賞。砥部焼の名は世界に知られるようになり、大正時代には砥部焼の7割が海外に輸出されるまでに販路が拡大した。

大正・昭和時代
しかし大正末期から昭和初期の不況により、砥部焼の生産や販売は落ち込むことに。一方で瀬戸や美濃といった先進地域では、新しい技術が次々と導入され発展を見せた時期でもあった。砥部はこの近代化の波から、一見取り残されたかに見えたが、戦後には砥部焼が持つ手作りの良さが改めて評価されることとなる。

1953年 (昭和28年) 民芸運動を推進する柳宗悦、バーナード・リーチ、濱田庄司らが砥部を訪れ、手仕事の技術が残っていることを高く評価した。柳に師事した鈴木繁男が戦後の砥部焼の再興に尽力、砥部焼の魅力を生かした絵付けの指導が行われた。現在も鈴木が描いた幾何学模様、草花の模様などの意匠が残っている。また、1956年 (昭和31年) には陶芸家の富本憲吉 (文化勲章受賞) も訪れ、砥部焼の近代的デザインを後押しした。
刺激を受けた若手陶工を中心に、ロクロや絵付けなどの技法向上に取り組み、研究会を作ったり展示会を開いたりと腕を磨いた。

こうした努力が実り、砥部焼は1976年 (昭和51年) に「伝統的工芸品産地」の指定を受けた。現在も、伝統的な技法を受け継ぎながら、新たに女性や若手陶工の手による作品も多数生まれている。

特徴と使われ方

飾り気のないシンプルなラインに魅力があり、描かれるモチーフも自然を手本にしたものが主流。唐草紋、太陽紋、なずな紋などがよく知られている。

ぽってりとした厚みのある独特の形は耐久性があり、日常使いに向いている。割れにくいため食洗機で洗える。また、熱に強いため電子レンジでの加熱も可能。熱が伝わりにくく、手で持っても熱さを感じにくく料理が冷めにくいなど、使い勝手が良い。さらには値段が手頃で、身近な器としての魅力も大きい。

砥部焼 梅山窯

現在の「砥部焼」

1976年には国の伝統的工芸品に指定された。

戦後、抽象作風の影響を受けて、造形面、絵模様などそのデザインに変化があらわれた。女性作家や若手作家による、伝統的な砥部焼の枠を超えた柄や色づかいを取り入れた、新しい砥部焼にも注目が集まっている。

砥部焼
砥部焼

<参考資料・情報提供>
・佐藤隆介 著『日本やきものの旅』講談社(1986年)
・藤原審爾 著『歴史と文学の旅 日本やきものの旅Ⅴ』平凡社(1976年)
・砥部町観光協会
http://www.tobe-kanko.jp/product/tobeyaki/
・砥部焼協同組合
http://www.tobeyaki.org/
・砥部焼伝統産業会館
https://www.town.tobe.ehime.jp/site/tobeyakidentosangyokaikan/densan.html
・日本セラミックス協会
http://www.ceramic.or.jp/museum/yakimono/index.html
(以上サイトアクセス日:2019年12月29日)

<関連の読みもの>
わたしの一皿 ひとつかみの緑のつぶ
https://sunchi.jp/sunchilist/ehime/21944

画像提供:砥部焼伝統産業会館

陶器・磁器

  • 薩摩焼

    薩摩焼

  • 唐津焼

    唐津焼

    窯元めぐりも楽しい「からつもの」の特徴と歴史

  • 常滑焼

    常滑焼

    急須から招き猫まで幅広いものづくり

  • 三川内焼の平皿

    三川内焼

    白い磁器に青い絵柄の染付が印象的な焼き物

  • 瀬戸本業窯の豆皿

    瀬戸焼

    うつわの代名詞にまでなった「せともの」

  • 伊賀 土鍋

    伊賀焼

    三重県伊賀市を中心につくられる耐火度の高い焼...

  • 笠間焼

    関東で最も古い歴史を持つ焼き物

  • やちむん

    やちむん

    沖縄独特のものづくりが今に伝わる