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薩摩焼とは

「白と黒」の器の歴史と現在

薩摩焼

薩摩焼の基本情報

  • 工芸のジャンル

    陶器・磁器

  • 主な産地

    ・鹿児島県鹿児島市 ・鹿児島県姶良市加治木町 ・鹿児島県日置市

  • 代表的な工芸品

    ・白もん (白薩摩) ・黒もん (黒薩摩)

  • 代表的な作り手

    沈壽官窯 (ちんじゅかんがま)

繊細な造形が美しい白薩摩、素朴な味わいの黒薩摩。

白もん、黒もん、と呼ばれ愛されるうつわの背景には、海を隔てた異国の地からやってきた、陶工たちの歴史ドラマがある。

司馬遼太郎が『故郷、忘じがたく候』にもその一部を描いた、薩摩焼400年の歴史と今の姿を紹介する。

薩摩焼とは

薩摩焼とは、朝鮮出兵 (1592~1598年) の際、島津義弘によって連れてこられた朝鮮陶工たちが薩摩藩各地に窯を開いたことに始まる陶器のことをいう。

薩摩焼の古窯跡は50箇所ほどあり、それらは「苗代川 (なえしろがわ) 系」「竪野 (たての) 系」「龍門司 (りゅうもんじ) 系」「西餅田 (にしもちだ) 系」「平佐 (ひらさ) 系」と呼ばれる5つの系統に分けられる。

その中で現在も窯場が残っているのは、「苗代川系」「竪野系」「龍門司系」の3つ。

また、薩摩焼は使われている土の材質から、「白もん」 (白いもの) と「黒もん」 (黒いもの) に大別される。

薩摩焼2つの見方。「白黒」と「3」

上に挙げたように、薩摩焼を知る上では、2つの見方ができる。ひとつは「白」「黒」の材質の違いに着目する方法、もうひとつは、3つの系統に分ける方法だ。

「白もん」は、白薩摩のことを指し、象牙色や淡いクリーム色の器肌に、赤や緑、黄色や紫色などの色とりどりの色味をつかって絵付される。加えて、金彩などを施した華やかさや、ミリ単位で調整する透かし彫りなどの繊細な造形も特徴的だ。

透し彫りの作品を制作中
透し彫りの作品を制作中

一方「黒もん」は、黒薩摩のことを指し、鉄分の多い黒褐色の土が使われている。その他にも、黒や褐色、緑系の釉薬などを使用し、黒っぽく焼き上げている。重厚で素朴な存在感が、黒薩摩の特徴である。

黒薩摩
庶民の日用品として古くから好まれた黒薩摩

鹿児島には鉄分を多く含む桜島の火山灰が降り注ぐため、白土は大変貴重なものであり、白もんは薩摩藩の御用品であった。

一方で庶民は、豊富に採れる黒褐色の土で作った黒もんのみを使用することが許された。

もうひとつの薩摩焼の見方は、「苗代川系」「竪野系」「龍門司系」の3つの系統で見る方法。

薩摩焼の古窯跡は50余ヶ所あり、朝鮮系の「苗代川系」「竪野系」「龍門司系」と、肥前系の「西餅田系」「平佐系」の5系統に分けることができる。このうち、朝鮮系の「苗代川系」「竪野系」「龍門司系」の3系統が現在も残っている。

苗代川系は、当初は薩摩半島の西海岸に位置する串木野窯 (くしきのがま) で焼かれていた。この頃の薩摩焼は、 日用品の黒もんや、「火計手 (ひばかりで) 」と呼ばれる朝鮮から陶工が持参した白い陶土を使った陶器が主だった。

串木野窯から少し南にある苗代川に窯を移したあと白い土が発見されると、きらびやかな装飾が施された白もんが作られるようになった。

竪野系は、鹿児島市北東の帖佐 (ちょうさ) にあった宇都 (うと) 窯という藩窯から始まり、繊細な浮彫や色絵を施した白もんの献上・贈答用の茶陶が作られたことで知られる。

龍門司系は、黒もんに力を入れ、様々な釉薬の技法で徳利をはじめとする酒器や茶陶、日用品などを製作した。

訪ねてきました。司馬遼太郎の作品の舞台となった「沈壽官窯」

薩摩焼の里として知られる鹿児島県東市来町美山 (ひがしいちきちょうみやま) には、十数軒の窯元が点在しており、その中でも代表的な窯元として知られるのが「沈壽官窯 (ちんじゅかんがま) 」だ。

豊臣秀吉による朝鮮出兵 (1592~1598年) の際、朝鮮の陶工たちが日本へ連れて来られた。沈壽官家初代、沈当吉(ちん・とうきち)もその中のひとりだった。

陶工たちは故郷である朝鮮の地に思いを馳せながらも、生きていくために異国薩摩の地で作陶し続けた末、白肌の美しい陶器、白薩摩を生み出した。

沈壽官窯の正面玄関からは日韓の国旗が見える

その末裔の一人である14代沈壽官氏は、半生を司馬遼太郎が短編小説『故郷忘じがたく候』に描いたことでも知られる。作品は数百年たった今もなお変わらず、朝鮮陶工の子孫たちが故郷へ寄せる思いを題材にしている。

14代沈壽官氏は惜しくも2019年に亡くなられたが、陶工としてだけでなく、薩摩焼を通して日韓の文化交流の橋渡し役としても積極的に活動した。

現在15代沈壽官氏がその歴史を受け継ぐ工房では、実際に作陶する様子を見学できる。工房が軒を連ねる美山で窯元めぐりをする際は、ぜひ訪れたい場所だ。

司馬遼太郎と14代がよく語らっていたという縁側
大きな白薩摩に、細かな絵付け作業中。工房には若い職人も多い

<関連の読みもの>
薩摩焼を代表する窯元「沈壽官窯」で手に入れたい白薩摩
https://sunchi.jp/sunchilist/satsuma/47402

実は薩摩焼だけじゃない、鹿児島の「白黒」

実は薩摩焼以外にも、白黒の対になっているものが多い鹿児島。

列車好きの人であれば、鹿児島の「白黒」というと、真っ先に「特急 指宿 (いぶすき) のたまて箱」を思い浮かべるはず。

薩摩半島に伝わる竜宮伝説がモチーフで、白と黒に塗られた車体が白い煙を出す様子は、まさに浦島太郎が開けてしまった玉手箱そのもの。

そのユニークな演出で、子どもから大人までファンが多いそう。

鹿児島にはその他にも「白黒」が数多くあるので、「白黒」を見つけながら旅するのもおすすめだ。

<関連の読みもの>
白黒はっきり鹿児島巡り。旅の秘訣は色にあり?
https://sunchi.jp/sunchilist/satsuma/47265

薩摩焼の歴史

◯ 始まりは安土桃山時代。文禄・慶長の役による朝鮮出兵から

文禄・慶長の役 (1592~1593年・1597~1598年) で朝鮮出兵した際、薩摩藩主の島津義弘が80人あまりの朝鮮陶工を連れ帰る。

1598年 (慶長3年) 、鹿児島の串木野島平 (くしきのしまびら) 、市来神之川 (いちきかみのかわ) 、鹿児島前之浜の3ヶ所に、朝鮮陶工の朴平意 (ぼくへいい) や金海 (きんかい)
らが辿り着き、それぞれが藩内各地で窯を開いたのが薩摩焼の始まりだ。

◯藩の保護と戦略の下、技巧を極める

当時の日本は、朝鮮のような美しい白磁器を生み出そうと各藩が躍起になっていた。朝鮮出兵で多くの朝鮮陶工たちが日本に連れられたのはそのためである。

島津家でも連れ帰った陶工たちに白い器を作るよう命じた。しかしながら朝鮮のような白磁に適した土は鹿児島では見つからなかったため、陶工たちは代わりに白土で陶器を作った。これを島津家に献上したところ大変喜ばれ、薩摩焼と名付けられた。

薩摩藩主であった島津家は朝鮮陶工たちを手厚く保護したかわりに、姓を変更することを禁止し、言葉をはじめ生活様式も朝鮮にいた頃の様式を維持するよう命じた。これには、朝鮮の器づくりの作法をそのまま保存しようとする目的のほか、陶工たちを通訳として起用する狙いもあったと言われている。

また、島津家は陶工たちに完全分業制で薩摩焼を作らせることで、万が一他の藩に陶工が取られてしまっても一部分の技術しか把握できないようにし、作陶技術が盗まれないようにするなど、技術の保護を徹底していたという。

◯明治以後、欧米に輸出。「SATSUMA」としての隆盛

日本政府が初めて公式に参加した万国博覧会が、1873年 (明治6年) に開催されたウィーン万博だ。

このウィーン万博に陶磁器分野で出品した12代沈壽官の大花瓶が絶賛され、薩摩錦手 (さつまにしきで) と呼ばれる色絵の施された陶器は欧米で高い評価を受けた。

以後、薩摩焼のことを指す「サツマウェアー」「SATSUMA」という言葉は、世界中で広く認知されることとなった。

◯薩摩焼が日韓の架け橋に

司馬遼太郎の小説『故郷忘じがたく候』には、14代沈壽官氏が主人公として登場しており、朝鮮出兵の際、朝鮮から連れてこられた朝鮮陶工やその子孫たちの故郷への思いが描かれている。

さらに、14代沈壽官氏は薩摩焼を通して日本と韓国の文化交流の架け橋となり、その偉業が称えられ、1989年には韓国名誉総領事に任命されたのち、2010年には日韓の懸け橋としての活動が高く評価され、旭日章受章を受賞した。

また、薩摩焼は2002年 (平成14年) 1月30日 、国の伝統的工芸品に指定された。

2016年 (平成28年) 11月20日には、厚生労働省により選出される「現代の名工」に、龍門司焼の陶工でろくろ成形を手がける川原史郎氏(鹿児島県姶良市加治木町) が選ばれた。

多様な釉薬の使い分けを特徴とする龍門司焼。川原氏も地元のシラスを使った「黒釉青流し」などの伝統的な技法を受け継ぐ一方で、十数年前には白く濁った肌に黒色の亀裂が入った「白濁蝎(だかつ)」を約100年ぶりに復活させるなど、その功績が評価された。

薩摩焼 おさらい

〇素材

・白土
・火山灰の鉄分を多く含んだ土

〇主な産地

・鹿児島県鹿児島市
・鹿児島県姶良市加治木町
・鹿児島県日置市

〇代表的な種類

・白もん (白薩摩)
・黒もん (黒薩摩)

〇代表的な作り手

「苗代川系」
「竪野系」
「龍門司系」

〇数字で見る薩摩焼

・薩摩焼古窯跡 : 50余ヶ所
・鹿児島県薩摩焼協同組合窯元数 : 38窯元 (2020年5月15日時点)
・伝統的工芸品指定 : 2002年 (平成14年) 1月30日

<参考・協力>
・鹿児島大学法文学部 編『大学的鹿児島ガイド ―こだわりの歩き方』昭和堂 (2018年)
・仁木正格 著 『わかりやすく、くわしい やきもの入門』主婦の友社 (2018年)
・中川重年 監修『調べてみよう ふるさとの産業・文化・自然④ 地場産業と名産品 2』メディアジャパン (2007年)
・やきもの愛好会 編『よくわかる やきもの大事典』ナツメ社 (2008年)
・朝日新聞 14代沈壽官さん死去
https://www.asahi.com/articles/ASM6J5V6ZM6JTIPE00Y.html
・鹿児島県薩摩焼協同組合
http://www5.synapse.ne.jp/satsumayaki/kamamoto.html
・沈壽官窯
http://www.chin-jukan.co.jp/

(以上アクセス日 : 2020年7月27日)

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