300年企業の社長交代。中川政七商店が考える「いい会社ってなんだろう?」
エリア
「工芸の再生請負人」が、300年続く家業の社長を辞めた日。
これは、ある奈良の小さな会社で創業302年目に起きた、13代から14代への社長交代のお話です。
2018年2月13日午後。
年度末を前に、あるメーカーで社員全員を集めた集会が行われていました。
舞台は、株式会社中川政七商店、本社。
1716年に当時の高級麻織物、奈良晒の商いで創業。現在では全国に51店舗を展開する生活雑貨メーカーの本社は、奈良にあります。
会場となった食堂には、奈良本社の社員はもちろん、近隣に独立した事務所を構えるお茶道具部門、東京事務所社員、全国の店舗の店長までが一堂に会し、前に立つ一人の男性の話に耳を傾けていました。
壇上に立つのは、株式会社中川政七商店13代、中川政七 (なかがわ・まさしち) 。
「工芸の再生請負人」と呼ぶ人もいます。
江戸時代から続く家業を継いでのち、製造から小売まで一貫して自社で行う工芸業界初のSPA業態を確立。そのノウハウを生かして2009年より業界特化型の経営コンサルティングを開始。全国の企業やブランドの経営再建を手がけてきました。
2015年に会社としてポーター賞、2016年には日本イノベーター大賞優秀賞を受賞。その取り組みが世間に知られるとともに、いつしかついた呼び名は「工芸の再生請負人」。
そんな「再生請負人」が家業を継ぎ、13代社長に就任したのは2008年のことでした。
「誰も言ってくれへんかったけど、今年で社長就任10周年やねん」
その日、珍しく入社してからの十数年の振り返りからスピーチを始めた13代がふと思い出したようにそう語ると、静かだった会場に和やかな笑いと拍手が起こりました。
この時まだ、社員はこのスピーチの結末を知りません。
なぜ、例年なら決算後に行われるはずの全体集会がこのタイミングで行われているのか。
なぜ、例年になく十年来の思い出話に、社長が花を咲かせるのか。
「工芸の再生請負人」が歩んだ16年
「売り上げでいうと、入社当時の16年前は4億だったのが、今は52億。
激動と言ってもいいような時代でした。大きな成長であり、成功でもある16年だったかなと思います」
13代個人の歴史を振り返れば、2000年、新卒で富士通に入社。2年後の2002年、家業である株式会社中川政七商店に入社。
当時不振だった生活雑貨部門の立て直しに関わる中で、衰退し続ける工芸業界の現状に危機感を抱き、2007年「日本の工芸を元気にする!」というビジョンを発表。翌年、社長就任。
次々と直営店を全国に出店し、新たなブランドを立ち上げ、手がけたコンサルの数は今では全国16社にのぼります。
「300年という歴史からすればわずかな期間ではあるけれど、いろいろな変化を乗り越え、時には自ら変化を生み出してなんとかやってこれたのは、このビジョンがあったからだと思います。
では2018年は、これからの10年はどうしていくのか。それを考えた時に」
そう切り出した社長は幾つかの話をし、最後をこう結びました。
「ではどうするか。変えるしかないよね。
そこで、
社長を交代します。14代は」
その瞬間を、ある人は
「みんなのゴクリ。と唾をのむ音が聞こえた」
と回想します。みんなが唾をのんだのには、突然の発表というほかに、幾つか理由がありました。
奈良の小さな会社の社長交代が持つ意味
まず、中川政七商店は江戸の創業より代々、中川家が家業として経営を担っています。しかし13代は以前から「14代は中川家以外の人間に継いでもらう」と公言していました。
今日、誰に引き継いだとしても、それは中川政七商店が300年続く同族経営からシフトすることを意味していました。
そして固唾をのむ理由がもう一つ。
中川政七商店は2016年に300周年を迎えました。13代はその節目に、中川政七の名を襲名したばかり。
襲名からわずか2年。年齢も43歳と経営から退くには早すぎる、という人もあるはずです。なぜ、このタイミングで。
誰が14代を引き継いだのか、という話の続きは少し先に置いておいて、まずは社長交代という決断の背景を後日、13代本人に伺いました。
入社当時から決めていた、「中川商店」からの脱却
まず、同族経営でない選択をしたことについて、迷いはなかったのでしょうか。
「入社した時から14代は中川ではない人間になってもらいたいと思っていました。
当時はまだ『中川商店』という感じで、家の用事が業務に紛れ込んでいるようなこともありました。
それは嫌だったし、何より中小企業は借金があると、社長が個人保証をしない限り銀行はお金を貸してくれません。それでは同族で代を継承していくしかない」
「中川家以外の人に引き継げる状態というのは、つまりは個人保証のいらない経営状態になるということ。財務的によくするという意味も含めて、『ちゃんとした会社にしたい』と思っていました」
社長就任より前、入社当時からすでに心に決めていたという同族経営からの脱却。
軽やかに変化を決断した13代ですが、バトンを受け継ぐ側にすれば、そののれんの重みは計り知れないものです。
のれんの重み
徳川幕府から「南都改」の朱印を受け御用品指定され、千利休も茶事に愛用したという高級麻織物、奈良晒の商いで1716年に創業。生地は武士の裃や僧侶の法衣に重用されていました。
最大の需要である武士を失った明治にあっても品質を守り、新たに開発した汗取りは皇室御用達の栄誉を受けます。
大正14年には、パリ万博に繊細な麻のハンカチーフを出展。
昭和に入ってお茶道具業界への参入、現在の小売業の礎となる「遊 中川 本店」を開店。
そして平成に入り、13代がバトンが受け継いで迎えた300周年。
この江戸から脈々と守り継がれてきたのれんを託すのに、一体どんな人がふさわしいと考えていたのでしょうか。
社長の条件
「次期社長に必要だと考えていたのは、人望とバランス感覚です。
社長に限らず人の上に立つ人は人望がなきゃいけない。自分の経験の中でも、それは痛いほどよくわかります。
ここ数年で会社も直営店数が50店を超え、社員もどんどん増えてきました。
バランス感覚というのはそういう、会社の規模がある程度大きくなってきた時に、とても重要な力です。ではバランス感覚とは何かと聞かれると、ちょっと言い換えるのが難しいのですが」
「組織の規模が大きくなるほど、全ての分野に対して自身がスペシャリストとして精通しているという状況は難しくなる。そういう時に求められる力です」
ピークでの交代
それでは、なぜこのタイミングだったのでしょうか。300周年を迎え、ビジネス界で権威ある賞も連続して受賞。まさに経営者として「脂が乗った」このタイミングで。
「人間も年を重ねれば体力的、精神的限界が出てきます。だからピークの時に交代しなきゃいけないと思っていました。経営者としてベストの状態で引き継げるように。
と言っても個人の能力的には、まだ伸ばしていけるかなと思っているけれど (笑) 」
今回の社長交代宣言。
実は13代がこれから全力をあげて取り組むと語る「もう一つの宣言」と、対になっていました。
話は、13代が社員全員にトップ交代を告げる数分前、「これからの10年をどうするのか」と切り出したところに遡ります。
『産業観光』と『産業革命』
「これからの10年をどうするのか。『産業観光』と『産業革命』が、今後の工芸業界のキーになってくると思います」
「産業観光」とは、人がものづくりの現場を旅して、産地の食や文化丸ごと工芸の魅力に触れる新しい観光のかたち。
「産業革命」とは、分業制が常だったものづくりの工程を産地全体で統合し、最新の技術も取り入れながら製造の革新を図っていこうというもの。
どちらも300周年の節目から、13代が掲げてきたスローガンです。
「新しい伝え方と作り方。その両方がないと、日本の工芸は生き残っていけないんじゃないかと思います。
中川政七商店がこの一大ムーブメントを起こしていくべき場所はまず、本拠地である奈良です」
世界に響き渡る、奈良ブランディングのために
「全国の工芸メーカーに対して経営コンサルができてきたのも、自社が立ち直って、それをモデルケースにできたから。それと同じです。
何をするにもまず自分でやってみる。
それを誰よりもうまくやる。
それを見て、他の人たちがそれに続くんです」
実は2年前の「中川政七」襲名披露の壇上で、13代は「今後10年、地元・奈良に力を注いでいくこと」を宣言していました。
「言ったからには、想像を超えていく奈良ブランティングをやる。
20年前は誰も知らなかったポートランドが、今や世界的に有名な都市になったように、世界にその名が響き渡るほどの圧倒的な奈良を見せなければいけないと思っています」
ここから、話はいよいよもう一つの本題へと向かっていきました。
いい会社とは何か?
「わざわざ人が来たくなるには、土地にいいコンテンツが必要です。
いいコンテンツを作るには、行政ではできないことを成し遂げていく、いい会社がたくさん必要です」
ではいい会社とは何か?
「いい会社は、100年もつ会社です。100年もつために何が必要か。それはいいビジョンといい企業文化だと思います」
ビジョンとは向かうべき遠くの目標、そこに向けてどうやって歩んでくのかが、企業文化だろうと13代は語ります。
「その視点で見ると、中川政七商店には自分たちが熱くなれる、人に喜んでもらえるいいビジョンが確かにある。では企業文化はどうか?
言い切るのは難しいところですが、礎は作ってこれたのかなと。
一つには変化に適応する力。
もう一つには適応するために学び続ける姿勢。
ただ、まだまだ足りないと思うところもあります」
「日本の工芸を元気にする!」というビジョン達成のためにあるべき、企業の姿、社員の姿。
描く理想はあり、社内に発破はかけながらも、商品開発やブランド収支など現場の運営から離れていたここ数年は、手詰まりを感じていたといいます。
「どうするか。変えるしかないよね。
一番嫌なのは、うまくいかないことを愚痴っぽく言っているだけの状態です。
うまくいかないことは変える。
で、新社長はこの人にやってもらおうと思います。交代です」
軽やかに新社長の名前を13代が読み上げ始めると、おおおっという声が会場全体を包みました。
名前を呼ばれたのは、7年前、中川政七商店のものづくりに惹かれて転職してきた、ひとりの女性。
次回、マイクを手渡されたその人に、話の続きを伺います。
後編はこちら:「トップダウンから最強のチームワークへ。中川政七商店302年目の挑戦」
文:尾島可奈子