中川政七商店の謎を解く、6つの問いと1つの答え

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「中川政七商店って何をしている会社なの?」

ときおり、そんなご質問をいただくことがあります。

雑貨屋さん?メーカー?ふきん屋さん?

中川政七商店は1716年、麻織物の商いで奈良に創業しました。300年の歴史の間に、ものづくり、販売、工芸メーカーの再生支援、合同展示会の主催やまちづくりと、一見すると「なぜメーカーが?」と思うような取り組みもしています。掲げるビジョンは、「日本の工芸を元気にする!」。これも、いちメーカーの掲げる旗印としては、ちょっと変わっているかもしれません。

どうして生活雑貨のメーカーが、他社の再生支援を?合同展示会やまちづくりを?「日本の工芸を元気にする!」ってどういうこと?

今日は、そんな中川政七商店の謎を解く6つの問いにお答えしながら、「中川政七商店ってどんな会社?」を改めて自己紹介していきたいと思います。




【中川政七商店にまつわる6つの問い】

一、老舗ベンチャーと呼ばれます
二、300年間、ひとつだけ変えていないこと
三、「たかがふきん」がグッドデザイン賞を受賞できた理由
四、なぜノウハウを共有するの?工芸メーカーの再生支援をする理由
五、いちメーカーが合同展示会を主催する理由
六、なぜ、中川政七商店がまちづくりを?

一、老舗ベンチャーと呼ばれます

創業から300年のあゆみや近年の取り組みを知った方から、私たちは「老舗ベンチャー」と呼ばれることがあります。言い換えると、これは300年間、常に変化を続けてきた証です。

江戸中期、中川政七商店は高級麻織物「奈良晒」の最盛期に卸問屋として創業しますが、明治に入ると最大の顧客である武士を失って産業が衰退し、廃業寸前に。そんな中、歴代当主たちは皇室御用達の栄誉にあずかる製品づくりや、工場の新設、担い手の育成など、常に新しいチャレンジで逆境を乗り越えてきました。12代巌雄は減少した麻生地の需要を生み出そうと、茶道具や麻小物づくりに活路を見出し、これが現在の生活雑貨メーカー・中川政七商店の第一歩につながります。

中川政七商店が300年、変わらず続いてきたのは、その時々の困難に立ち向かい、「変わり続けて」きたからこそと考えています。

二、300年間、ひとつだけ変えていないこと

実は、300年の歴史の中で、変えなかったものもあります。

それが、創業当初から守り続けている、手績 (う) み手織りの麻生地づくり。製造工程の一部を海外へ移しながら、いまも江戸時代の奈良晒と同じ製法で作り続けています。機械化して奈良でつくる選択肢もありましたが、11代巖吉は「手しごとから生まれる独特な風合いを守る」ことにこだわりました。

野を焼き、苧麻を育て、数か月をかけて糸を績む。その髪の毛ほどの細さの糸を織り、晒し、染め上げ、麻が生地になるまでには2年近くの月日がかかります。そこからまた多くの人の手を介して、かばんや小物などの麻製品が生まれます。

ときに気の遠くなるような、手しごとからしか生まれないよさがある。そう信じて「手績 (う) み手織り」を続けてきたことは、中川政七商店の誇りです。

三、「たかがふきん」がグッドデザイン賞を受賞できた理由

中川政七商店のものづくりを象徴するアイテムといえば、「花ふきん」です。

奈良の一大産業だった蚊帳。その生地の吸水性、速乾性を生かしたふきんは、2008年にはグッドデザイン賞金賞を受賞。

約30年続くロングセラー商品の誕生のきっかけは、衰退しつつあった地元・奈良の蚊帳生地づくりを前に「なくしたくない」「何かに生かせないだろうか」と芽生えた気持ちでした。

日本にはかつての奈良晒のように、今まさに失いかけている工芸が数多くあります。

もともと工芸が暮らしの中で使われてきたものならば、時代の変化で使いづらいところは使いやすく、生かし方を変えていくことで未来に残せないだろうか。そんな今の暮らしの視点を大切に、全国800以上のつくり手達と協業しながら自社ブランドのものづくりに取り組み、全国60の直営店を通じて工芸の魅力を伝え続けています。

四、なぜ、ノウハウを共有するの?工芸メーカーの再生支援をする理由

「もう会社を畳みます」。そんな廃業の挨拶が、年に何件もあったと13代政七は振り返ります。工芸は分業制。「このままでは、うちのものづくりもできなくなる」。そんな危機感から、工芸の再生支援は始まりました。

決算書の見方から商品設計、年間の製造計画まで自社のノウハウを共有し、ブランドを生み出す。「どうして、自分たちの大切なノウハウを他メーカーに共有するの?」と聞かれますが、その産地で一つ輝く企業が生まれれば、きっと周りも真似したくなる。産地が元気になるきっかけとなるはずです。

初の事例である長崎県・波佐見焼のマルヒロは、自社ブランド「HASAMI」が大ヒットし、波佐見の町も、ここ数年で人気の産地になりました。現在、日本全国300産地が元気になる未来を目指して、50近い再生支援を続けています。

五、いちメーカーが合同展示会を主催する理由

「ついに注文とれました!」そんな声が飛び交うのは、中川政七商店が主催する合同展示会「大日本市」会場。工芸の再生支援で誕生したブランドや日本各地のメーカー約50社が集結します。

つくり手が元気になるためには、「欲しい」と思う人にしっかり届く、流通の出口が大切です。かつて中川政七商店が販路を開拓しようと考えたとき、出展したいと思える展示会になかなか出会えませんでした。

ないなら、自らつくる。本当の意味で全国の工芸メーカーが自立し、事業を継続していくために、つくり手それぞれが意思をもって売り手や使い手と向き合う場をつくりたい。そんな思いからはじめた大日本市会場に、今では全国から約3000名のバイヤーが訪れます。

六、なぜ、中川政七商店がまちづくりを?

工芸が元気になることは、産地が元気になることとセットです。工芸の再生支援第一号のマルヒロのケースでは、産地に魅力的な場所ができたことで訪れる人が増え、地域のなかにカフェや雑貨店ができ、泊まりがけで訪れる旅行者が増えて…といい循環が生まれはじめています。

工芸再生のために産地を元気にする。

その第一歩として、創業の地である「奈良」を元気にする取り組みを始めました。「N.PARK PROJECT」と題して、2021年春には自社で初めてとなる複合商業施設がオープンします。ここを起点に工芸や食、宿など、新たな魅力が奈良に生まれて輝けば、全国の街のモデルケースになるかもしれません。奈良を元気にして、「日本の工芸を元気にする!」。私たちはそんな思いから、地元・奈良のまちづくりをはじめました。

七、全ては、日本の工芸を元気にする!ために。

老舗ベンチャーと呼ばれる理由。300年間、変えていないこと。「たかがふきん」がグッドデザイン賞を受賞できた理由。なぜ、工芸の再生支援や、合同展示会をしているのか。なぜ中川政七商店がまちづくりを始めたのか。

一見バラバラなパーツのようですが、全ては「日本の工芸を元気にする!」というビジョンにつながっています。少し遠回りなようでも、今日より明日、今年より来年、自社だけよりも、他のつくり手と、他の産地と一緒に。日本の工芸が元気になる未来を目指して、私たちは歩み続けます。

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