沖縄のうつわ、やちむんの魅力と歴史を豆皿から知る
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特集「産地のうつわはじめ」から、沖縄「やちむん」をご紹介
使いこむほどに親しみ深い沖縄の「やちむん」
「やちむん」とは、琉球の方言で「焼き物」をあらわす言葉。
厚みのある手取りと素朴な佇まいには、独特の安定感があります。どんな料理でもどっしりと受け止め、使いこむほどに親しみが増していくうつわ。そんな「やちむん」の魅力は、沖縄の風と土から生まれた自然の贈り物といえるのかもしれません。
琉球王朝時代に開かれた壺屋焼
やちむんを代表する壺屋焼(つぼややき)は、沖縄県那覇市壺屋地区や読谷村(よみたんそん)などで焼かれる沖縄を代表する陶器をいいます。
琉球王朝が海外と盛んに交易をしていた14世紀から16世紀ころ、中国や南方諸国の陶磁器が豊富に持ち込まれ、各国の焼き物技術が伝えられました。
17世紀、琉球王朝が産業振興の目的として、沖縄各地に分散していた窯場を市街の一角に固め、「やちむん」と呼ばれる焼き物街をつくりました。これが壺屋焼の始まりといわれています。
素焼の「荒焼(あらやち)」と施釉の「上焼(じょうやち)」
壺屋焼には大きく分けて「荒焼(あらやち)」と「上焼(じょうやち)」の2種類があります。
「荒焼」は南蛮焼ともいわれ、釉薬をかけずに1000度前後で焼き締めたもので、陶土の生きた表情が魅力的です。
沖縄の焼き物の主流とされる「上焼」は、陶土に白土をかぶせて白化粧や唐草文、点打などの絵付けをし、1200度以上の高温で焼き上げます。いずれも日常生活用品として、人々の暮らしを支えています。
共同体による「やちむんの里」構想
沖縄が日本に返還された1972年、全国的にも社会問題となっていた公害対策のため、那覇市では薪窯の使用を禁止。住宅密集地でもある壺屋地区ではガス窯への転換を余儀なくされ、壺屋焼は存続の岐路に立たされました。
そのころ、基地返還された土地の活用を模索していた読谷村は、「ゆいまーる(沖縄の方言で相互扶助の意味)」の精神に基づく「やちむんの里」構想を立ち上げ、薪窯の設置にも柔軟に対応し、積極的に窯元の誘致を行ったそう。
原料となる陶土が良質で豊富だったことも後押しとなり、賛同した陶工たちは、読谷村で共同の登り窯を築きました。
現在、読谷村には数十件の窯元が集まり、薪を使った登り窯の伝統を受け継ぎます。一方、壺屋地区の窯元では釉薬による新たな可能性を探求し、それぞれに「壺屋焼のいま」を感じていただけます。
昔ながらの製法で伝統的な模様を描く「陶真窯」
読谷村座喜味(ざきみ)に窯を置く「陶真窯(とうしんがま)」は、独特の赤絵や染付け・魚紋・イッチンを得意とする窯です。
若手を中心に「常に新しいものを」を合言葉に琉球のやちむん普及に取り組みます。
昔ながらの製法の釉薬で描かれた伝統的な3種類の模様。唐草・縞・水玉の豆皿からは、琉球の風土に包み込まれるような、懐かしさが漂います。
豆皿の写真は、お料理上手のTammyさんが撮ってくださいました。他にも普段の食卓のコーディネイトの参考になるような写真がたくさんあります。Instagramも、ぜひ覗いてみてください。
文:中條美咲
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