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江戸小紋とは

距離感の楽しみ方を、江戸っ子たちは知っていた

江戸小紋のスカーフ

江戸時代から伝わる染めもの「江戸小紋」。繊細な文様が特徴の「江戸小紋」には当時の人々の美意識が色濃く反映されています。

江戸っ子たちの愛した「粋」が詰まった「江戸小紋」はどのようにして生まれたのでしょうか。その歴史を辿ってみましょう。

江戸小紋とは

江戸小紋の着物
江戸小紋の着物

江戸小紋とは、江戸時代に発展した型染めのことをいう。紺や茶など、渋い色味に白抜きの模様を染めることで細微な柄を映し出す。

染色には多くの水を必要としたことから、水が豊富な神田川流域を中心に生産されていた。明治・大正時代に入ると、江戸川橋や早稲田、戸塚周辺から高田馬場へも広がり、それらの地域一帯は現在でも染め屋の集散地として栄えている。

◯相手との距離感で「見え方」が変わる不思議な織物

繊細な模様が施された江戸小紋
繊細な模様が施された江戸小紋

遠目だと一見無地にも見える江戸小紋の秘密は、繊細な模様づけの技法にある。

例えば、1寸 (約3センチ) の幅に26本もの線を描く「玉縞」や23本の線が入る「二ツ割」といった縞模様は、手にとってはじめて模様を確認することができるほど細かだ。

このような繊細な模様づけは、型彫りされた型紙を布の上に置き、少しずつ染めていくという綿密な作業によって実現されている。

型紙のサイズはわずか20センチほどだという。それを生地の上にわずかのズレも許さずに一枚ずつ置いていき、模様を写していくのだ。

江戸小紋の豆知識

江戸小紋の製作工程の様子
江戸小紋の製作工程の様子

◯実は大紋も中紋もある

型紙に彫られた型をもとに染め模様をつくり出す「型染め」。小紋はその代表格だが、実は小紋があれば、大紋・中紋もある。中でも小紋が知られるようになったきっかけは、江戸時代中期、武士の裃 (かみしも) に小紋が用いられるようになったこと。

江戸初期までの裃は自由な色彩で大柄な模様が主流だったが、江戸時代中期以降は黒、藍、茶などの無地となり、いくつもの小紋の柄が生み出され普及するようになったのだ。

◯武士の誇りと町人の遊び

武士の裃に使用される小紋は「定小紋」と呼ばれ、徳川将軍家や諸大名などが特定の文様を独占して使用していた。例えば、徳川家は「松葉」や「御召十」、佐賀鍋島家の「胡麻柄小紋」や薩摩島津家の「鮫」など様々な種類が存在した。

武家から発展した小紋は次第に庶民の間にも広まったが、定紋のように庶民が使用を禁じられているものもあった。そこで、庶民は武家の小紋とは異なる独自の模様を生み出していった。

露芝や桜、梅、吹雪を始めとする自然から着想を得たものや、魚に包丁、辰の字など、日用品や文字柄に至るまで様々な文様が江戸の庶民によって作り出されたのである。

◯着物だけじゃない、身近にある江戸小紋のデザイン

江戸小紋のスカーフ
江戸小紋のスカーフ

江戸小紋のデザインは着物のみならず、新聞の見出し地紋や洋服の布地、壁紙など、現在でも私たちの生活を彩るさまざまなものに使用されている。

また、古典的な文様は諸外国でも高く評価されている。

<関連の読みもの>
新宿の染物屋が考える着物の未来。なにを本当に残すべきなのか
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/101110

江戸小紋の歴史

◯奈良時代にはすでに型染めの源流が

型染めの歴史は奈良時代にまで遡る。

「摺絵」 (すりえ) は、木版に染料や顔料を塗り、布に擦り付けて模様をつけるというシンプルな型染めの技法で、奈良時代から用いられていた。鎌倉時代に入ると、そうした型染めの手法が衣服の染色手法に応用され、その後の江戸小紋の源流となった。

◯武士の「フォーマル着」として発展

江戸時代に入ると、武士のフォーマルウェアとして裃が用いられるようになる。

江戸時代初期は鎌倉時代からの名残で自由な色彩の大柄な模様が多くみられたが、江戸時代中期になると落ち着いた色味の無地か小紋に移行していった。

もともと着物文化の中心地は京都であり、京都で作られた着物を江戸に運んでいた。しかし、染物の需要増加や江戸の都市発展に伴い京都の職人たちが江戸に移動するなど、江戸にも着物工房が増えていった。

◯町人の遊び心で、柄が多様に

江戸時代中期には庶民の間にも小紋が広まり、庶民は武家の小紋とは異なる独自の模様を生み出すこととなった。

植物や鳥といった自然のものや、扇などの生活用品をモチーフにしたもの、さらには亀甲や麻の葉といった伝統文様も小紋に用いられ、江戸町人の自由な発想であらゆる美しさが小紋の柄として表現された。

◯広く染小紋として着物の柄に

明治時代になると、身分制度の廃止により女性の着物としても小紋が親しまれるようになった。さらに、大正時代には清流を求めて神田川周辺、新宿区早稲田や落合周辺に染色関係者が集まり、今でも江戸小紋などを手掛ける染色産業地帯として栄えている。

◯人間国宝の誕生と「江戸小紋」の命名

1955年 (昭和30年) には江戸小紋の作り手として初めて小宮康助 (こみや・こうすけ) が重要無形文化財保持者(人間国宝) に指定される。これを機に伝統的な小紋が「江戸小紋」と名付けられた。

当時、型紙を用いて染色を行う数多くの染物に小紋という同一名称が使用されていたが、人間国宝の誕生とともに、江戸時代に武士の裃から発展した伝統的な小紋が「江戸小紋」として区別されるようになったのである。

ここで見学できます

東京染ものがたり博物館

染色の技法や作品の歴史を受け継ぎ、博物館でありながら工房活動を見学することができる。

〒169-0051
東京都新宿区西早稲田3-6-14
03-3987-0701

<関連の読みもの>
新宿の染物屋が考える着物の未来。なにを本当に残すべきなのか
https://sunchi.jp/sunchilist/tokyo/101110

江戸小紋 おさらい

◯主な産地
神田川周辺、新宿区早稲田や落合周辺

◯誕生
江戸時代

◯数字で見る江戸小紋
・組合員数 : 東京都染色工業協同組合 22工場 (うち小紋会16工場、浸染会6工場)
・国指定伝統工芸士 東京染小紋 (江戸小紋) : 19名 東京無地染 : 3名
・東京都指定工芸士 東京染小紋 (江戸小紋) : 8名 東京無地染 : 5名 江戸更紗 : 3名

<参考>
富田篤 著 「伝統的工芸品東京染小紋と小紋染め」日本シルク学会シルクシンポジウム2007 講演要旨
中江克己 著 『日本の伝統染織辞典』東京堂出版 (2013年)
三宅和歌子 著 『日本の伝統的織りもの、染めもの』日東書院本社 (2013年)
東京都染色工業協同組合
http://www.tokyo-senshoku.com/some/index.html
(以上サイトアクセス日 : 5月17日)

<協力>
東京都染色工業協同組合
http://www.tokyo-senshoku.com/some/index.html

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