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播州織とは

世界が認める品質の先染織物。シャツやストールなどを支えた歴史

播州織のストール

播州織の基本情報

  • 工芸のジャンル

    染物・織物

  • 主な産地

    兵庫県

兵庫県の北播磨地域で生産されている播州織。自然な風合いと豊かな色彩が特徴で、糸から染る先染めの綿織物としても知られています。

長きにわたり愛され続ける、播州織の魅力に迫ります。

※彩り鮮やかな播州織のストール

<目次>
・播州織とは
・ここに注目。世界のトップブランドも認める一大産地
・播州織の歴史
・現在の播州織
・ここで買えます、見学できます
・播州織のおさらい

播州織とは

播州織とは、日本列島のほぼ中央に位置する兵庫県西脇市を中心とした、北播磨地域で生産されている織物である。

北播磨地域には加古川・杉原川・野間川の3つの川があり、染色に適した軟水が容易に手に入ったことから織物業が発展した。

同地域は、あらかじめ染め上げた糸で生地を織る先染織物 (織った後に染めうのは後染めという) の日本最大の産地を形成しており、カッターシャツやストールなどの薄手の衣料生地を得意としている。

ここに注目。世界のトップブランドも認める一大産地

播州織は、先染めの綿織物の全国シェアおよそ58% (2018年)を占める。多くはシャツやブラウス、ストールなどのファッションアイテムに用いられ、その品質の高さで国内のみならず海外からも高い評価を受け、世界的ブランドの生地にも採用されている。

播州織の生地の多くは、そこから衣類メーカーやブランドに渡り製品となるため播州織の名が表に出てくることは稀だが、我々の身の回りの衣類・雑貨にも多く使われている、縁の下の力持ち的な存在だ。

播州織の歴史

播州織のシャツ
播州織のシャツ

◯産地の始まりはひとりの宮大工から

播州地方での織物の歴史は、1700年代はじめに温暖な気候を活かして綿花が栽培されるようになったことにはじまる。

この綿花は売り買いのためではなく、地元の人々の生活衣料を作るためのものであった。

産業としての播州織のおこりは、1792年 (寛政4年) 。比延庄村 (現・西脇市比延町) の宮大工、飛田安兵衛が京都・西陣から織物製作の技術を導入したのが契機とされ、これが農家の副業として普及していった。

江戸時代末期には工場制手工業の段階に達し、産地として発展する。明治の初めには西脇・多可地方の機業家は約70戸に達し、藍染を中心とした植物染料を用いた織物の生産が中心に行われていたことが分かっている。

◯組織化が始まり発展。第一次黄金期へ

1892年 (明治25年) には多可郡縞木綿業組合が設立。産地の組織化がはじまる。この頃、播立と呼ばれる浴衣地が人気を集め、播州織の代表作となっていた。

大正時代に入り鉄道が開通すると、輸送力の強化により都市部での消費が拡大し、全国に播州織の名が広まることとなる。また高級品であった純毛ネルを大衆化した綿ネルが開発され、播立と並んで播州織の代表作となった。

第一次世界大戦までは国内向けが中心であったが、関東大震災で輸出の中心が横浜港から神戸港に変わったことも影響し、戦後は輸出向けに転換する。この頃、播州では多種多様な製品が生産され、業者数・生産額共に飛躍的に増大した。

1934年(昭和9年) には2億6百万平方ヤールと戦前の最高を記録するなど、一大輸出産地として第一次黄金時代を築くこととなったのである。

◯戦時中とガチャマン時代

第二次世界大戦中は企業整備により多くの関係施設を供出することになり、織機台数は40パーセントまでに減少する。

しかし、需要均衡維持のための物資統制や生活物資の不足によりインフレが発生したことから物価は高騰し、綿織物などの衣料品は高値で取引されるようになった。

さらに、新製品の開発やアメリカ市場の開拓による販路拡大により、産地はガチャマン景気と呼ばれる好景気を迎える。これは「ガチャッ」と織機が1回音をたてると1万円儲かるといわれたことに由来しており、空前の好況時期であった。

◯国内市場の拡大へ

だが、好景気は長くは続かなかった。昭和40年代のドルショックやオイルショック、1985年 (昭和60年) のプラザ合意以降の急激な円高の影響で、産地は大打撃を受け厳しい状況に立たされた。

このため従来の方針を変更し国内市場の拡大に力を注ぐようになり、1990年代からは国内向けの比率が高まった。その後もバブル景気の崩壊や安価な海外製品の流入により、織物業にとって厳しい事業環境が続いている。

現在は市場の多様なニーズを踏まえた多品種・小ロット・短納期に対応できる体制づくりや、ブランド化・産地組合組織の一本化などが進められ、播州織の活性化に向けた様々な取り組みが展開されている。

現在の播州織

織った生地の多くがそこから衣類メーカーやブランドに渡って製品となるため、なかなか表に名前が出ることの少ない播州織。

縁の下の力持ちとして日本の衣類を支える播州織の魅力を知ってもらおうと、「播博 〜播州織産地博覧会〜」が2018年から毎年開催されている。

多くの人で賑わう播州織産地博覧会
多くの人で賑わう播州織産地博覧会

会場では播州織の生地をはじめ、服や雑貨などが販売される。

また、街なかをめぐるスタンプラリーやワークショップなども開催され、播州織の魅力をたっぷりと味わえるイベントとなっている。

ここで買えます、見学できます

主要産地である兵庫県西脇市にある「播州織工房館」では、常時、播州織のアイテムを実際に手に取ることができる。

木造の織屋工場跡をリノベーションした館内では、布などに加え、播州織のストールや扇子・布などの他にも、播州ジーンズなどのオリジナル商品も展示・販売されている。日曜日には大型織機の実演もあり、播州織を身近に感じられるスポットだ。

播州織工房館
http://www.umekichi-tmo.jp/kouboukan/

播州織のおさらい

ジャカード織りと呼ばれる技法で作られた、播州織の美しいハンカチ
ジャカード織りと呼ばれる技法で作られた、播州織の美しいハンカチ

◯素材

播州織は、綿花から取れる綿を中心とした細番手の織物である。事前に染められた糸を使用して織り上げられ、糸の染色方法はたて糸専用のビーム染色と、たて糸・よこ糸の染色に用いられるチーズ染色の2種類がある。

自然な風合いや色合い、肌触りの良さが特徴で、洋服をはじめとしたさまざまな製品に加工されている。

◯主な産地

北播磨地域 (西脇市・加西市・加東市・多可郡)
自然豊かなことや、織物に欠かせない上質な水に恵まれていたことが発展の理由とされている。

◯代表的な技法

先に糸を染め、その染め上がった糸で柄を織る先染め法を用いている。様々な色の糸を使用して織り上げることにより、豊かな色彩を持った変化に富んだ布ができ上がることが特徴である。

◯数字で見る播州織

・誕生:1792年
・従事者 (社) 数:151社 (2019年)
播州織工業組合 (織布) : 133
兵庫県繊維染色工業協同組合 : 6
播州織整理加工協会 : 2
その他準備工程
・先染綿織物シェア率(占有率):約58% (2018年1〜12月)

<参考>
西脇市観光協会「じゆうな布播州織」2018年

https://www.hyogo-ebooks.jp/bookinfo/%E3%81%97%E3%82%99%E3%82%86%E3%81%86%E3%81%AA%E5%B8%83%E6%92%AD%E5%B7%9E%E7%B9%94/

藤田浩之 著「播州織の変遷と現状」『繊維学会誌』52巻5号社団法人繊維学会、1996年
https://www.jstage.jst.go.jp/article/fiber1944/52/5/52_5_P222/_article/-char/ja
播州織
http://www.banshu-ori.com/index.html
播州織産元協同組合
https://www.banshuori.com/
播州織工房館
http://www.umekichi-tmo.jp/kouboukan/index.html
播州織工業協同組合
http://ban-ori.com/BokBanshuoriHistory.php
西脇市ホームページ
https://www.city.nishiwaki.lg.jp/kankotokusan/jibasangyo/bansyuori/1355896832921.html
(以上サイトアクセス日:2020年6月3日)

<協力>
公益財団法人 北播磨地場産業開発機構
https://www.banshuori.com/

<画像>
桑村繊維株式会社
https://www.kuwamura.co.jp/

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