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小代焼とは

雪のような白と思わぬ文様を楽しむ 

小代焼

雪の降ったような白。

日本民藝館三代目館長であった柳宗理はある焼き物をこう賞賛しました。

肥後藩の御用窯として、茶人や武士といった人々に愛用され、現代でも日常の食器として広く用いられている小代焼。

今回はそんな小代焼の特徴や歴史をご紹介します。

小代焼とは。釉薬の二重掛けが生み出す表情

小代焼とは、熊本県玉名郡南関町や荒尾市など、熊本県北部で約400年前から焼き続けられてきた陶器。荒尾市の東に位置する小岱山 (しょうだいさん) の麓から採れる陶土を原料としていることから、小岱焼と言われることもある。

色により青小代、黄小代、白小代と分けられ、どれも素朴かつ力強い味わいがある。肥後藩の御用窯として茶陶器が作られたほか、日用の雑器も作られ、その芸術性が高く評価されている。

ここに注目 その1)「雪の降ったような美しい白」

小代焼に使用される陶土は花崗岩質で鉄分が多く耐火度があるため、1220〜1300度近くの高温で焼く。同じ釉薬を施しても、窯の中の温度差により色が消えてしまったり生焼けになってしまうため、耐火度の違う釉薬を使用したり、釉薬の耐火度に合った窯内の温度の場所での焼成が求められる。

そこで小代焼で行われるようになったのが、釉薬の二重掛け。

中でも藁灰釉 (稲穂を燃やしてできる灰を原料に用いる)を掛けた上に、稲の籾殻を利用した籾殻灰釉を掛けて表す「白」を有名にしたのが、工業デザイナーで日本民藝館三代目館長であった柳宗理。

溶けずに残った籾殻灰釉は焼成後に白く浮かび上がり、この雪が降ったような文様を、柳宗理は「雪の降ったような白」と絶賛した。

ここに注目 その2)思わぬ文様の面白さ

同じ釉薬をかけ、同じ窯で焼いた小代焼。同じ条件下でも模様に差が出るのが面白い

小代焼では、まず藁灰釉などを全体に掛け、さらに柄杓で別の釉薬を打ち掛けて模様を表す、流し掛けが有名である。

掛け方や濃度によって、焼成の間に釉薬の一部が消えかかり、焼きあがったときに自由奔放な模様が現れる。同じ形のうつわに同じ釉薬をかけて焼いたとしても、釉薬のかけ方、窯の中の場所の温度などにより、二つとして同じものはできない。

小代焼の歴史

熊本県玉名郡南関町にある小代焼瀬上窯跡
熊本県玉名郡南関町にある小代焼瀬上窯跡

◯はじまりは二人の陶工から

小代焼の歴史は古く、はじまりは江戸時代初期の1632年。豊前国 (現在の北九州地方) を治めていた細川家が肥後へと国替え (※1) された際に、上野焼の陶工だった牝小路源七 (ひんのこうじ・げんしち) と葛城八左衛門 (かつらぎ・はちざえもん) の二人が同行。細川家より焼物師を命じられ、小代山 (現小岱山)の麓に登り窯を開いた。 (当時、上野焼陶工は藩外へも自由に移動ができたことから、二人が自ら肥後へ移ったともいわれている。)

※国替え

国司が担当する任地を変えてもらうこと

牝小路源七は丹後国 (現在の京都) 、葛城八左衛門は豊前国出身の陶工だったといわれているが、朝鮮からの帰化人とする説もある。

◯茶陶から日用の道具へ

小代焼では肥後・細川藩の御用窯として茶陶をつくる一方、日用雑器も焼かれた。特に、江戸時代後期になると壺や甕、徳利、湯たんぽ、味噌漉し、蒸かし器などのさまざまな日常の道具が作られるようになった。

これらは当時、「五徳焼 (ごとくやき) 」や「松風焼 (まつかぜやき) 」といった名前で呼ばれていた。五徳焼の五徳とは、腐敗しない・生臭さが移らない・湿気を呼ばない・毒を消す・延命長寿の5つの徳があるということをキャッチコピーにした、販路拡大の名称のようなものだった。また、松風焼の松風は、南関町の肥後と筑後の国境に設けられた関所の名称「松風の関」から用いられた。

江戸時代の小代焼は他藩で使われた形跡がほとんどないことから、主に肥後藩内のみで使われていたことがうかがえる。1836年 (江戸時代後期) に小代焼の増産のためにつくられた殖産窯である瀬上窯ができるまでは、生産規模も限定されていた。このように他国への流出や接触が少なかったこと、生産量の少なかったことなどが、藁灰釉を用いた流し掛けの手法が、現代までほとんど変わることなく受け継がれてきた要因の一つだと考えられている。

◯民藝運動の中での小代焼

明治維新の後、藩の庇護がなくなったことで小代焼は衰退してゆくが、唯一松風焼野田窯は製造を続けた。その後1931年に陶工・近重治太郎が開窯。1946年には、城島平次郎が小岱焼の研究所として、しろ平窯を開く。

さらに小代焼の復活を大きく支えたのが、柳宗悦らが提唱した「民藝運動」だ。益子焼の人間国宝でもあった濱田庄司は流し掛けの技法を多く用いたが、小代焼の流し掛けの技法を参考にしたといわれている。

その後、柳宗悦の息子である柳宗理が、小代焼特有の藁灰釉と籾殻灰釉の二重がけによって生まれる青みを帯びた白さを「雪の降ったような白」と称賛したことで、小代焼は注目を集めることとなった。

12軒の窯元が伝える小代焼の今

小代焼の窯元は現在、熊本県玉名郡南関町、荒尾市、長洲町、嘉島町、松橋町などの各地に点在している。

2002年に、これら12の窯元が参加した「小代焼窯元の会」を発足。熊本をはじめ東京・大阪・福岡といった都市圏などで、小代焼の普及のための展示会活動を行っている。

2003年には、国の伝統的工芸品にも指定された。現在では、それぞれの窯元の個性や独自の技法を生かしながら、現代の生活スタイルにも合う様々な食器が作られている。

誰でも参加できる窯開きに行ってみよう

小代焼ふもと窯の窯開きで賑わう様子
小代焼ふもと窯の窯開きで賑わう様子

また小代焼の各窯元では、春になると窯開きを行い、それに伴って各種イベントも行われる。新作の洋皿、和皿、花瓶などのほか、今風のマグカップなどもずらりと並ぶ。作り手と話す機会もあるので、ぜひ出かけてみたい。

また、毎年2月初旬には小代焼窯元の会主催の「小代焼 春陶祭」も開かれ、多くの人で賑わう。

小代焼 春陶祭

小代焼のおさらい

◯小代焼の素材

・原土

小岱山から採れる原土によってつくられる。鉄分や小石粒が多いのが特徴。

・土練機 (どれんき)

土を練るための道具。粘土状にした後に作陶できるほどに乾かし、土練機で練る。

・ろくろ

蹴ろくろ、電動ろくろなどを使い成形する。手びねりで成形することも。

・鉋 (かんな)

成形した後、半乾きのときに形を整える道具。

・窯

器を焼き締めるもの。小代焼では700~900度で素焼きし、釉薬をかけてから1220~1300度で本焼きする。また窯の中は温度差があるため、釉薬で調整する。

◯数字で見る小代焼

・窯元数:現在、熊本県内には合計12の窯元があり、それぞれの独自の技法で焼き物をつくり続けている。

・小代焼 ふもと窯

・小代焼 中平窯

・小代焼 岱平窯

・小代本谷 ちひろ窯

・小代焼 たけみや窯

・松風焼 野田窯

・小岱焼 末安窯

・小代 瑞穂窯

・小代焼 一先窯

・小代焼 松橋窯

・小岱焼 しろ平窯

・小代焼 太郎窯

国の伝統的工芸品指定:2003年に指定される

<参考>

・萩原健太郎 著、久野恵一 監修『民藝の教科書① うつわ』グラフィック社 (2012年)

・仁木正格 著『わかりやすく、くわしい、やきもの入門』主婦の友社 (2018年)

・熊本県伝統工芸館

http://kumamoto-kougeikan.jp/

・熊本公式観光サイト もっと、もーっと!くまもっと。

https://kumamoto.guide/look/terakoya/091.html

・小代焼 たけみや窯

http://www.takemiyagama.co.jp/takemiyagama.html

・小代焼中平窯 〜熊本の窯元〜

https://www.nakaderagama.jp/index.html

(以上サイトアクセス日:2020年05月07日)

<協力>
小代焼窯元の会

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