日本全国
こけしとは
みちのくの風土が育んだ魅力と歴史
かつては、多くの家の片隅にあったであろう、こけし。
もともとは子どものおもちゃであったこけしも、いつしか民芸品や美術品として大人が楽しむものとなりました。昭和以降、“こけしブーム”も度々起こっています。第三次ブームといわれる近年では、こけし好きの女性を指す「こけ女」という言葉も生まれました。
時代に翻弄されながらも、愛され続けるこけし。その魅力と歴史を探ります。
こけしとは。東北の温泉地で生まれた木製玩具
こけしとは、切り出した木材をろくろで挽いて作った人形のこと。こけしには、形や描彩の自由度が高い「新型こけし」、作家性のある「創作こけし」などもあるが、今回は主に江戸時代後期から作られるようになったといわれる「伝統こけし」について紹介する。
伝統こけしの主な産地は、宮城県の鳴子温泉や遠刈田温泉、福島県の土湯温泉などの東北地方の温泉地。ろくろを使って椀や盆などの木工品を作る木地師が、子どものために作ったことがその始まりだとされる。子どものためのおもちゃが、次第に湯治客向けの土産物として親しまれるようになった。
種類はなんと11系統。伝統こけしの出身あれこれ
一口に「伝統こけし」といっても、実は産地によってその特徴はさまざま。その分類方法には諸説あるが、昔から作られてきた伝統こけしは主に11系統に分類することができる。
『地場産業と名産品2』 (農山漁村文化協会) によると、伝統こけしの産地の多くは東北地方の中央を南北に走る奥羽山脈に沿って散らばっているという。一方で、ろくろを挽いて木工品を作る木地師は日本全国にいたにもかかわらず、伝統こけしが東北地方だけで生まれた理由は定かではない。
伝統こけし11系統 徹底比較
一見、同じように見えて違うのがこけしの面白いところ。各地の伝統こけしの特徴を知ると、じっくりとこけしを鑑賞したくなるはずだ。
◯津軽系
・産地:
温湯 (ぬるゆ) 温泉、大鰐 (おおわに) 温泉 (いずれも青森県)
・由来:
伝統こけしの中でも歴史は浅く、明治後期から大正時代に誕生したと考えられている。大鰐のこけしは、鳴子の木地職人による講習会が行われたこともあり、鳴子系の影響もみられる。
・顔立ち:
歴史が浅い分、さまざまな型や技術をもとに生まれたため、その表情は多彩。おかっぱ頭が多く、頭頂部に赤い「中剃り」があるものも。
・彩色や模様:
胴の模様は簡素なろくろ線、ねぶた絵の牡丹やだるま、アイヌ文様など。
・構造や形:
1本の木から作る「作り付け」が主流。形は直胴のものや胴がくびれて裾広がりとなっているものなど、さまざま。
◯南部系
・産地:
岩手県花巻市、盛岡市
・由来:
「キナキナ」という赤ちゃんのおしゃぶりが原形。他産地からの影響でこけしとして発展した。
・顔立ち:
基本は無彩のため、顔は描かれないことが多い。
・彩色や模様:
彩色や模様も施されることはなく、形や木肌の美しさを楽しむ。
・構造や形:
おしゃぶりが原形のため、頭の部分は口にくわえた際に動くよう、ゆるくはめ込まれており、グラグラと動く。基本的には3〜4寸ほどと小ぶり。
◯木地山系
・産地:
秋田県湯沢市川連町(かわつらちょう)、湯沢市皆瀬
・由来:
江戸時代、福島県や宮城県の木地師たちが良材を求めて移住した先が木地山と呼ばれるように。江戸末期には、鳴子から伝わったとされる小物挽きの技術を使い、土産物としてこけしを作るようになった。
・顔立ち:
大きな前髪が特徴的。頭頂部には赤いリボン型の髪飾りが描かれている。
・彩色や模様:
菊紋様、梅鉢模様の前垂れや縦縞の着物姿などが写実的に描かれている。
・構造や形:
作り付けが基本。らっきょう型の頭に太い胴。
◯鳴子系
・産地:
鳴子温泉 (宮城県)
・由来:
江戸初期に鳴子漆器の塗下挽きとして木地業が盛んに。その後、江戸後期の天保年間に木地師の大沼又五郎がこけしを作り始めた。その始まりには諸説あり、土産物として木地玩具が人気だと知った湯主たちが小田原から木地師を呼び寄せて又五郎にこけし作りの技術を学ばせたという説や、湯治に来ていた木地師から小物挽きの技術を学んだ又五郎が伊勢土産の人形をまねて木の人形を作リ始めたという説がある。
・顔立ち:
目は上まぶただけの「一側目 (ひとかわめ) 」、鼻は丸い「猫鼻」が多い。京都の御所人形に似た前髪で、その上に「水引」と呼ばれる赤い髪飾りが描かれている。
・彩色や模様:
胴には菊や牡丹、楓などの模様が描かれている。
・構造や形:
頭と胴のパーツは別々。頭に胴にあけた穴よりもやや大きめの突起をつくり、ろくろの回転と摩擦熱を利用して胴体にはめ込む「はめ込み式」という構造でできている。頭を回すとキイキイと音が鳴る。胴の中ほどに少しくびれあり。他の産地にはない、「ねまりこ」と呼ばれる座った姿のこけしも。
◯肘折系
・産地:
肘折温泉 (山形県)
・由来:
1877年 (明治10年) ごろ、肘折出身の柿崎酉蔵が鳴子で身につけた木地技術を肘折に持ち帰り、こけしも作られるように。その後、明治後期に遠刈田系の木地職人たちが肘折に移ってきたことで、鳴子系と遠刈田系からの影響を受けた肘折系こけしが誕生した。
・顔立ち:
目は上下のまぶたが描かれた「二側目 (ふたかわめ) 」で三日月形。11系統中唯一、唇がしっかりと描かれている。遠刈田系からの影響で、赤い放射状の「手柄」が描かれた頭や、おかっぱ頭が多い。
・彩色や模様:
胴には重ね菊や撫子、石竹などの模様。
・構造や形:
頭部と胴体を別々に作り、穴を開けて差し込んだ「差し込み式」。太めでまっすぐな胴は、鳴子系の影響が強く、肩に段があるものが多い。頭部をくり抜いてあずきを入れ、振ると音が鳴るものも。
◯作並系
・産地:
作並温泉、仙台市 (宮城県)
・由来:
神奈川県の小田原からやってきた木地師、南條徳右衛門によって始まった。明治のはじめに一旦途絶えるも、明治末には復活。その後、仙台市でも作られるようになった。
・顔立ち:
目は上下のまぶたが描かれた「二側目」、鼻はしずくのような「垂れ鼻」が多い。
・彩色や模様:
胴にはカニのような「蟹菊」と呼ばれる菊模様や赤と黒で描かれた牡丹風の花模様。
・構造や形:
差し込み式。頭頂部は平らで、胴は細く下部がすぼまっている。安定感を出すために台座が付いているものも。
◯山形系
・産地:
山形県山形市
・由来:
江戸時代末期、山形出身の小林倉治が宮城の作並温泉で木地修行を積み、山形に戻って木地師として活動。明治初期からこけしを手がけていたと言われている。
・顔立ち:
細い目に、割れ鼻が多い。頭頂には赤い放射状の飾り「手柄」が描かれている。
・彩色や模様:
胴には桜や梅の花模様が多く描かれる。
・構造や形:
差し込み式。頭は小さく、胴は細い直胴。
◯遠刈田系
・産地:
遠刈田新地、遠刈田温泉、青根温泉、秋保温泉 (いずれも宮城県)
・由来:
遠刈田温泉近くの遠刈田新地がこの地域における木地業発祥の地。この土地の者が金毘羅参りをした痕跡である金毘羅碑が江戸時代・文政年間 (1818年〜1830年) に作られていることから、この頃、金毘羅参りの土産物・赤物玩具を目にした木地師らによってこけしが誕生したと考えられている。その後、明治半ばに、1人挽きろくろや描彩の技術が伝わり、温泉地の土産物として定着した。
・顔立ち:
目は「二側目」で三日月のような形。鼻は先が割れた「割れ鼻」や丸い「猫鼻」。頭頂部には「手柄 (手絡と表記されることも) 」と呼ばれる赤い放射状の模様が描かれる。おかっぱ頭も。
・彩色や模様:
菊や梅などの花模様、木目、ろくろ線など多彩。胴の裏側にあやめが描かれることも多い。
・構造や形:
差し込み式。大きな頭に直胴。小さなこけし「小寸 (しょうすん) 」は「こげす」と呼ばれ、肩がこけた遠刈田系独特の形。
◯蔵王高湯系
・産地:
蔵王温泉 (山形県)
・由来:
明治半ば、青根や遠刈田の木地業を目にしていた商人の岡崎久作が木地業を始めようと、弟・栄治郎を青根温泉の職人のもとに派遣。木地の技術を持ち帰り、湯治客相手に土産物としてこけしを作りはじめ、広まっていった。
・顔立ち:
目は三日月形、鼻は「垂れ鼻」が多い。おかっぱ頭や頭頂に赤い放射状の髪飾り「手柄」が描かれている。
・彩色や模様:
遠刈田系から派生しており、胴模様には菊や桜くずしが主流で、牡丹もある。
・構造や形:
差し込み式。胴は太くてどっしりとした直胴が多い。
◯弥治郎系
・産地:
白石市、鎌先温泉 (宮城県)
・由来:
鎌先温泉近くの弥治郎村では、もともと雑器や小物類が作られており、江戸末期には近くの遠刈田温泉の影響でこけしなどの木地玩具を作り始めていたと考えられている。
・顔立ち:
目は「一側目」が多い。頭頂部にはベレー帽のようなカラフルなろくろ線の模様がある。
・彩色や模様:
胴には、ろくろ模様や菊などの花、襟や裾が描かれた着物姿のものも。
・構造や形:
差し込み式。直胴やくびれがあるもの、裾広がりとなっているものなどさまざま。
◯土湯系
・産地:
土湯温泉、中ノ沢温泉(いずれも福島県)
・由来:
木地職人の技術が土湯にどのように伝わったのかは諸説あり。遠刈田系と同じく、金毘羅参りの証でもある金毘羅碑に江戸・文政年間 (1818年〜1830年) の日付が刻まれていることから、この頃には、金毘羅参りの土産物・赤物玩具を目にした木地師らによってこけし作りが始まっていたと考えられる。
・顔立ち:
目は「二側目」、鼻は「垂れ鼻」が多い。目のまわりを赤く彩色した「たこ坊主」と呼ばれるものも。頭頂には「蛇の目」と呼ばれる黒い輪、前髪の両脇には「かせ」という赤い髪飾りが描かれる。
・彩色や模様:
ろくろを回しながら描く、ろくろ線が基本。ろくろを逆回転させて変化を出す、土湯独特の「返しろくろ」という技法もある。
・構造や形:
はめ込み式。頭は小さく、たまご型で、胴は細長い。
進化を続ける、現在のこけし
もともとは子どものおもちゃとして生まれたこけしだが、今では伝統的な形だけでなく、さまざまな姿に進化。こけしが地震で倒れてしまうデメリットを逆転の発想で活かした「明かりこけし」や、手紙を入れて送れる「通信こけし」など、実用性や遊び心があるものもある。
<関連の読みもの>
こけしが斬新に進化した。倒れると光る「明かりこけし」が役に立つ
https://sunchi.jp/sunchilist/miyagi/114541
仙台で見つけたユニークなお土産。こけしのしまぬきの「通信こけし」と「仙台張子」
https://sunchi.jp/sunchilist/sendai/25532
フィリップ・ワイズベッカーが旅する こけし作家が生み出すユニークな酉を求めて
https://sunchi.jp/sunchilist/sennan/65301
こけしの豆知識
◯あの容器のデザインはこけしがモデル
乳酸菌飲料「ヤクルト」の容器デザインは、日本を代表するインテリアデザイナー・剣持勇が手がけたもの。真ん中がくびれた独特な形は、世界共通で同じデザインだ。この形は、日本らしさを表現するために「こけし」をモチーフにしたという。
◯社名の由来はこけし
「ベルメゾン」で知られる通販会社の千趣会の原点は、1954年から始めたこけしの頒布販売。戦後、人々の暮らしがまだ豊かとはいえない時代、オリジナルのかわいらしいこけしは女性たちの心に潤いを与え、人気を博した。当時の頒布会名「こけし千体趣味蒐集の会」の略称をそのまま社名にしたという。
こけしの歴史
◯こけしの前身は「ほうこさん」
平安時代の宮中では、幼児の枕元に「天児 (あまがつ) 」や「這子 (ほうこ) 」と呼ばれる人形を置き、幼児の病気や災厄を払い、健やかな成長を願う風習があった。
やがて、この風習が庶民の間にも広まり、各地で人形が作られるようになる。中でも、幼児がハイハイをする姿を模した這子は、布や紙、木など、さまざまな素材を用いて日本全国で作られるようになった。東北各地では木で作った這子を「きぼこ」と呼んでいた地域が多くあり、これがこけしの前身だといわれている。
◯湯治習俗の発展と木地師の定住化
江戸時代後期に入ると、さまざまな変化がこけしの誕生を後押しした。
江戸時代後期の文化・文政期 (1804年-1830年) には、一般庶民にまで湯治文化が浸透。東北地方では、農閑期などに温泉に入って体を癒すことは田畑の再生にもつながるとされ、儀式的なものとして受け入れられていき、温泉地は湯治客でにぎわいを見せた。
その後、文政から天保にかけて全国的に盛んとなった伊勢参りや金毘羅参りは、東北地方に彩色の技術をもたらすきっかけとなった。当時、道中にある箱根や小田原などの土産物屋では、厄除け・縁起物とされる「赤物」と呼ばれる玩具が売られており、お参りをした人たちが赤物を村に持ち帰ることで、東北の湯治場でも赤物の木地玩具が望まれるようになったといわれている。
さらに江戸末期には、これまで原材料である木材を求めて全国各地の山に自由に出入りし、転々とすることが許されてきた木地師の生活様式に変化が訪れる。山の利用権を巡る論争が起き、山の木を自由に切り出すことができなくなったのだ。木地師たちは里に下りて定住し、そこで仕事をするようになった。彼らが商人を介さず直に消費者のニーズに触れる中で、湯治客向けに彩色を施した木地玩具を作るようになったと考えられている。
◯謎に包まれたこけし
江戸時代末期に誕生したと伝わるこけし。表情などの見た目から、仙台の堤人形の芥子人形 (小さな人形) や仙台張子のおぼこ (首人形) の影響を強く受けていると推測される。木で作られた芥子人形のことを、遠刈田では「こげす」、鳴子では「こうけし」と呼んでいたことからもその影響がうかがえる。一方、土湯では木の人形を「きでこ」と呼んでおり、その表情からは福島の三春張子の影響もみられる。
このように多様なこけしが存在することからも、こけしがどのように生まれたのかは多くの謎に包まれたままだ。他地域の人形やもともと産地で作られていた道祖神などの「こけしのようなもの」の要素も複雑に絡み合い、各産地で独自に進化していったと考えられる。
◯明治時代、こけしの衰退と復活
明治に入ると、こけしを含め多くの郷土玩具は、ブリキやセルロイドの外国製のおもちゃに取って代わられてしまった。おもちゃとしての需要が減っていく一方で、日本の伝統美や郷愁を感じさせる姿に大人の観賞用として注目が集まるようになる。
その後、関東大震災や第二次世界大戦で産地存続の危機を迎えることもあったが、人々の間に沸き起こる郷土愛によって復興が支えられた。たびたび起こる民藝ブームや郷土玩具ブームの影響で浮き沈みはありながらも、こけしは郷愁の象徴として変わらず愛され続けてきたといえる。
1981年 (昭和56年) には、鳴子系、肘折系、作並系、遠刈田系、弥治郎系の5つの系統が「宮城伝統こけし」として国の伝統工芸品に指定された。
ここで買えます、見学できます
伝統こけしの産地には、各々の系統のこけしを中心としたコレクションを所蔵する「こけし館」があることが多い。こけし館を巡って、産地に息づくこけしたちとの出会いを楽しむのも一興だ。
◯日本こけし館 (宮城県・鳴子温泉)
童話作家で詩人の深沢要さんが生涯を通じて蒐集したこけしコレクションをもとに開館。毎年夏に鳴子温泉で開かれる「全国こけし祭り」に奉納されたこけしも展示。こけし工人が日替わりで登場するろくろの実演コーナーや絵付け体験もある。館内にある鳴子こけしの即売所は、数も種類も豊富にそろうので見逃せない。
◯みやぎ蔵王 こけし館 (宮城県・遠刈田温泉)
遠刈田系を中心に、全国の伝統こけしと木地玩具5500点を常設展示。東北をはじめ、国内外の手仕事や名工たちを紹介する企画展や公募展も開催する。こけし工人による実演や絵付け体験も。ミュージアムショップでは、遠刈田系こけし工人の作品や蔵王町観光PRキャラクター「ざおうさま」グッズなどが購入できる。
http://kokeshizao.com/about.html
◯原郷のこけし群 西田記念館 (福島県・土湯)
こけし蒐集・研究家の西田峯吉さんのコレクションを中心に約1万本のこけしを収蔵。展示室では約1300本のこけしを展示し、戦前の貴重なこけしなども紹介する。こけしに関する企画展も年間を通じて開催している。
こけしのおさらい
◯素材
・木材。堅くて白い木肌が美しい、ミズキやイタヤカエデが多く用いられる。
◯主な産地
・津軽系:青森県・温湯温泉、大鰐温泉
・南部系:岩手県花巻市、盛岡市
・木地山系:秋田県湯沢市川連町、湯沢市皆瀬
・鳴子系:宮城県・鳴子温泉
・肘折系:山形県・肘折温泉
・作並系:宮城県・作並温泉、仙台市
・山形系:山形県山形市
・蔵王高湯系:山形県・蔵王温泉
・遠刈田系:宮城県・遠刈田新地、遠刈田温泉、青根温泉、秋保温泉
・弥治郎系:宮城県・白石市、鎌先温泉
・土湯系:福島県・土湯温泉、中丿沢温泉
◯構造
・作り付け:頭部と胴体を1本の木材から作る
・差し込み式:頭部と胴体を別々に作り、どちらかに穴を開けて差し込む。頭と胴の両方に穴を開けて棒でつなぐ方法もある。
・はめ込み式:頭部と胴体を別々に削り出して後からはめ込む。胴のはめ込み口よりもやや大きめの突起を頭につくり、ろくろの回転と摩擦熱を利用して胴体部分にはめ込む。一度はめ込むと抜けない。
◯数字で見るこけし
・誕生:江戸時代後期、文化・文政期 (1804年-1830年) ごろ
・従事者(社)数:およそ180人 ※『伝統こけし最新工人録』第3刷 カメイ美術館 (2018年) 参照
・伝統的工芸品指定:1件。1981年 (昭和56年) に、鳴子系、作並系、遠刈田系、弥治郎系、肘折系の5つの伝統こけしが「宮城伝統こけし」として指定されている
関連する工芸品
・人形:「日本の人形、その歴史と魅力。」
https://sunchi.jp/sunchilist/craft/118411
<参考資料>
井上重義 著『ふるさと玩具図鑑』 平凡社 (2011年)
財団法人伝統的工芸品産業振興協会 監修『ポプラディア情報館 伝統工芸』 ポプラ社 (2006年)
佐々木一澄 著『こけし図譜』 誠文堂新光社 (2020年)
中川重年 監修『地場産業と名産品2』 農山漁村文化協会 (2007年)
西日本新聞掲載記事「福岡ヤクルト工場(福岡県筑紫野市) 1日100万本超を製造」 (2017年01月11日付)
(以上サイトアクセス日:2020年7月13日)
<協力>
こけし11系統 写真提供:みやぎ蔵王 こけし館